基本データ・おススメ度
『21グラム』原題:21grams 2003年 アメリカ
監督:アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ
出演:ショーン・ペン、ナオミ・ワッツ、ベ二チオ・デルトロ、シャルロット・ゲンズブール
おススメ度★★★★★(5/5)
「バードマン」でもない「レヴェナント」でもない…「本来のイニャリトゥ映画」を知るにはコレ。テーマは「人生の(運命の)どうしようもなさ」「誰にも、どうすることもできない哀しみ。」そこから「他人を恨むことの無意味さ。」を訴えたいのでしょう。とてつもなく重いですが、僕は生涯五本指くらいに好きな映画です。この映画を好きな人と、僕はお酒を飲みたい。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
大学で数学を教えるポールは余命1か月と宣告され心臓のドナーを待つ日々。また、夫と二人の幼い娘と幸せな生活を送るクリスティーナ。一方、前科を持つジャックは、神への信仰を生きがいに妻と二人の子供と暮らしていた。だが、ジャックが起こした悲劇的な事故をきっかけに、出会うはずのない3人の運命が、思いもよらぬ結末へと導かれていくのだった。(wikipedia)
ネタバレあらすじ
ポール(ショーン・ペン)は心臓が悪くドナーを待っている。妻のメアリー(シャルロット・ゲンズブール)とはすでに愛情が覚めている。
ジャック(デルトロ)は刑務所帰り。信仰に目覚め、家族と共に「アーメン」といってからご飯を食べる。
ある日、ジャックが交通事故を起こし、クリスティーナ(ナオミ・ワッツ)の夫と娘をひき逃げしてしまう。
クリスティーナの夫の心臓は、ドナーを待っていたポールに移植される。ポールは探偵を使って、自分に心臓を提供してくれた人の妻がクリスティーナだと知り、近づく。
なにも知らずに彼と仲良くなっていったクリスティーナだったがとうとう「僕の胸には君の夫の心臓が入っている」と告白するポールと、それを聞いて狂乱するクリスティーナ。
ジャックは反省しており自主するが、釈放される。クリスティーナは、夫をひいたジャックが許せず、殺したいと願う。
ポールとクリスティーナは、ジャックを探し出し近づく。その頃、ポールは移植の拒絶反応で再手術が必要になっていた。
3人が遭遇。クリスティーナに殴られても抵抗しないジャック。
「やめろ」と叫びたいポールだったがもはや弱って声も出ない。クリスティーナを止めるためか、おもむろに、拳銃で自分の心臓を打ち抜く。
ジャックの運転でポールを病院に連れていく。命はとりとめたが再び死の淵をさまよっている。
ジャックは自宅に戻り、家族と抱擁する。
クリスティーナのお腹の中には、ポールの子供が宿っていた。
それぞれの道に戻っていく三人…。
つまりこんな映画(語りポイント)
「21グラム」の意味
人間の体重は、死んだら21グラム軽くなる。その21グラムが、魂の重さと言われている。実際は、心臓が止まり血流が途絶えることによる物理的な要素らしいんだけど、そこはもう、魂の重さとしておくほうがロマンチックだ。
「心臓をもらった男」「夫の心臓を移植した男との出会い」「事故で殺してしまった男の家族に恨まれる男」…それぞれの立場と苦しみ。
ポールとクリスティーナ
心臓移植のドナーを知るのはタブーらしいのですが、ショーン・ペンがそれを知りたくなった気持ちはいまひとつ理解できない。自分の死んだ夫の心臓が移植された見知らぬ男が目の前に現れたナオミ・ワッツの動揺ぶりはわかる気がする。そりゃそうだろう。知り合ってはいけない者の間に恋愛感情まで芽生えてしまった後に、トラウマ的真実が現れる…決して穏やかではいれない精神状態の中で、壊れていくクリスティーナと、自分がしたことの事の重大さをかなり後半になってからやっと理解するポール。
その後悔と贖罪により、最後、二人の争いを止めるために自分の心臓を撃ち抜くという行為に至る。
ジャックとクリスティーナ
交通事故というのは、被害者にとってはもちろん許しがたい犯罪であるわけだけど、加害者のほうに悪気や殺意がある場合は少ない。それだけに、双方に強烈な痛みが生じる。「やり場のない悲しみ」。クリスティーナはジャックをまるで故意に夫を殺した殺人犯のように憎む。ジャックはただその感情を受け止めるしかない。謝っても夫が帰ってくるわけではない。一切抵抗せずクリスティーナに殴り続けられるジャックの姿は痛々しい。
その後、我に返ったようにジャックに優しい目を向けるクリスティーナが、この映画の救い。ポールを病院に運んだ後、二人で並んでいるシーンがいいです。
そんな、登場人物それぞれの「どうしようもない痛み」が交差する映画。
ひたすら痛々しく、ひたすら切ない。
そして、「誰にもどうすることもできない哀しみ」に気付いた登場人物たちが、相手を(仕方なく)許し、それぞれに次の人生に向かう。そんな映画。
LIFE GOES ON それでも人生は続く。
「バードマン」「レヴェナント」ですっかり世界的監督の仲間入りをしましたが、「アモーレス・ペロス」やこの「21グラム」そして「バベル」あたりの作風が、本来のイニャリトゥ映画なのだと思います。
「人生の(運命の)どうしようもなさ」がメイン・テーマ
そこで「他人を恨むことの無意味さ。」を訴えている。
誰も本当の悪人はいない中、自分たちの力ではどうすることもできない運命や、人間のちっぽけさを描くのがイニャリトゥの真骨頂。
メキシコ人のイニャリトゥの中には、オスカーを取ったとはいえ、とてもハリウッド受けするとは思えない人生観が渦巻いています、きっと。