基本データ・おススメ度
『ジェーン・ドウの解剖』
原題:THE AUTOPSY OF JANE DOE
2016年 イギリス・アメリカ
監督:アンドレ・ウーブレダル
出演:エミール・ハーシュ、ブライアン・コックス、オフィリア・ラビボンド、マイケル・マケルハットン、オルウェン・ケリー
おススメ度★★★☆☆(3/5)
ほぼ密室、主要登場人物は3人と遺体、最初と最後に出てくる警部を入れても5人。心霊が引き起こす超常現象はありきたりで目新しい発想はないのですが、人物設定や物語をシンプルにまとめてある事と、映画が訴えたいテーマもシッカリしているので、映画として良質です。ずっと遺体解剖シーンが生々しく続くので、その辺苦手な人や、そもそもホラー嫌いな人にはおススメしませんが、面白い映画です。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
バージニア州の屋敷。複数の人間が惨殺されている。地下に、身元不明の若い女性の遺体があった。殺されている家主たちとは無関係とのこと。女性刑事がいう「まるで、逃げようとしたる被害者みたいですね。」
場面は変わって遺体安置所(※以降。物語は全編、この家の中で進行する)。家の造りは古いが、広く、解剖室でもあり、焼却炉もある火葬場でもあった。ここで遺体を解剖して死因を特定するのが、トミーとオースティン親子の仕事だった。
そこにやってきたのは、息子オースティンの彼女エマ。デートの約束で彼を迎えにきた。しかし、そこに保安官が身元不明の遺体を運びこんでくる。気になったオースティンは家の残り、解剖を手伝うことにし、エマは「後でまた来て」と一旦、家に帰した。
4人が殺され手がかりもなにもない。不可解な事件の現場にあった「ジェーン・ドウ(身元不明、誰でもない女性の呼称)」の解剖がはじまる。
しかし、遺体はところどころに不可解な面があり、死後硬直もなければ、メスを入れると血が出てくる。「死んだばかりなら血が出ることもある」と納得しようとするトミー。
体の骨は折れており、舌は切り取られ。前歯は一本抜かれていた。膣内は損傷。まるで拷問を受けたような形跡だったが、不思議なことに外傷は一切なかった。「どうやってやったんだ。」
やがて、解剖を進める彼らに、数々の不思議な現象が襲い掛かる
==以下、ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
解剖をはじめると、ラジオからポップな音楽が流れはじめ、蛍光灯がちらついたが、気にせず仕事を進める二人。
体内の状況は、一段と不可解だった。灰の中が真っ黒に焼けただれていた。誰かに焼かれていた。心臓にも切り傷が。「銃創もないのに銃弾が出たようなもんだ。」ボロボロの体内。しかし、彼女は原型をとどめている。
通気口の中に彼らの飼い猫が重症を負って閉じ込められていた。可哀想だが、安楽死させ焼却炉に入れた。ベテランのトミーが誤って手を怪我する。
外は嵐になってきた。ラジオでは外出は禁止とアナウンスがされる。
胃の中から毒草が出てきた。遠い北部に生息する毒草。不気味に感じてきたオースティンは「明日にしよう」と進言するが、トミーは「今夜中に死因を特定せねば」と却下する。
さらに胃の中から、象形文字のような文字や絵が描かれた布が出てくる。アラビア数字で「27」とも書いてある。辞典などと照らしあわせながら、解読しようとする二人。
やがて、家の中で物音が激しくなったり、扉が開かなくなっていたり、他の遺体が二人を襲ってくる幻覚も見るようになる。ラジオからはまた「例の童謡」が流れ出す。
「逃げたほうがいい…。」
彼女の皮膚の裏全体に、布と同じような文字や絵をみつけた頃には、それを納得するだけの推理も底をつき、二人は「これは絶対におかしい」と確信し、逃げ出そうとするが、エレベーターも動かず、携帯の電波も通じない。地上へ出る出口は開かない。
「彼女がやってるんだ。」
遺体が襲ってきたと思い、斧で反撃すると、それはオースティンの彼女・エマだった。血を流し絶命するエマ。トミーは自責の念にアタマを抱える。
