基本データ・おススメ度
『ボヘミアン・ラプソディ』
原題:Bohemian Rhapsody
2018年 アメリカ、イギリス
監督:ブライアン・シンガー
出演:ラミ・マレック、ルーシー・ポイントン、グウィリム・リー、ベン・ハーディ、ジョー・マゼッロ、エイダン・ギレン、アレン・リーチ
おススメ度★★★★★(5/5)
単純な音楽映画ではなく、フレディという「偉大な愚か者」を主役に据えた「罪と罰」の物語。比喩を交えて説明するなら「数々の愚かな罪を犯したフレディという男が、エイズによる死という罰を受け、自らの命と引き換えに、後世に救い(楽曲)を残して消えて行った」…と云う、非常に宗教的・哲学的な物語。
フレディはキリスト。彼の半生を通じて、僕らは、人間が生まれ持つ「原罪」を見せつけられる。だから、大の大人たちが映画館で号泣する大傑作となった…と解釈しています。
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▼目次
あらすじ(ネタバレなし)
1970年、ロンドン。
ゾロアスター教の厳しい家庭に育ったフレディは、父親から、夜遊びや音楽に傾倒していることを責められていた。ある日、ライブハウスで、運命の女性、メアリー(ルーシー・ポイントン)に出会う。
同時に「スマイル」というバンドを見たフレディは、ライブ終了後に、浦口で休憩しているメンバー、ブライアンとロジャーに声をかける。ついさっきボーカルが脱退したと聞いたフレディは自分を売り込む。
スマイルに参加したフレディは本名を捨て「フレディ・マーキュリー」に改名する。風変りな録音方法でプロデューサーを驚かせたりしながら、クイーンはバンドとして成功していく。
「キラー・クイーン」にヒットでテレビ出演するほどのバンドになったが、恋人メアリーとは会う機会が減っていく。フレディはメアリーに指輪をプレゼントして求婚。婚約者となるが、メアリーはどこか不安そうな目をしている。
==以下、ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
ツアーも成功し、プロデューサーに「次もキラー・クイーンのような曲を」とリクエストされるが、フレディたちは、とてもラジオで流せない6分もある風変りな曲「ボヘミアン・ラプソディ」をシングルカットすると言い張り、プロデューサーとケンカ別れ。
「ボヘミアン・ラプソディ」もヒット曲となり、クイーンはさらにビッグバンドになっていくが、その頃から、フレディには「自分はバイセクシャルだ」という自覚が芽生え、苦悩が始まる。
マネージャーであるポール(男性)と愛人関係となり、メンバーや婚約者にもカミング・アウト。周りから奇異な目で見られ始める。
婚約者メアリーはフレディから離れ、違う恋人とつきあいだし、やがて妊娠する。他の男との間での妊娠を告げられたフレディは悲しみ彼女にすがるが、最後は「おめでとう」と言って送り出す。
フレディはドラッグや乱交パーティに溺れ、メンバーに呆れられる。さらに、さらなる金儲けを画策した周りの人間たちが、莫大な契約金の話と共にフレディにソロ活動を勧め、やがて他のレコード会社とソロ契約することに。
クイーンに、世界的なチャリティー・ロックフェス「ライブエイド」から出演のオファーが来ていたが、マネージャーのポールはその事実をフレディたちに伝えていなかった。クイーンとしての活動よりも、ソロ活動でアルバムを作るほうが、自分たちの実入りになるからだ。
事実を知り、怒ったフレディはポールを解雇し、クイーンのメンバーに謝罪。ブライアンたちも「以後は、楽曲はすべてクイーン名義にすること。誰が作曲しても印税は公平に分配する」ことを条件にフレディを許し、バンドはライブエイドへ向かう。
フレディは、以前に知り合った男性が忘れられず、電話帳などで探し当てる。再会した二人は、堂々とつきあいはじめる。
リハーサル中、フレディは自分がエイズに侵されていることをメンバーに告白する。
1985年、夏。
クイーンはライブエイドのステージに向かう。ステージ脇には、元婚約者のメアリーとその恋人、さらには現在の恋人である男性も、ステージをみつめていた。
ラスト21分の演奏がはじまった…。
つまりこういう映画(語りポイント)
SNSで、大の大人がこぞって「泣きまくった」という感想。ちょっと尋常じゃないレベルの反響に「なにがあるんだ?」と気になって確かめに行ってきた。
はい、号泣しました。そして理由がわかりました。
この映画は「罪と罰」「懺悔と慈悲」のお話。非常に宗教的。フレディはキリスト。
この映画の一番良いところは、フレディが最後まで「人間としてはクズ」だという点。
「みんな良い人」「誰もが幸せ」「よかったね♪」なんて、軽薄なハートウォーミングではないところです。フレディという「偉大な愚か者」を宗教的・哲学的なアプローチで描いている。だから心に響くのです。
以下、なるべく簡潔に書きます。
※異論は多々ありそうですが、あくまで個人の解釈であり、同時に、フレディという人間への愛を込めて、以下のように解釈している…と思っていただければ幸いです。
売れっ子となったフレディは、世間から要求されるものを創り出すことのプレッシャーに耐えるため、ドラッグや乱交パーティに溺れた。周りの人間にも常に傲慢で、バンドのメンバーにも一度は愛想を尽かされる。
『傲慢』『色欲』の罪。
性的マイノリティへの理解がなかった当時、同性愛はそれだけで『罪』とされた。
フレディは「素晴らしい音楽を世界に届けること」という使命に徹していて、その副作用で産まれるプライベートの問題点にさほど興味がない。批判されても決して反省はしない。最後まで反省はしていない。ただ、選択に対する後悔はする。「自分は間違っていた」と気づいたときの修正力は強引で、そのためにまた人を傷つけてでも、正しい方向に軌道を変更する。
家族同然の仲間たちには謝る。但し、自らの行いに対して謝るのではなく、選択の間違いに対して謝る。『懺悔』。仲間たちも、それを許す。『慈悲』
数々の『罪』を犯したフレディは、エイズによる死という『罰』を受ける。
この世を去ったフレディだが、世界に素晴らしい音楽を残した。
以上。
フレディは人間が生まれ持つ「原罪」のような存在で、罪による罰を受け十字架にかかり、自らの死と引き換えに「救い(楽曲)」を世に残した。
フレディはキリスト。
誰もが身に覚えにある、自分たちの中に潜在する「原罪」をまざまざと見せつけられるから、僕らは半ば意味もわからないまま、号泣するのです。
パーティのシーンで、フレディの振る舞いに呆れたブライアンが「お前は、時々クズになるな」と捨てセリフを残して去っていきますが、フレディはそこでパーティをやめるわけではなく、さらにどんちゃん騒ぎを続ける。…ここは「人間の弱さ」と、フレディという人間をわかりやすく表現した名シーンだと思います。
また、メンバーとの和解を望んで謝罪に来たフレディに対して、ブライアンたちは消して怒った顔はしていない、ただただ呆れていて、半ば笑っている。ここは、長年一緒にやってきたメンバーたちが、フレディという人間の「なんたるか」を熟知しているから。「怒っても仕方ない」ことも知っているし「しょーがねーなー」なのです。
人間が人間を許す?そもそも、許すとか許さないとか、その時点で傲慢でしかない。人間に、他人を変えようとする権利なんてない、メンバーたちは、フレディと接することで、そんな境地にまで達していた。逆にいえば、フレディにはそれだけの「啓蒙力」があるということ。だから「偉大な愚か者」なのです。
この映画は、フレディを「神」「創造主」に見立てた(というか、実際にそうだった?)壮大な「教え」の物語。