【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『或る終焉』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『或る終焉』
原題:CHRONIC
2015年 メキシコ・フランス
監督:ミシェル・フランコ
出演:ティム・ロス、サラ・サザーランド、ロビン・バートレット、マイケル・クリストファー、デビット・ダストマルチャン
 おススメ度★★★★☆(4/5)
 カンヌで脚本賞を獲得した秀作。劇中、音楽は一切なく環境音とセリフのみ。「無音」こそ、最も強力な映画言語であることを再確認できる。ストーリーとしては介護士の苦悩の物語ではあるけど、映画が本当に描きたいのは、主人公デイビット(ティム・ロス)のごく私的な『喪失との闘い』。秀作、素晴らしい映画ですが、めちゃくちゃ暗いので、暗いの嫌なひとは観ないほうが良い。

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◆目次

 

あらすじ(ネタバレなし)

 部屋でひとり、「ナディア」という名の若い女性のSNSの写真を見ている男。

 介護士のデイビット(ティム・ロス)は、サラという女性の介護を担当している。その姿は、まるっきり妻を介護している夫(※事前情報なしに映画を見ると、ほぼ全員の観客がそうだと思うだろう)。常に傍らに寄り添い、抱き起し、手を握り、バスタブで身体を洗い、服を着せてやる。

 サラが旅立った。葬儀。出席したデイビットにサラの姪のカレンが話しかける。「いつも患者の葬儀に?」素っ気ないデイビットはカレンの誘いを断って去っていく。

 飲み屋でひとりで酒を飲み、隣のカップルとの会話で「21年連れ沿った妻に先立たれた。名前はサラ。」と嘘をつく。

 次に担当したのは建築家の中年オヤジ、ジョン。ジョンは25年前に離婚したきり独り身だが、親族が介護にあたっている。ジョンが建築家だと知ったデイビットは、本屋に行き、建築関係の本を買いあさる。本屋の店員に声をかけられると「建築家なんだ」と嘘をつく。ジョンが建築した家を訪ね「この家を建築したのは兄。見せてもらいたい」と嘘をつき、中を見学する。
 
 介護士としては、どう見ても一線を超えているデイビット。なぜ、彼はそこまで患者に入れ込むのか。

 説明セリフを排除した物静かな展開の中、淡々と男の生活が描かれていき、やがて、その「理由」が明確になってくる。

==以下、ネタバレ==

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 ネタバレあらすじ

 デイビットは、サラ同様に中年のジョンにも親身になって介護を続ける。タブレットでエロいビデオを観るジョンに、苦笑いで接するデイビット。

 交代でやってきた夜番の介護士を家に帰らせ、自分が朝までジョンと一緒に映画を観て過ごす。その昔、男色趣味もあったらしきジョンは、デイビットに抱きかかえられ、勃起する。このあたりの事実が、ジョンの親族から誤解を招く。

 ジョンの親族からセクハラで訴えられた。職場で注意をされ「もうジョンにはちかづくな」と言われるが、ジョンの容態が心配なデイビットは自宅へ行くが門前払い。「事実無根だ」と告げるが信用してもらえない。

 冒頭で見ていたSNSの女性は、別れた妻との間の、デイビットの娘だった。医学生であるナディアの学校へ行き、再会する。泣いて抱き合う父娘。

 元妻とも仲が悪いわけではない。車の中で会話する。元妻は一度は再婚したけど今は別れている。デイビットは再婚していない。

 娘との会話。どうやらナディアには兄がいたらしい。ダンという名前。ダンは重い病気になり、父親であるデイビットが介護していたが、最後は、あまりの辛さに、デイビットの手によって安楽死していた。

 デイビットは中年女性・マーサの介護につく。マーサも末期で、ほぼ治療の見込みはないと宣言される。マーサはデイビットのことを調べていて、セクハラで訴えられていることも、息子ダンのことも知っていた。しかし決して敵意はない。むしろ信用している。

 サラやジョン同様に、まるで家族のようにマーサにつきそうデイビット。娘のナディアにも紹介し、一緒に食事をしたりする。

 マーサは化学療法はもう嫌だと夜中に泣き、ダンと同じく、安楽死させてくれとデイビットに懇願する。断るデイビット。

 しかし、治療で苦しむマーサを見て、デイビットは決意。マーサを安楽死させる。

 デイビットの次の患者は16歳の車椅子の青年。

 いつものようにランニングをするデイビット。道路にさしかかった。周りを見ながら走るデイビット。果たして事故なのか、それとも自分から?は、どちらにでも解釈できるが、デイビットは車にはねられる。

 音楽の一切ないエンドロ―ル。映画は静かに終わる。

つまりこういう映画(語りポイント)

  いきなりですが、僕なりの結論を書くと、この映画は…

『「喪失」によって生きる希望を失った男が、あえて「喪失を繰り返す」ことにより、それが当たり前のことである、人生とは喪失の繰り返しである。だから、受け入れるしかない。という事実を確認しながら、必死に「生きようとしている」物語。』

 介護士という職業や、介護の苦悩を描いてはいるけども、おそらく映画の狙いは、もっと私的な、デイビット個人の問題。
 
 特筆すべきはカメラワーク。ほぼカメラ固定の長廻し。「パン」やら「ズーム」やら「ドリー撮影」もほとんどない。いわゆる「切り返し」もないから、結果的に「主観がない」絵になる。やや引きの、ほぼ隣の部屋から撮っているくらいの位置関係で、あくまで客観的。通常、登場人物の感情を伝えるためのカットを意図的に排除して、ただ、淡々と進む。

 そのあたりの技法が、デイビット(ティム・ロス)の空虚な心を表現するのに絶妙な効果を出している。

  反面、ジムや外を「ひたすら走る」シーンが必要以上に長く挿入されるのは、彼が「生きよう」としていることを現しているのだろうし、あるいは「ひたすら走る=何も考えず走る=思考停止の状態」とも捉えられる。絶望と希望の微妙な狭間にいるデイビットということか。 

    「無音のエンドロール」には鳥肌が立ちました。あれは、機会があれば、ぜひ確認いただきたい。

 説明を排除しながら進む序盤、主人公のことを「嘘つき?」「怪しい男?」と感じさせたり、患者・サラを、「主人公の妻?」(これはほとんどの人がそう思うでしょう)と思わせるミス・リードも巧い。暗い、淡々とした物語だけに、序盤で「真実を知りたくなる」「結末が気になる」脚本は、カンヌで脚本賞をとったというのもうなずける秀逸さ。それによって、さほど飽きることなく、最後まで観ることができる。

 息子・ダンを安楽死させたことが彼の人生を狂わせ、離婚にもつながったという設定も、劇中、ハッキリとは明言していない。下手したら気づかずに観終わる人もいるかも?

 とことん暗い。暗いの嫌いな人にはきついでしょう。

 でも、個人的には「気持ちの良い映画を観た!良い映画だったね♪」なんて感想に、ハナから背を向けたような潔さが大好きです。ハリウッドにはまずない感覚。さすが、メキシコ・フランス合作。

 間違いなく秀作です。いやだから暗いけども。