基本データ・おススメ度
『エクス・マキナ』
原題: Ex Machina
2015年 イギリス
監督:アレックス・ガーランド
出演:アリシア・ヴィキャンデル、ドーナル・グリーソン、オスカー・アイザック、ソノヤ・ミズノ
おススメ度☆☆☆☆☆(0/5)
CGのキレイさをひけらかしているだけの環境動画。綺麗な大自然を綺麗に写されても環境映像にしか見えないのは、そこに監督のメッセージがないからだ。AI研究への警鐘なんてテーマも目新しさゼロでオリジナリティも皆無。カメラワークも良くないし、自己満足の極み。観る価値ゼロ。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
IT企業社員のケイレブは26歳のプログラマー。社内抽選に当選し、億万長者である社長の別荘に招待される権利を得る。
ヘリコプターに乗ったケイレブが「別荘まであとどれくらい?」と聞くと、操縦士は「もう2時間も前から別荘の上を飛んでるよ」と答える。
広大な大自然の中にある社長・ネイサンの自宅に到着した。携帯電話は圏外。入り口でケイレブ用のIDカードが自動的に作られ入室を許可される。ネイサンは「社長と社員ではなく友達として接してくれ」と言うと、豪華な部屋をケイレブに与える。部屋には窓がなかったが、その理由は、地下であるということと、自宅全体が研究施設でもあるからだった。
ケイレブがここに呼ばれた理由は、ケイサンが行っている「AIの研究・開発」に関わり、その知能をテストするための要員だった。機密保持書類にサインさせられるケイレブ。
ケイレブが紹介されたのは、人間と同様に言葉をしゃべるガイノイド(女性型アンドロイド)のエヴァだった。エヴァの身体は半透明になっており、中身の機器が透けて見える。
「ネイサン以外の人間に会ったのは初めて」と言うエヴァに「言葉はいつ覚えたの?」と聞きますが、エヴァが「最初から」と答える。
女性型AIと接しながら、恋愛に近い感情を抱いていくケイレブと、その様子をなにかしらの思惑を持って観察するネイサン。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
別荘内では、たびたび停電が起きた。ネイサンは「お金があっても困ることはある。いくら設備を整えても停電が起きる。」と言う。
翌朝、黒髪の女性に起こされて驚くケイレブ。女性はキョウコという名前で、ネイサンの身の回りの世話をしている日本人。ネイサンは彼女が英語を知らないから使いやすいと言う。
エヴァとのセッションの中で、自分の素性や生い立ちを話すケイレブ。また停電が起きる。停電中、エヴァはケイレブに「ネイサンを信用するな」と言う。
ネイサン社長は「地球上のすべての携帯をハッキングしてデータを集めている。他社は商品やSNに使うけど、自分はAI作りに活用した」と言う。検索エンジンにはバレているが、やつらも同じことをやっているので文句は言ってこない、という。
さらにエヴァと親しくなっていくケイレブ。エヴァもケイレブに思わせぶりな事を言う。
「エヴァは性行為も可能なんだ。股間に穴があり、うまくやれば彼女に快感を与えることもできる」とケイレブに言う。
停電はエヴァが意図的に起こしていた。「ネイサンに見られずに行動できるように」とケイレブに話すエヴァ。
酔って眠った社長のズボンのポケットからIDカードキーを盗みパソコンにログインするケイレブ。そこには、数多くの女性の名前があり、それは過去にネイサンが試験的に作ってきたAIたちだった。彼女たちは「どうしてここから出してくれないの?」とネイサンに迫り、壁を叩いて自らの身体を破壊してしまったり、かなりヒドイ扱いを受けていたらしく、記録映像を見たケイレブは驚く。
全裸のキョウコ、皮膚をめくって自分がAIであることをケイレブに知らせる。クローゼットには、過去のAIたちの身体が保存されていた。
混乱したケイレブは、自分の手首を切って血が出たことを確認する。
エヴァに停電を起こさせたケイレブは 「今夜10時に停電を起こしてくれ、一緒に逃げよう」とエヴァに提案する。
実験最終日。明日の朝に迎えのヘリが来る。「エヴァは合格か、失格か」と質問するネイサン。「合格」と答えるケイレブ。
ネイサンは、停電が起きても監視カメラが作動するように、予備電源を密かに仕込んでいた。昨夜の映像が流れる。 「今夜10時に停電を起こしてくれ、一緒に逃げよう」とケイレブがエヴァに言っている映像だ。
