基本データ・おススメ度
『月に囚われた男』
原題:MOON 2009年 アメリカ
監督:ダンカン・ジョーンズ
出演:サム・ロックウェル、ロビン・チョーク、ケヴィン・スペイシー(声)
おススメ度 ★★★★☆(4/5)
デビット・ボウイの息子が監督。舞台劇にもできそうな限定空間、登場人物ほぼひとり。シンプルながら『命ってなんだ?』を問いかける傑作。単館映画系が好きなら楽しめます。個人的には大好きなテイスト。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
近未来、地球は、エネルギーの70%を月の裏側で採掘される「ヘリウム3」に依存していた。主人公・サムは、三年間の任期で月にある基地に派遣されエネルギー採掘の仕事に従事している。
人工知能を備えたロボット、ガーティとの二人(?)暮らし。通信機器の故障で地球とのリアルタイムの会話はできない。家族との会話は、録画されたテープを観るだけ。それでも、地球に残した妻と娘から送られるビデオレターを心の支えにしながら、地球に帰る日を心待ちにしていた。
任期もあと2週間となったある日、彼は、月面作業中に事故を起こす。気が付くと医務室のベッドの上。なんとか助かったらしい。ただ、なにかがおかしい。
ガーティの監視をくぐりぬけ、事故現場を確認にいった彼がみたものは、負傷したまま放置されている…もうひとりの自分だった。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
サムは、地球にいるサムという実在の男のクローンだった。
秘密の部屋には、何体ものサムのクローンが保存されていて、三年間というあらかじめ設定された寿命が来ると「地球に帰る(はずの)カプセル」の中で、そのまま処分される運命。そして、組織は、次のサムを覚醒させて、あらたな三年間が始まる。
家族からのビデオレターは、何度も繰り返し使われた録画テープ。サム(のクローンたち)は、同じ三年間を永遠にループしていた。
会ってはいけない人(=次の自分)に会ってしまったことがバレるとサムは殺される。新しい元気なサムは、すっかり憔悴したサムを地球に帰そうとするが、自分の死期を悟った古いサムは、新しいサムに「お前が帰れ」という。二人のサムは協力し、真相を隠すために設置された電波妨害装置を破壊する。
つまりこんな映画(語りポイント)
寿命に設定された三年が近づくにつれ、どんどん体力がなくなり動けなくなっていくサム。起きたばかりの元気なサムとの対比は、人間の「老い」を現しているようで物悲しい。
通信機器の故障が嘘だと気づいたサムは妨害電波が届かない地域に移動して、月に来て(厳密には目覚めて)から初めて生で地球にいる家族に電話をかける。妻はすでに死んでいた。娘は15歳に成長して、父(オリジナルのサム)と暮らしている。たまらず電話を切るサム。自分がみせられていた家族の姿は10年以上前の録画テープで「あの頃の」「自分の」家族はどこにも存在しなかった。
完全なる孤独を確信したサムは、絶望に泣き崩れる。
このあたりはやばい。かける言葉がない。
組織の手下であるはずのロボット・ガーティがサムたちの身を案じなにかと協力をする。そして、サムの逃亡を助けながら「私を再起動してくれ」と頼む。自分の中にすべてが記録してある。それを見られたらサムが殺される。ガーティは、自分の記憶を抹消して次のサムとのプログラムを淡々とこなす道を選択する。
法人という人格は利益のためなら平気で人を殺す。間接的に。しかし、その正体は人間だ。法人格に責任をなすりつけがら、冷徹な決断をくだしているのは人間だ。
対比として、ロボットであるはずのガーディが、より人間らしい思考で行動する設定は、企業社会への強烈な皮肉だろう。
二人のサムとロボット・ガーティの友情めいた展開はアツいが、全体の造りやセンスは古い。それを古臭いと思うか、懐かしくて良いと思うか…好き嫌いが分かれそう。
種としての人間。
その中の、ちっぽけな個体。
「人間はなんのために生まれてきたのか」などと良くいうけども、答えは簡単で「種の保存と繁栄のため」。本来は…という注釈は必要だけども。
ただ、そこになにかの理由をつけたがるのが人間。「そんなことはわからない」としておくほうが希望がある。でも、それも違う。
正解は「そんなことはわからない」ではなく「そんなこと知っても仕方がない」。
そんなことよりも…
大事なのは「いま生きている理由」に巡り合うこと。
哀しきクローンたちとロボット。彼らにとって必要なのはまさにそれだけ。
切なさ満開の傑作。個人的にかなり好きな映画のひとつです。
▼これも同じく「宇宙にひとりぼっち」系