【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『カリフォルニア(1993)』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度 

『カリフォルニア(1993)』
原題:Kalifornia
1993年 アメリカ
監督:ドミニク・セナ
出演:ブラッド・ピット、ジュリエット・ルイス、デイヴィッド・ドゥカヴニー、ミシェル・フォーブス

 おススメ度★★★★★(5/5)

 誰かに毒を差し出され「これは毒だ」とわかっていても、いっそ思い切って飲み干すことで物事が好転する場合がある…毒を食らわば皿まで。そんな映画。
 世間の低評価もなんのその。キレッキレの悪たれ小僧、ブラッド・ピット&最凶メンヘラ娘、ジュリエット・ルイスの真骨頂。観る人を選ぶ映画ですが、個人的には大好きな傑作。なんなら一晩中、語れます。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 犯罪心理学を研究するルポライター、ブライアン(デイヴィッド・ドゥカヴニー)が同僚相手に「連続殺人犯は子供のようなものだ。彼らに必要なのは治療だ。電気椅子じゃない。」と持論を展開。同僚は「お前の家族がやられてもか?」と突っ込むが「電気椅子に座らせても家族は帰ってこない。」と譲らない。

 「犯罪者と普通の人間の違いがわからない。なにが違うんだ。同じ人間なのに。」と考え続けている。

 ブライアンの彼女は写真家のキャリー(ミシェル・フォーブス)。キャリーはポルノグラフィを撮っていたが、彼女の撮る写真は大衆受けせずチャンスを掴めずにいた。

 二人とも仕事に行き詰っていた。ブライアンは、自分が殺人現場を取材してレポートし、キャリーが現場写真を撮って出版すると云うプランを提案する。当初は乗り気ではなかったキャリーだが、最終目的地がカリフォルニアだと聞いて喜ぶ。カリフォルニアは夢と希望の町。心機一転には絶好だった。

 トレーラーハウスに住むアーリー(ブラッド・ピット)と、やや知能が足りなそうなアデール(ジュリエット・ルイス)。大家に家賃滞納で立ち退きを迫られている。仮釈放中のア―リーの元に義手の監視官がやってくる。「お前は州から出られない身だ。仕事を探してきてやったから行け。」と、町のゴミさらいの仕事を紹介するが、アーリーは行く気ゼロ。

 カリフォルニアまでの同乗者を探せばガソリン代が半分になると考えたブライアンは「同乗者募集」の張り紙を出した。「一週間殺人現場ツアー」と題した。張り紙を見たアーリーが電話をかけ、ブライアンは面接もなしに決めた。他に応募者がいなかったからだ。

 夜、アーリーは、トレーラーハウスの横になぜか穴を掘りながら、アデールにカリフォルニアの話をする。喜ぶアデールだが心配はあった。「やっぱりやめようよ。あんたはこの州出たらつかまっちゃうじゃん。」と言うが、アーリーは聞く耳を持たない。

 待ち合わせ。アーリーたちの風貌を見て不安になるキャリーだが、ブライアンは「人はみかけじゃない」と自分に言いきかせる。出発。

 その頃、アーリーがいたトレーラーハウスが焼けていた。警察の会話「自分で火をつけたようだ。」「なんのために?」」「さぁ?」「ところで大家さんは?」。大家さんは、前日にアーリーが掘っていた穴の中で遺体で発見された。

 アーリーは平気で人を殺す破滅的な男だった。

▼▼以下ネタバレ▼▼

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ネタバレあらすじ

 テネシー、ある殺人事件の現場となった邸宅。キャリーが家の周りで写真を撮る。テープレコーダーに状況を吹き込むブライアン。しかし、住人から「この墓荒らしめ」と罵倒され門前払い。その間に、アーリーは窓から手を伸ばし、机の上にあったバッグを盗んでいた。

 モーテルに泊まる四人。夕食中にアーリーが靴を脱いで足をかく。それを見て驚くキャリー。靴下も穴だらけだ。食べ終わると、アーリーは「次払うからここ頼む」と、お金を払わずさっさと行ってしまう。部屋に戻ったキャリーはブライアンに文句を言うが、ブライアンは「君がそんな偏見を持っている人だったとは。」と言います。「食事中に靴下脱ぐ男よ。偏見でもなんでもないわ。」と怒るキャリー。

 部屋でセックスするブライアンとキャリー。薄い壁ごしに声を聞いているアーリー。

 盗んだカバンの中からハサミをみつけたアーリーはアデールの髪を適当に切る。翌朝、そのザンバラ頭を見て驚くキャリー。「アーリーに切ってもらったの。」

 給油所。ブライアンがアーリーに「ここは君たちが支払う番だ。」と告げると、アーリーは給油所のトレイに行き、用を足していた大男をナイフでメッタ刺しにして現金を奪う。洗面所で手を洗い、歯を磨いて出ていくアーリー。盗んだ金でガソリン代を払い、車を発進させる。