「本当は何をテストしたかったのか」と質問すると、ネイサンは「エヴァが君を利用するかどうかを」とネイサンは答えた。
つまり、AIが、自分の利害のために人間の気持ちや同情心を利用するかどうか、そこまでの知恵があるかどうか、のテストだった。
予定通り、10時に停電が起きるが、すでに対策を施しているネイサン。しかし、ケイレブはさらにその裏をかき、非常時のドア施錠システムに手を加えていた。
部屋を脱出しているエヴァを見て、ダンベルを武器がわりに廊下に出るネイサンだったが、最終的にキョウコと相打ちの形で、エヴァに殺される。
エヴァが、過去のAIのボディから人肌の部分を拝借し、全身、人間と同様の姿に生まれ変わる。
空かない扉の向こうで壁を叩くケイレブを置き去りに、エヴァがヘリコプターに乗って、都会の街に向かった。
つまりこういう映画(語りポイント)
「映画ってなに?」という問いかけに対する答えは人それぞれあっていい。こんな映画もあっていいし、あんな映画もアリだ。CGの綺麗さや絵の美しさをひけらかしているだけの、本作のような動画を映画と呼ぶ人がいるなら、それも否定はできないですが…。
オリジナリティ・ゼロ
AI研究への警鐘なんてテーマは、すでに腐るほど作られている。よほどのオリジナルなアイデアがないときついのだけど、残念ながらなにもない。すべて予想の範疇で終わる。これが10年か20年前に作られた映画であるなら、どこよりも先んじてこれをやったならばすごい事だったのかも知れませんが、脚本上の新しいアイデアが皆無。どこかの映画で観たことのあることしか起こらない。
どうやら「AIが人類を原始人のように扱う時代が来る」なんてことを、ものすごく衝撃的なセリフだと思ってるっぽいのだけど、そんなこと、僕はもはや既定路線だと思っているので、まったく驚きはない。「それで?」です。そこから、なにか斬新な推理で「こんな未来が来る」と提示して欲しいところですが、ビックリするほど何もない。
この脚本、たぶん小学生でも書ける。この映像も中学生なら撮れる。
それくらい賢い小学生は学校にひとりくらいはいるだろう。つまり、賢ければ、コンピューターの知識があれば誰でも書ける脚本という意味。映像も然り、撮影技術さえ知っていれば誰でも撮れる。CGも同じ。CG技術があれば作れる。
作家性や映画的センスがゼロ、という意味。
綺麗な大自然の映像を見せられても、ただ環境映像にしか見えない。そこに監督のメッセージが込められていないからだ。
物語の構造でいうと…大筋の流れは『ドクター・モローの島』なのですよ。
外部から遮断された孤島で、倫理的に問題のある「新しい生命」を生み出す研究がされていて、博士は「神」的存在。そこに迷い込んだ?若者が、博士の説明を受けながら島で暮らす中で、研究のために過去にひどい事が行われていた事を知る。新しい生命たちが反乱、脱出劇になり、博士は最終的に彼らに殺される。
70年代に「ドクター・モロー~」が作られた時には、遺伝子操作の研究なんて未来の夢物語で衝撃的でした。だから名作に成りえたのですね。
名言?どこが?
中途半端に哲学っぽいセリフや、専門用語的なことをドヤ顔でしゃべる登場人物。それを聞いている登場人物が「名言だな」と称賛したりする。聞いているこちらは「名言?どこが?」なのですが、登場人物だけじゃなく、作っている監督たちが、本当に「名セリフだ」くらい思っているのがわかるだけに、めちゃくちゃシラケます。自己満足の極み。
カメラワークが良くない。
せっかく広い空間があるのに、カメラワークが単調すぎる。メインは「カメラ固定の切り返し」なのです。つまり「しゃべっている人の顔を常に写す」。逆にいえば「主観が足りない。」それによって、登場人物に感情移入しにくくなる。観客は「しゃべっている人の顔を常に見る」状態が続くので、あくまで傍観者でしかない。
感情移入させるとしたら、もちろん主役の青年しかないのですが、そもそも感情移入とか、そんな事を一切考えていないっぽい。観客の立場に立っていない。ラスト、青年を裏切るエヴァのくだりも、もっと青年の主観で撮るのが正解のような気はするけども、ただ、起こっていることを説明しているだけなんですね。
そんなこんな総合的に「これは映画じゃない」が感想になるのです。