【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『ドッグヴィル』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度 

『ドッグヴィル』

原題:Dogville

2003年 デンマーク

監督:ラース・フォン・トリアー
主演:ニコール・キッドマン、ポール・ベタニー、クロエ・セヴィニー、ステラン・スカルズガルド

 おススメ度★★★★★(5/5)

 絶対的嫌悪感を抱く人が多い中、あえて★5。演劇的な手法に興味のない人でも、こういう世界(作品)があるということを知っていて損はない。

   度々のレイプシーンに挑むなど、ニコール・キッドマンの体当たり演技も見どころ。善と悪の逆転現象、愚かな人間の業…鬼才ラース・フォン・トリアーの「アメリカ大嫌い3部作」のひとつ。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

舞台は大恐慌時代。廃れた鉱山町ドッグヴィル。医者の息子トム(ベタニー)は偉大な作家となって人々に彼のすばらしい道徳を伝えることを夢見ていた。

そこにギャングに追われたグレース(キッドマン)が逃げ込んでくる。トムは追われている理由をかたくなに口にしないグレースを受け入れ、かくまうことこそが道徳の実践だと確信し、町の人々にグレースの奉仕と引き換えに彼女をかくまうことを提案する。

グレースは受け入れてもらうために必死で努力し、いつの日か町の人と心が通うようになる。しかし、住人の態度は次第に身勝手なエゴへと変貌していく。
(wikipediaより)

 ここがネタバレ

 ギャングに追われる女・グレースが、小さな町・ドッグヴィルに逃げてきた。町民は彼女をかくまうことにするが、やがて、町ぐるみの陰湿ないじめが始まる。

 重いタイヤにつながった首輪をはめられ、町の男全員にレイプされ、これでもかと虐待されボロボロになった挙句、グレースは、ついに町民たちによってギャングに引き渡されることになる。

 実はグレースはギャングのボスのひとり娘だった。

父親の汚い仕事を継ぐのが嫌で逃げていたのだ。グレースは、その場で跡継ぎを承諾し、部下たちに、町民を皆殺しにして町を焼き払うよう指示する。

 町は焼け、誰もいなくなり、残ったのは犬のモーゼスだけだった。

※詳細なあらすじは

 ドッグヴィル - Wikipedia に記載があります。

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 つまりこんな映画(語りポイント)

 普通の人間の「偽善」が最も怖い。

 普通の人間である町民たちが、どんどん邪悪になっていき、最後は観客も、普通の町民に悪を感じ、悪い人たちのはずのギャングが町民を皆殺しにして町を焼き払うシーンで、まるで勧善懲悪のようなカタルシスを覚えることになる。善悪が逆なのに。

 この「善悪の逆転現象」を観客に体感させるのがこの映画の目的である、と言い切ってしまっても過言ではない。

 精神的に壊れた人の言動・行動の動機は、すべて「自己正当化」であり、その方法論は「他者への攻撃」。当人には、その言動や行動がみっともない(=邪悪)という自覚がなく、むしろ「正義」だと信じて疑わない。


 「道徳」を振りかざし他人を傷つける。自ら課した道徳感に縛られるが故に、逆に、邪悪な行動を起こす登場人物。

     そう、彼らが「自分が正義」と思い込むために必要なアイテムが「道徳」なのです。道徳を盾にして他者を批判する。どんだけ緩みがないんだと思いますが、それはきっと「経験」がないから。罪を犯した経験のない人間に罪は語れない。

  

 「平気で嘘をつく人たち」と云う心理学の本がある。映画・ドッグヴィルは、この本を原作にしたのでないかと思うほどテーマがリンクしている。本では、さらに突っ込んで、邪悪や偽善の原因=ナルシズムであると書いている。自分への愛を守るために他者を攻撃する。

 

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

 

  本の最後の訳者の言葉。

「善とは何か、悪とは何かを考え、そこに安易に答えをみつけようとすると、宗教的、カリスマ的、組織的な結論にたどり着いてしまう危険性がある。むしろ答えにはたどり着かない方が良くて『そのことについて考え続ける事』が答えである」

 これは、まんまこの映画の正しい鑑賞法でもある。

 

【おまけ】マジギレのニコール・キッドマンが見れる…DVD「ドッグヴィルの告白」(メイキング)

 「ドッグヴィルの告白」という題名のメイキングムービーがある。

 舞台のような…いや、舞台劇よりも簡素な造りのセットでは、遠くにいる人まで常に見切れてしまうため、俳優たちは自分の登場シーンでなくても、常に現場にいなければいけない。日々、衣装を来て一日中スタンバイしているだけでも大変だが、それ以上に大変なのは、監督がラース・フォン・トリアーだったことだろう。

 撮影中の関係者のストレスたるや、想像に難くない。セットの横にはなぜか「独白室」のような個室が用意されておりカメラが廻っている。そこに入った素のニコール・キッドマンがカメラに向かって言う。

 「あんなクレイジーな監督と、もう一日足りとも一緒にいたくない。早く、早くお家に帰りたい!」
 狂人、ラース・フォン・トリアー。最高です。 

▼その10年後のラース・フォン・トリアー「ニンフォマニアック」

 

 ▼ラース・フォン・トリアーがこの映画を参考にしたかどうかは不明ですが、村社会、集団心理、いじめ、報復…物語の流れが似ている。

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