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【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『フロム・ダスク・ティル・ドーン』を語れるようになるネタバレあらすじ

 基本データ・おススメ度

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『フロム・ダスク・ティル・ドーン』

原題:From Dusk Till Dawn
1996年 アメリカ
監督:クエンティン・タランティーノ
出演:ジョージ・クルーニー、クエンティン・タランティーノ、ハーヴェイ・カイテル、ジュリエット・ルイス、サルマ・ハエック、チーチ・マリン

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 好みは分かれる映画でしょうが、好きな人は大好き!な傑作。

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簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)

全米各地で強盗殺人を繰り広げたゲッコー兄弟は、警察の追及を振り切るべく、メキシコ国境を目指して逃亡を続ける…クエンティン・タランティーノお得意のおふざけ&スタイリッシュなギャング映画…と、思っていたら、後半あらびっくりの展開をみせる異色作。

ネタバレあらすじ

 人質を車のトランクに詰め込んで逃走しているゲッコー兄弟は、立ち寄ったコンビニエンスで、ちょっと頭のいかれた弟・リッチー(クエンティン・タランティーノ)の暴走から店員を殺したうえ店を爆発させる。さらにモーテルでは、人質の中年女性を無意味に惨殺するリッチー。弟のメチャクチャぶりに兄のセス(ジョージ・クルーニー)も「なんで人質を殺すんだ!」と呆れて怒る。彼らのボスであるカルロス(チーチ・マリン)と接触するためにメキシコへ向かうには人質が必要だ。

 モーテルには、元・牧師のジェイコブ(ハーヴェイ・カイテル)と娘のケイト(ジュリエット・ルイス)、息子のスコットが休憩に立ち寄っていた。ジェイコブは妻を亡くしたことから神の存在を信じなくなり牧師を辞めた男。セスたちは家族を脅し彼らのキャンピング・カーに乗り込む。国境を突破するための隠れ蓑。

 「国境を突破したら解放してやる。」との言葉に、ジェイコブたちも演技をし二人をアシストする。無事にメキシコに入るキャンピング・カー。

「良くやった。これで俺たちは友達だ」と意気上がるセス。カルロスと取引のために落ちあうクラブに到着。そこは、あきらかに荒くれ者なバイカーたちが集まり、ヌード・ダンサーが乱舞しているイケイケな店。

 呼び込みの男にパンチをくらわして店内に入るセスたち。「ここはバイカーかトラック運転手じゃねぇと酒を出せねぇ。帰れ。」と門前払いをくらいそうになるが、ジェイコブが大型トラックの免許証を見せて入店を許される。セスとリッチーの荒っぽい飲み方に眉をひそめるジェイコブだったが、娘のケイトたちはセスの挑発に乗ってショットを一気飲みしたりする。 

  踊り子サンタニコ(サルマ・ハエック)が登場したあたりから、様子がおかしくなってくる。

 入店する前のいざこざが蒸し返され、店の用心棒と喧嘩になる。血を見たサンタ・ニコがヴァンパイアの本性を現し、リッチーが噛まれて殺されてしまう。

 店内にいたダンサーやバンドマンたちが次々にヴァンパイアに変わっていく。セスたちは、どうやら人間を保っているらしき数人の男たちと一緒に大勢のヴァンパイアたちと乱闘を繰り広げる。さらには噛まれたリッチーまでもヴァンパイアとして蘇生し襲い掛かってくる。一緒に戦っていた男たちも噛まれ、最終的にはヴァンパイアになってしまった。
 
 奥の倉庫に逃げ込んだセスたち。フロアに残ってしまったジェイコブは、ショットガンと鉄の棒で十字架を作り神父の威光でヴァンパイアをかわす。しかし、すでに噛まれていたジェイコブは「わしもそのうちヴァンパイアになる。そうなったら躊躇なくワシを殺せ」と娘たちに告げる。

 最後に残ったのはセス(ジョージ・クルーニー)とケイト(ジュリエット・ルイス)。死も覚悟し、残ったヴァンパイアと戦っているうちに外は夜が明けていた。
 万事休すのところで、セスが撃った銃弾が壁に穴を開け、外から日光が差し込んできた。日光に触れると爆発するヴァンパイア。「壁を撃つんだ!」壁にどんどん穴をあけ、日光のバリアーで身を守るセスとケイト。

 そこに、約束していたカルロスがやってくる。「セス、中にいるのか?」「カルロス!ぶち破ってくれ」。カルロスたちが入り口をぶちやぶる。続々と爆発するヴァンパイアたち。ようやく全滅。

 仕事の取り分の交渉をするカルロスとセス。やがて交渉成立し、カネを受け取る。セスは金の半分をケイトに渡し、クルマで去っていく。
ひとり残されたケイトも、セスに連れて行ってもらえなかったことにいじけながら、大型キャンピング・カーを運転して去っていく。

つまりこんな映画(語りポイント)