 四人はお互いに慣れてきた様子。キャリーはアデールと遊ぶのに疲れつつも気晴らしになっているし、ブライアンは、ある殺人事件について持論を語る。するとアーリーは「俺の考えを言う。録音するか?」と言い、テープレコーダーに向かって「俺が思うに、その犯人はまだ生きてるな。ジジイになってどこかのトレーラハウスに住み、毎晩思い出してはほくそ笑んでいる。」と言う。笑うブライアン。

 モーテル。ブライアンとアーリーは遊技場に出かけ、酒を飲みながらビリヤードをする。そこで、ブライアンに絡んできた酔っ払い男をアーリーがボコボコにする。駐車場でビールを飲みながら笑いあう。

 留守番をしている女二人。アエールはヒッチハイクをしていてアーリーと出会い、一緒に住み始めたと馴れ初めを話す。「カリフォルニアで四人で一緒に住めたら最高」というが、キャリーは「先のことはわからないわ。」とごまかす。「髪を切ってあげるわ。」と、キャリーはアデールのザンバラ頭を切り直しすために部屋に招く。そこで、昔、三人組の男にレイプされたことを告白し、アーリーと一緒にいるのは、もうあんな怖いメにあわないで済むからだと話す。さらに、アーリーが刑務所にいたこと。拳銃不法所持で捕まり、警官を半殺しにしたことまで話してしまう。

 ブライアンが戻ってくると、キャリーは「お友達のことで話がある」と、アデールに聞いた話をし「本当は殺人じゃないの?」と勘繰るが、ブライアンは「それなら州から出れないはずだろ。」と擁護する。

 人里離れた空き家でブライアンに銃の撃ちかたを指南するアーリー。ブライアンは初めて銃を撃って興奮するが、キャリーは呆れる。

 次の殺人現場めぐりは、テキサス州の食肉処理場。アーリーとアデールは車で待っているという。2人で中に入ったブライアンたち。キャリーはイライラが募っていて「いい加減にしてよ。」とキレる。
 キャリーがひとりで車に戻ろうとすると、車内でアーリーとアデールがファックしているのが見えた。驚いたキャリーは壁に隠れながら、その様子をカメラに収めます。それに気づいたアーリーが、ファインダーに向かって不敵な笑みを浮かべる。

 

 「アーリーを次の給油所で降ろさなければ、私が降りる」と言うキャリー。ブライアンは仕方なしに、アーリーたちに降りてくれと告げる。男二人が車内で交渉中、キャリーたちは給油所の中にいたが、給油所のテレビで、昨日アーリーが起こした殺人事件を報道していた。「犯人は四人組」とされている。そこにタイミング悪くブチ切れたアーリーが入ってきて、テレビを壊し、店から銃をうばい、戻ってきた給油所の従業員を撃ち殺してしまう。そして、銃でキャリーとブライアンを脅し、車を発進させる。

 「人殺し!」と叫ぶキャリーだが、アデールは「嘘。死んでないわ。殺してなんかいない」と言い、現実を見ようとしない。

 廃墟。銃を突きつけながらアデールに買いに行かせた食事をとるアーリーに「今までに何人殺した?」と聞くブライアン。アーリーは「お前、見たのか?俺が人を殺すところを。」と言い、ブライアンが「ない」と答えると「じゃ、ゼロってことだ。」と言う。さらに「お前は人を殺したことあるのか?現場を見たことは?ない?やったことも見たこともなくて、どうやって本書くんだ、タコ。」と言う。

 次の殺人現場、ネバダ州の鉱山。

 キャリーは、現実逃避するようにヨーヨーで遊んだりサボテンの話をするアデールに「しっかりして。あいつは殺人犯。わかって。」と説得するが、アデールは「嘘。なにかの間違い」と言い張り、泣き出してしまう。

 パトカーが立入禁止だと注意をしにきた。アーリーは迷わず、警官たちを全員撃ち殺した。アデールはここで初めてアーリーの殺人を見てしまい、動揺して泣き叫ぶ。

 逃げる車内。泣きながら耳をふさいでいるアデール。ブチ切れて叫ぶキャリー。

 民家をみつけ「ビールでも手にいれるか」とキャリーを連れて中に入っていくアーリー。中にはお婆さんがいたが、ブライアンとキャリーをピアノの足に縛りつけたアーリーは、二階に上がってまず初老のご主人をゴルフクラブで殴り殺す。
 
