【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『パピヨン』(1973)を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『パピヨン』

原題:Papollon

1973年 アメリカ

監督:フランクリン・J・シャフナー
出演:スティーブ・マックイーン、ダスティン・ホフマン

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 ほぼ説明不要の名作。無実の罪で南米の悪徳刑務所に収監されたパピヨンが、ひたすら自由を求めるお話。スティーブ・マックイーンとダスティン・ホフマン、二人とも、これが代表作!と断言してしまっても問題ないほどの名演。必見です。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 ケチな金庫破りで捕まった男。その男は胸に蝶の刺青を入れていることから「パピヨン(蝶)」とあだ名されていた。 パピヨンは仲間の裏切りに遭い、幾つもの罪を着せられた末に終身刑の判決を受けてしまう。南米ギアナのデビルズ島で過酷な強制労働が科せられた。パピヨンは脱獄を決意。しかし、それには看守を買収した上、ボートや食料を入手するための多額の資金が必要だった。 そこでパピヨンは同じ服役囚のドガという男に目を付ける。 ドガは国債偽造で逮捕された男で、今もその腕が噂される偽札作りの天才だった。 当初パピヨンはドガと取引することで逃亡費用を稼ごうとするが、やがて二人は奇妙な絆で結ばれてゆく・・・。(wikipedia)

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 ※どっちでもいいことですが、ダスティン・ホフマンの役名は「ドガ」と言われてますが、僕にはどう聞いても「ディガ」に聞こえます。

 無実の罪で南米の悪名高き刑務所に送られてしまったパピヨン(マックイーン)は、金持ちのディガ(ホフマン)に近づく。妻が釈放の嘆願書を提出しているとか、弁護士が裁判のやり直しを謀っているとか、シャバでの動きに希望を持つディガとは対照的に、パピヨンの考えていることはただひとつ「脱獄」だった。「ここからマトモに生きて帰れるはずがない。」そんな確信があったからだ。

 何度も脱獄→監禁房生活を繰り返し、すっかり年老いて、まるで廃人のようになっていくパピヨン。

 かたやディガも、パピヨンの脱獄を手伝ったことで最終的に島流しの刑となる弁護士と再婚したらしい妻からは、いつしか連絡も途絶えた。絶望を通り越した孤独の中、生涯を、脱出不可能な孤島で暮らすことに。

 遅れて孤島に送られてきたパピヨンはディガと再会する。

あきらめて島で暮らすというディガと、まだ逃げる希望を失っていないパピヨン。抱擁する二人。パピヨンは木の実でで作ったイカダで荒波の中に出て行く。

 海の上、天に向かって叫ぶパピヨン。

「ざまあみろ!俺はまだ生きてるぜ!」

つまりこんな映画(語りポイント)

「男の友情」&「自由とはなにか」

 ラストシーン…マックイーンとホフマン、二人の演技派の真骨頂。
そこから逃げ出すことに一生を捧げ、最後の最後に自由を勝ち取るパピヨン。限られた世界の中で、ささやかな安息の地を作り出す親友・ディガ。対照的な二人のイキザマは、どちらも正しい。年老いた二人が、すべてを悟った二人が孤島で抱擁するラストシーンは何度観ても泣ける。

 そもそも…ディガは、大人しくしていれば釈放になるかも知れない状況の中、脱獄がみつかりそうになったパピヨンをアシストし、勢い、自分も一緒に脱獄してしまう。その後、ジャングルで負傷したドガはついに「あんたを助けたばかりに」と恨み節。対してパピヨンは「そんなこと誰が頼んだ。お前が勝手についてきただけだろ。」と毒を吐く。

 それだけでは、まるでディガはパピヨンのせいで不幸になった。ただのお人良しに見えなくもない。実際、僕が子供のころに観た時にはそう感じました。自分に不利益になっても、それでも友達を助ける、それが友情か…などと、それなりに納得してたのですが。

 きっとそうではない。

 パピヨンは、ディガがそのまま残っても、嘆願書なんて絶対に認められない事、ディガの妻も、いずれ待ちきれずに心がわりして他の男のところへ行ってしまう事。真実が見えていたのはパピヨンのほうだったのではないか?
 ディガの希望の光を無闇に消そうとはせず、ただ、「俺は逃げる」とだけ繰り返した。そんなパピヨンを見てディガもなにかを感じてついていった。

 そう考えると、二人の関係性は、表面的な「友情」とは桁の違う、さらに深いものであったと言える。そんなことを考えて、あらためてラストシーンを見ると、涙が一段と止まらなくなります。

 僕が若い頃にこの映画を観た時には、富や名声、一時の快楽さえ与えられず、ただひたすら、自由を求めて一生を終える。すでに年老いてから漸く自由を得るパピヨンに、哀れみや儚さを感じたものです。今となっては…人生に「儚さ」なんて、そりゃもう標準装備でもれなくついているものだと知った今となっては…また違う感銘を受ける。

 必ずしも、何かを成し遂げる必要はない。名誉も、特に追い求めるモノではない。

 自由を求め続ける…ただ、その一点に価値がある。

 すべての世界は「牢獄」に成り得るし、すべての世界で「自由」は手に入る。大抵の人は、自分から牢獄に入り、勝手に苦しんでいるだけかも知れないですね。