基本データ・おススメ度
『テナント 恐怖を借りた男』
原題:Le Locataire/The Tenant
1976年 フランス・アメリカ
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ロマン・ポランスキー、イザベル・アジャーニ、メルヴィン・ダグラス、シェリー・ウィンタース、ジョー・ヴァン・フリート
おススメ度★★★☆☆(3/5)
ポランスキーがあたまおかしいのは知っていますが、あの清楚なイメージのイザベル・アジャーニに「メガネキャラ&ちょっと淫乱」な役をやらせるなんて…素敵すぎるじゃないか、ポランスキー。後半に向け、どんどん壊れていく主役の男を監督本人が演じている。ポランスキー映画の中でも「あたまおかしい度」は高めで、最初から不条理劇だと認識して観ないと、後半で「なんじゃこれ」となります。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
青年・トレルコフスキー(ロマン・ポランスキー)は、パリで部屋探しをしていた。良い部屋をみつけるが、まだ前の入居者と契約中の部屋だった。入居者であるシモーニという女性は、窓から投身自殺を図り入院中。
心配になった青年は、入院している病院を聞き出し見舞いに行く。シモーヌは全身包帯でベッドに寝ていたが、精神がまともではなく意識のないまま奇声を上げる。青年はそこでシモーヌの友人、ステラ(イザベル・アジャーニ)と出会う。
シモーヌの様子を見てショックを受けたステラを励ますべく、食事に連れ出す青年。二人で映画館に入って「燃えよ!ドラゴン」を観ている時、隣の席から、ステラが股間をまさぐってきた。呼応してステラのおっぱいを揉む青年。しかし、後ろの席の男に気付かれてしまい、行為をやめる。映画館を出て、二人は「じゃ、また。」と別れた。
シモーヌが死亡し、青年は正式にアパートの住人になった。部屋には、シモーヌの荷物がまだ残されたまま。
前の住人が投身自殺をした部屋で、新生活をはじめた青年トレルコフスキー。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
シモーヌの葬儀に行くが、妙な空気に耐え切れず教会をとびだす青年。
帰宅すると職場の同僚たちが家の中にいて、歓迎会がはじまっている。騒ぎが過ぎ、上の住人が怒って文句を言いに来る。青年は一応謝り、同僚たちは帰っていくが、返り際も廊下でバカ騒ぎをする同僚たち。
翌朝、大量のゴミを出しながら、アパートの住人に謝る青年。
出勤すると、似たような状況で隣人とトラブルになり殺された男のニュース。新聞を読みながら大笑いしている同僚たち、
夜。部屋の向いにある共同トイレの中で突っ立ったまま、こっちをみている中年女性を発見する。
部屋の壁に穴があいていた。ティッシュでふさいであったが、中を探ると、人間の「歯」が出てきた。
シモーヌの荷物、カバンの中のブラジャーなどを見ている青年。
アパートの住人である母と娘が訪ねてきた。部屋でウルサくしていると自分たちを警察に通報した人がいたらしいが、障害児の娘と共に「私たちはうるさくしていない」と訴えかける。アパートには、意地悪をする婆さんがいることも。
シモーヌを訪ねてきた男、バダール。彼は、シモーヌが自殺したことを知りショックを受ける。バダールは、どうやらシモーヌに好意を持っていた男で、告白はしたことはないが、何度も手紙を送っているという。バダールにつきあい一晩中、飲んで帰宅する青年。
カフェでゴロワーズを買おうとするがマルボロしか置いていない。仕方なしにマルボロを吸う。以後、なぜか男のタバコの銘柄はマルボロになった。