遺体を燃やそうとするが、火をつけて燃え上がったはずのジェーンの遺体は一切損傷せず、家やモノだけが燃える。急いで消火する。
布に書いたる文字の謎が解けた。彼女は、17世紀の魔女狩りの犠牲者で、拷問された遺体なのだ。そして、多くの女性と同様に、魔女の濡れぎぬを着せられて殺された。ジェーンは、解剖の痛みも感じながら、まだ生きていると。そして復讐として自分たちを苦しめてるのだと。
「死因がわからないはずだ。彼女は生きてるんだから。」
トミーはジェーンに「俺が犠牲になる。息子だけは助けてくれ」と話しかける。するとトミーはまるで何者かに襲われているように苦しみだし、身体から血を流す。「俺を殺せ」と言うトミー。苦しむ父をみてナイフを突き刺し安楽死させるオースティン。その後、トミーも階段から転落して死亡する。
翌朝、刑事たちがやってくるが、映画冒頭の事件と同様に「なにが起こったのか」わからない。
いつのまにか解剖したはずのジェーンの遺体は元の綺麗な状態に戻っている。「この遺体を群の外に出せ。」と指示する警部。ジェーンの遺体は、また別の司法解剖に廻されることに。
ジェーンを乗せた車のラジオからは「例の歌」が流れ出し。そして、ジェーンの足の指が、少し動いた。
つまりこういう映画(語りポイント)
まずは悪いところ。
心霊ホラーの、都合の良いところでもありウイークポイントでもあるのが、いろいろ起こった不思議なことがすべて「心霊だから」で片づけられてしまうところ。いや、心霊だから…が正解なので、それで良いですし、この映画の場合は「魔女狩りの犠牲者だった」というのがネタになっているので、超常現象自体にタネ明かしがなくても問題はないのですが。
「なんでもアリ」が約束事になってしまうと、それこそ何が起こっても驚かなくなってしまう。むしろ、いっそのこと「虐待された猫が大きくなって二人を襲ってくる」くらいのことをやって欲しくなる。とことん突き抜けてくれたら拍手なのですが、起こる出来事は、どこかのホラー映画で観たことのある事象ばかり。誰もが予想できる範疇でしかない。
この映画、面白いのです。観ていて面白いのですが、せっかく「魔女狩りの犠牲者だった」「何百年も彼女は生きている」という面白いネタバレに持って行っているのに、実際に起こる現象がありきたりすぎて、もったいない。他の遺体が襲ってくる…なんて、うーん、陳腐に感じさせるだけのような気が、そこは好みでしょうけど。
良いところ。
まず、ありがちな「(強盗などの)悪い奴らが現れて殺される」なんてパターンもない。襲われる親子は、何の罪もない善人なのです。だから陳腐な勧善懲悪にならず、この映画が訴えたいことに直結させている。
この映画が訴えたいことは、「悪意のない愚行」「正義を傘に来た邪悪」…まさに中世の魔女狩りにもつながる、人間の行動の愚かさや理不尽さでしょう。「本当に怖いのは人間」ということ。そこがシッカリとあるから、ただ不思議なことが起こって怖いというだけの映画にはなっていない。その点で「良質」といえる映画だと思います。
ホラーでグロい描写もあるのに良質?と異議が出そうですが、何の心配もなく家族全員で観れるハートウォーミングだけが「良質」ではない。しっかりと、作り手が訴えたいテーマがあるのが「良い映画」。
余計な登場人物が出て来ないのも好感が持てます。必要な人間しか出てこない。ややこしい人物相関図なんて考えなくていいのは良いところ。
それにしても、ずっと遺体役で寝ているジェーン・ドウ役の女優さん。モデルさんらしいのですが、モザイクが入っていましたが、あれは本国では局部までハッキリ見えているということでしょうか?あの役を、日本の売れっ子モデルがやるかと言ったら絶対にやらないでしょう。そのあたり、いつものことながら日米、日欧の俳優のプロ意識の違いにため息が出ます。まぁ、もらえるギャラが桁違いという事情もありますが…。
ちなみに彼女の名前「ジェーン・ドウ」は「誰でもない、身元不明」という意味あいがあります。男性の場合は「ジョン・ドウ」…『セブン』の犯人の名前がジョン・ドウでしたね。