【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『ヴィクトリア』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『ヴィクトリア』
原題:Victoria
2016年 ドイツ
監督:セバスチャン・シッパー
出演:ライア・コスタ、フレデリック・ラウ、フランツ・ロゴフスキ、ブラック・イーイット、マックス・マウフ
 おススメ度☆☆☆☆☆(0/5)
 「140分全編ワンカット」の触れ込み。確かにそれはスゴイ。スゴイのですが、それだけ。臨場感やリアリティを高める目的のワンカット長廻しで、超リアリティない脚本にしちゃ意味がないでしょう。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 数か月前に、スペインからドイツにやってきたばかりのヴィクトリアは、クラブで踊って帰ろうとした際、街頭で四人の男にナンパされる。ホイホイ連いていった女は、四人と馬鹿騒ぎをする。

 男たちはギャングのボスからある仕事を言いつけられていた。それは銀行強盗で。、ボスの待つ駐車場で練習をさせられた彼らは「今すぐだ」と言われ、そのまま銀行強盗に向かうことに。

 ただ、運転手予定だった男が泥酔してしまい、ヴィクトリアは運転手を頼まれる。

 銀行強盗は成功したかに思えた。

 クラブに行き、祝杯をあげるヴィクトリアたち。

 ところが…。

==以下ネタバレ==

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ここがネタバレ!

 警察は彼らを追ってきていて、仲間二人が撃たれ、ヴィクトリアはゾンネと二人で逃げる。
 
 団地の部屋に押し入った二人は、赤ん坊を人質に警察の包囲網をかわし、タクシーでホテルの一室に入る。

 しかし、ゾンネも腹を撃たれていて、ベッドの上で死んでしまう。
 以上。

つまりこういう映画(語りポイント)

 「140分ワンカット」それが本当だとすると、確かに撮影はめちゃくちゃ大変だったろうし、そりゃすごいのです。しかもワンシュチュエーションではなく、いろんな場所を移動するので、映画後半のほうのロケ場所では、その他の俳優は主人公たち撮影隊が到着するまで、ずっとスタンバイしているわけで。想像するだけで吐き気がします。
 ただ実際には、途中で繋いでいてもわからないので、本当にすべてワンカットだったかは知りません。というか、どっちでもいいです。

 撮影が大変だとか、過酷だったとか、観客には関係ないことなのです。例え10日間かけて撮ったワンカットでも、面白くなければ使わないのが映画ですから。

 通常の映画で、長廻しカットを入れるのは手段であって目的ではない。ワンカットに拘ることで、例えば、どうしてもカメラが俳優たちの後をついていく構図が多くなる。俯瞰がなく、かといって主観とも違う、すごく気持ち悪い構図が続くので酔います。加えて、照明さんがいないために、暗くて良く見えない場面が多いのもストレスでした。

 それよりなにより、脚本にリアリティと説得力が皆無なことが致命的。少々、映像に難があっても、話が面白かったり、主役に感情移入できれば、つまりストーリーが面白ければ、それをワンカットで撮ったという付加価値も跳ね上がったのでしょうけども、ヴィクトリアの動機がまったく理解できない。ただのバカな女にしか見えないし、単純に面白くない。せめて、彼らが、ヴィクトリアが、そうしなければいけなかった事情をしっかり作ってくれていれば、全然違ったのでしょうけど。感情移入も理解もできないから、彼らがバカ騒ぎしているシーンは、電車の中で騒いでる酔っ払い集団に遭遇したときのような、部外者感、不快感だし。

 それに、良く考えたら(良く考えんでも)そもそも長廻し撮影は、臨場感やリアリティを高める効果を狙うもの。そこで超リアリティない脚本にするってどうかと。

 そう考えると、手法が普通じゃない分、物語はヴィクトリアのごくごく普通の日常を舞台にしたほうが、まだ良かったような気がします。そこから、日常で生まれる小さな狂気とか、観客の日常でも普通に起こりうるトラブルなどを描いたほうが「普通じゃない手法」が生きたような気も…。

 ともあれ「なんか話題になること、やったろうぜ」な意気込みは拍手に値すると思います。