 「リトマス試験紙」になる映画がある。これもそのひとつ。

 「この映画が好きか嫌いか、面白いか面白くないか」にハッキリわかれる、それによってなんとなく嗜好がわかるという映画ってありますよね。
 例えば「ダンサー・イン・ザ・ダーク」がそうで、あれを絶望と捉える人もいれば(それが大多数)、希望と捉える人、ギャグと捉える人…等、観た側がいくつかのタイプに分類される映画を、個人的に「リトマス試験紙」と呼んでいます。
 僕は公開当時、この「フロム・ダスク・ティル・ドーン」、事前情報ほぼゼロの状態で映画館で観ました。で、驚きのあまり後ろの席にひっくり返りそうになりながら大笑いしていたクチです。同時期、「意味わからない」「ふざけすぎ」「面白くない」という意見の友達もいれば、僕同様に「最高!」と絶賛する人もいました。
 どちらが「鑑賞者として正しい」わけでもなく、どちらが「崇高」なんて話でもない。どちらも正しい。映画に何を求めて観るかの問題だから。特にこの映画に関しては、強いていうなら「おふざけが好きか嫌いか」程度の違いか。僕はこの、タランティーノとロドリゲスが「テキトーにふざけてる感じ」が大好きです。同じふざけるにしても「全力」と「テキトー」がありますが、全力だと逆に引いてしまいます。「テキトー」が良い意味で心地良いのです。

 「船頭多くして船山に登る。」のが映画。

 新人監督の持ち込み脚本なら絶対にこんな映画は作れない。企画を通す段階でたくさんの人の意見が入り「どうしていきなりヴァンパイアになるんだ。マジメに書き直せ」なんてことになる。船頭多くして船山に登る…映画が失敗する一番の理由はそれ。
 ヴァンパイアが出ていく話でGOが出たとしても、そこから「それなら前半から伏線を張るんだ。伏線って知らんのか?ほら、冒頭でコウモリを飛ばすとかさ、街の人間が行方不明になってる事件が起こってるとかさ、なんかあるだろ?」なんて知ったような口をきく奴が出てくる。そんなダメ出しを内心で「アホか」と思いながら、若いタランティーノとロドリゲスは愚痴りながら嫌々、脚本を改訂することになる。
 でもそうじゃない。二人とも調子に乗ってるときだから好きなことができた。「これやろうぜ」「面白い」で、やりたいことやったからこうなった。だから面白い。

 この映画の面白さは「ギャング映画が【何の前フリもなしに】いきなりヴァンパイアとの戦いになる」点に尽きる。前フリなし】だから良いんです。
 
 前半から、ジワジワとふざけてる感を感じることができる。
 そもそも、あのハーヴェイ・カイテルが神父という時点で少しふざけてる。そして、その息子東洋人の少年。「なんで思い切り東洋人なんだよ」と思うとジワジワと腹の中で笑いが…。

 もちろん、ふざけてるだけじゃない。それらしきテーマはある。

 妻をなくしたために神を信じなくなった元・牧師が、銃を十字架がわりにかまえて「私は牧師だ。かかってこれるもんならかかってこい」とばかり、ヴァンパイアの大群にひとりで対峙するところにも、それぞれが感じる何かしらのメッセージはあるはず。
 信仰に関する捉え方は人それぞれで断定はしにくいのだけど、僕が瞬間的に感じた解釈は単純なこと。
「机上の勉強や思考だけで完結すると思っているのは大間違い。自分が経験して感じること、生の体験から感じるなにか、当事者になった時に初めてわかるなにか、大事なことは外にある。」というメッセージだった。

 怖がりでおとなしい娘だったジュリエット・ルイスが、後半はすっかりたくましくなりヴァンパイアを蹴散らすところも、経験からグングン成長する子供の吸収力や生命力を感じる。

 ちょっと名言ぽいセリフ&シーンをひとつ。

 元牧師ジェイコブが、常に乱暴なふるまいをするセスに「どうしてそんなにイライラしているんだ。お前はバカか。」という。馬鹿と言われて怒りそうなセスにさらに「国境警備隊がお前らを探し回ったのにみつけられなかった。そしてお前はメキシコにいる。お前は勝ったんだ。お前は自分が勝っていることもわからない馬鹿なのか?素直に喜べ。」と悟す。セスは納得し「俺と乾杯をしてくれ」とグラスを差し出す。

 セスの終始強気なふるまいの裏にはコンプレックスがあり「常に誰かに負けてる。こいつには勝ってるけどこいつには負けてる」…そんなことばかりを考えて生きているタイプ。ジェイコブは、セスの性格を考慮したうえで「お前は勝っている=お前の希望通りになっている。安心しろ」と、猛獣にエサをやるように大人しくさせたわけですね。人間の行動の結果に「勝ち負け」はない。それがわかっていれば人間は温厚でいれるはず。「勝ち負けはない」を教えるのに「お前は勝っている」と。勝ってるんだからもう戦うな、戦う必要なんてないだろ?…的に誘導する。かっこいいシーンなんですね。牧師らしい。

 ラストがまたふざけてるんだけども…

 親子の愛、兄弟愛、等を描きながら、それでも「俺は弟が死んだんだ。悪いが…俺の取り分を上げてくれ。と、サラッと交渉材料に使うジョージ・クルーニー。
 家族全員が死んだ悲しみに暮れるわけでもなく、大型のキャンピング・カーを自分で運転していくジュリエット・ルイス。
  このあたりも「ふざけてる」「ありえない」と理解する気なく突き放すのも簡単だけど、そこは…、
「哀しんでても何も変わらないし」
「それより、そろそろ腹減った。」
「あれ?人間って意外に強い」
「だって簡単に死ねないからね」
「死ねないなら生きていくしかないし。」
「仕方ないな。生きるか」

…なんて調子で生きていけたら、人間ってめっちゃ強いということになる。

 ラストはそんな力強いメッセージ。

 この映画のテーマは「生命力」。

 そういえばヴァンパイアは不老不死だし…なんて考えると、えらくマトモな映画に思えてきた。タランティーノとロドリゲスは決してふざけていたわけではない…?…かも。