 アーリーの隙をついて、アデールがお婆さんを外に逃がした。気づいたアーリーが追いかけ銃を乱射するが、アデールが植木鉢でアーリーを殴る。

 額から血を流し「なにするんだ。」と怒るアーリーに「あたし決めた。あんた悪い人。もう一緒にいかない。あんたひどい人だもん」と泣くアデール。アーリーは用済みとばかり、アデールを撃ち殺す。

 「新しい女が必要だ」と言うと、キャリーを連れていこうとする。抵抗する二人だが、ブライアンが撃たれそうになり「わかった。行く。言う通りにするから、その人を殺さないで!」と泣き叫ぶキャリー。

 キャリーにアデールが来ていた服を着せ、車で連れ去るアーリー。もはやキャリーは無表情。サボテンの鉢に囲まれ絶命しているアデール。

 お婆さんが家に戻ってきてブライアンの縄を解き、車を貸す。借りた車で後を追うブライアン。

 核実験地区の空き家に入るアーリーたち。アーリーは実験用のマネキンが転がる室内で、キャリーの胸と尻の感触を確かめる。持っていたガラス片でアーリーの腹を刺し、げるキャリー。しかし、捕まってベッドに手錠で拘束され、アーリーに犯される。

 翌朝、追ってきたブライアンが部屋に侵入してアーリーと格闘。キャリーと協力をしてなんとかアーリーを倒し、ためらいながらも、ブライアンはアーリーの喉元に密着させた銃の引き金を引いた。パトカーのサイレンが鳴り響く。

 数か月後(数年後?)

 カリフォルニアの家で暮らすブライアンとキャリー。ブライアンが執筆している「彼がなぜ殺人者になったかは結局わからない。ただ、彼らと普通の人間の違いはわかった。良心の呵責があるかないか、だ。」ブライアンは、仕方なかったとはいえ、自分の手で人を殺した事実にしばらくの間、苦しんでいたようだ。

 キャリーが帰宅する。キャリーの写真にギャラリーが興味を示してくれ、来週、プレゼンに行くことが決まったらしい。喜ぶ二人。

 取材用のテープが再生されている。2人が部屋を出て行った後、レコーダーからアデールの声が聞こえてきた。

 「ハ~イ。誰だかわかる?アデールよ。どうして勝手にテープレコーダーに録音してるかというと、二人にお礼がいいたいから。一緒に連れていいてくれて、楽しい日を過ごしてる。カリフォルニアに到着して離れ離れになっても友達でいてね。あたし、他に友達って呼べる人いないから。じゃあね、バイバイ……。」

 

つまりこういう映画(語りポイント)

 誰かに毒を差し出され「これは毒だ」とわかっても、いっそ思い切って飲み干すことで物事が好転する場合がある。

 連続殺人犯の心理について研究し「彼らと自分たちの違いってなんなんだ?同じ人間なのに、何が違うんだ?」と考え続けていたルポ・ライターが、ひょんなことから殺人鬼と行動を共にすることになり、壮絶な体験を経たことで、座学では決して得ることのできなかった答えを導きだす…というのが、この映画の本筋。

 ブライアンと同様、同行したカメラマンのキャリーも壮絶な体験に巻き込まれたことで行き詰っていた仕事がうまく回りはじめる…というストーリーは、思い切って毒を飲み干した(行動した)ことで、意識が少なからず変革し視野が広がった証。人間として表現者としての「成長」のメタファー。

 アーリー風に言うなら…「テメェの足りないオツムであれこれ考える前に、感覚で行動してみろや。到底理解できないと思う世界にだって、飛び込んでみな、巻き込まれてみな、きっと一皮むけるぜ。百聞は一見にしかず。毒を喰らわば皿まで。ってやつだよ。考えるな!感じろ!わかったかこのタコ!」

 …というのが、僕らが、この映画から受け取るべきメイン・メッセージ。もちろん、殺人や犯罪はもってのほかですが、それはあくまでメタファー。そういえばルポ・ライターのブライアンも、最初のほうで「事件は図書室で起こっているんじゃない(現場で起こってるんだ)。」と、どこかで聞いたことがあるようなセリフを言ってます。

 ブライアンの「答え」 

 物語中盤で、ブラッド・ピット演じるアーリーから「お前、人を殺したことあるか?人が殺されているところを見たことがあるか?ないだろ?殺したことも見たこともなくて、心理なんてわかるかよ。」と言われるたブライアンは、皮肉にも、愛する人と自分の人生を守るためにアーリーを殺すことになる。そして良心の呵責に苦しむ。