喫茶店で友人たちといるステラをみかけ話しかける。ステラの仲間たちと意気投合し、パーティに参加する。ステラが「あなたの家へ行きたい」と誘惑してくるが、自分の部屋に行くのは避け、ステラの部屋にいくことに。
淫乱ステラはやる気満々で誘惑してくるが、青年は壁の歯の話や、死んだ男の話をする。「楽しい話ないの?」とネクタイをひっぱってベッドにつれていき、青年のズボンを脱がせるステラだったが、やる気のない青年に呆れ、あきらめてそのまま寝る。
く
アパートの住人のガデリアン夫人が訪ねてきて、例の母娘が騒音をたてるから追い出したいと署名を要求されるが断る青年。しかし、変なことに、ガデリアン夫人によると、母娘ではなく、母と息子だという。青年が会ったのは、間違いなく母と娘だったのに…。
青年は、だんだん妄想に囚われはじめる。
憶えのない夜の騒ぎの件で警察み通報されて事情聴取されたり、画でリアン婦人にクビを絞められている妄想を見たり…。青年にも、観客にも、なにが本当でなにが妄想か、もはやわからない不条理の世界に入っていく。
女装をはじめる青年。被害妄想と情緒不安定がひどくなる。「(周囲の人間が)俺を自殺させる気だ!」と思い込む。
ステラの家へ行く。ステラも青年を受け入れ同居を始めるが、ステラが仕事に行ったあと、なぜか「ステラもグルだ。みんなグルだ。」と言い出した青年は、部屋をめちゃくちゃにして飛び出す。
バーでバーテンに声をかけ「銃を買いたい」と持ち掛けるが追い出され、道路で車にひかれる。車を運転していた老夫婦と、マンションの管理人夫婦の区別がつかず暴れる青年。
アパートへ帰り、女装をして部屋の二階から飛び降りた。驚いた住人たちが集まるが、青年は「俺をシモーヌにしたいんだな?俺はシモーヌじゃない」などと意味のわからないことを口走りながら床をはいずりまわって…。
つまりこういう映画(語りポイント)
ロマン・ポランスキーの作風は個人的に大好きで、特に初期の「袋小路」や「赤い航路」はツボ中のツボ映画です。
WIKIPEDIAを読めば、この人がいかに変態であたまおかしい人かは良くわかりますが、この映画の後半、どんどん不条理になっていく展開は、主演を本人がやっていることもあり、「ポランスキーという人間そのまま」を描いているように見える。
私生活で波乱万丈で、相当なストレスや向かい風にあっていたポランスキーが「ふざけんな!」とばかり突き付けた、非常に私的な、私小説的な映画という印象。いわゆる「誰が観ても面白い」娯楽性なんて、ハナから眼中にない。
二度出てくるタバコの銘柄のシーン。ゴロワーズを買いたいのにマルボロしかなく、仕方なく吸っているうちマルボロを気に入っていくくだりは「流されるしかない人間。どう頑張っても変わらない世の中で、環境に順応し、自分自身を変えていくしか生きる術のない人間たち」を現す比喩表現だと解釈しています。この映画の中では、比較的、わかりやすいメタファー。
ただ、本当に頭がおかしければ、シャレにならなくて映画にもできないだろうし、映画を完成させることもできないでしょう。その時点で、常識的な客観性は健在である証拠。僕のいう「あたまおかしい」は独創的であるという褒め言葉。念のため。
この「テナント」を最初に観た時、なにより驚いたのはイザベル・アジャーニ。「アデルの恋の物語」の翌年ですよ。イザベルはまだ20代前半のはず。清楚なイメージのイザベル・アジャーニに、ださいメガネをかけさせ70年代丸出しのファッションで、自分から男の股間をまさぐる淫乱女をやらせる…なんて、やはりタダモノではない、ポランスキー。映画館の中でイザベルのおっぱいを揉むシーンは、ただただ羨ましい。監督本人があれやっちゃ妬まれます。カメラの廻っていないところでやってください。
▲こんな感じ。こんな感じでも充分に美しいイザベル。
問題児、ロマン・ポランスキーが、ある意味「やりきってる」映画ではあり、一見の価値はあり。