 結果「アーリー(殺人犯)と僕(普通の人)の違いは『良心の呵責があるかないか』だ。」との答えに至る。

 なんてことない答えのようで、僕は、この結論がおおいに腑に落ちます。そう、本当に邪悪な人間には「良心の呵責」が確かにないのです。どうして良心の呵責がないかというと、簡単な話で、「そもそも悪いと思っていない」から。だから感じようがない。むしろ正義だと信じて疑わない=偽善ゆえに罪の自覚がない場合が多いだけに自分が善人か悪人かの判別は、実のところわかりにくい。

 自分が「邪悪なもの」にならないためには、自分と他者、両サイドに常にアンテナを拡げておくしかないのでしょう。

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 アーリーの理由

 アーリーがなぜ破滅的な犯罪者になってしまったかは、劇中で触れられていない、しかし「鼻をならすクセがある」「常にオンナが必要」「アデールの代わりに連れて行ったキャリーに、アデールの服を着させている」「オンナが煙草を吸うのは許さない」「オンナの汚い言葉づかいも怒る」「太陽の光を見ると精神トリップする」「朝食はとらない」等、ヒントは全編に散りばめられている。箇条書きにするだけで、なんとなく想像はつきますよね。定番ではありますが「母」「家庭」…関連か。

 アデールとサボテン 

 過去のレイプ事件で心を病んだアデール。彼女が粗暴なアーリーと一緒にいた理由は「この人と一緒に居れば、もうあんな怖いメにあわずに済む」から。意外に打算的、そして、その楽しい日々を失いたくない気持ちから、現実を見ず、ギリギリまでアーリーが殺人犯であることを信じようとしない。認めようとしない。現実逃避と依存。そしてそれは、あくまで自分自身のため。
 
 人間の眼には死角があり、見たくないものは本当に見えないことがある。潜在意識が見ないように仕向けている場合がある。彼女がついにアーリーの殺人を目の前で見てしまった時の動揺は「事実を知ってしまった自分と、今後どうつきあっていくか。」という不安。これまで外に敵を想定して生きてきた彼女にとって「自分vs自分の戦い」は未知の恐怖。

 サボテンは強い。放っておいても勝手に育つ。依存症が強いアデールがサボテンに憧れるという設定は、彼女の中に「自立・強さへの憧れ」が強くあるというわかりやすい比喩。

 そんな彼女が、意を決して「あんた悪い人。もう一緒にいるのはやめる」宣言は、過去の自分との決別、力強い自立宣言に等しい。それだけに、直後にアーリーに殺されてしまうのが哀しい。

 「おっと、ムスコが呼んでるぜ。」

 劇中、ビリヤード場の駐車場でビールを飲んでいる時、アーリーが「おっと、ムスコが呼んでるぜ」と言い立小便を始める。つまり「おしっこがしたくなった」という意味のセリフ。その後、彼女が待つ部屋に酔って帰ったブライアンがトイレに行く際、彼女の前で同じセリフを言う。自分にはない面を持つアーリーに対する、あるいは野性的なふるまいへの憧れが芽生えていることがわかるシーン。

 瓶コーラを栓抜きなしで開ける。

 アーリーが、壁のカモイを使って瓶コーラの栓を簡単に開けるシーンがある。なにげないシーンですが、アーリーの害虫並みの生命力をあらわすウマい演出。

 ブラッド・ピットは「テルマ&ルイーズ(1991)」で注目の若手俳優となった2年後で、俳優としてアクセルを全開に踏み始めた頃。同年代でありリアルタイムでファンだった僕にとっては、さらに2年後の「12モンキーズ(1995)」でも見せたキレッキレの悪たれ小僧が、ブラピのイメージそのもの。

 ジュリエット・ルイスは、当時から大好きな女優さんでしたが、「蜘蛛女」「ギルバート・グレイプ」も同年。その後に「ナチュラル・ボーン・キラーズ」「ストレンジ・デイズ」「フロム・ダスク・ティル・ドーン 」…と続く三年くらいが魅力のピークだったと思います。その後、パンク・ロック・バンドに活動をシフトしていくあたりの行動センスもジュリエットらしくて良い。こんな物凄い芝居をする女優もそういない。

 観る人を選ぶ映画、ダメな人はとことんダメでしょう。ちらっとネットを検索しても、ボロクソに低評価の方も多い。でも僕は大絶賛の映画。こればかりは人それぞれ。
 
 ラスト、テープ・レコーダーから流れるジュリエット・ルイスの独白が切ない。  

▼ジュリエット・ルイスもういっちょ

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