【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『アデル、ブルーは熱い色』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『アデル、ブルーは熱い色』
原題:
仏: La vie d'Adèle – Chapitres 1 et 2
英: Blue Is the Warmest Colour
2013年 フランス
監督:アブデラティフ・ケシシュ
出演:アデル・エグザルホプロス、レア・セドゥ
 おススメ度★★★★★(5/5)
 同性愛が題材ですが、レア・セドゥが男っぽい演技に徹していることもあり、通常の男女の恋愛モノと感覚は変わらない。女優の超ナチュラルな演技と共に、ひとりの女性を通じて、生きるとは、社会とは、そこで愛とは、と云った普遍的なテーマを突きつけられる。濃厚なエッチシーンと共に、かなりの衝撃作。そして良作。「切なさ」「やりきれなさ」満載になりますが。これはおススメ。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

アデルは普通の高校生。学校での女生徒同士の会話はお決まりの内容。男子のことやセックスのこと。アデルはバスの中で出会った男子と恋をするが、何度かデートはするものの、すぐに別れてしまう。

 深夜のバーで、青い髪のボーイッシュな女子、エマと知り合う。エマは美術学校の四年生。同姓ながら、二人は惹かれあい愛し合う。レズビアンだと馬鹿にする周囲の眼も気にせず、アデルとエマはどんどん燃え上がっていく。

 保育士として働き出すアデル。絵で売れようと頑張るエマ。

 二人は同棲をするが、やがて、社会という他者が二人の間に入り込んできて…。

==以下ネタバレ==

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ここがネタバレ!

 絵のことでイライラしがちになるエマ。アデルは仕事場の同僚の男に誘われ、何度か浮気をする。いわゆる倦怠期を迎える二人。

 浮気がばれ、エマは激高する。泣きわめきながら謝るアデルだったが、エマは許さない。

 数年後、エマは別の女性パートナーとつきあい、絵も、展覧会を開くほど成功に近づいていた。

 再会する二人。その場で想いが募り「ずっと考えている」「触れたい」と言うアデルと、一瞬、それに応えるように抱擁するエマだったが、エマはすぐに冷静になり、再びの別れを告げる。

 アデルは小学校一年を教える先生になり、日々、坦々と仕事をこなす。

 エマの展覧会、多くの人に祝福されるエマを後目に、居場所のなさに痛たたまれなくなったように、アデルは足早に会場を後にする。

つまりこういう映画(語りポイント)

 女優の無防備な演技がスゴイ

 主役のアデルが「パスタをガンガン食う」「ボサボサの髪で不機嫌な顔をしている」「口を開けて無防備に寝てる」「泣くときは鼻水たらしながらガシガシ泣く」などのシーンが満載。
 そのへんのタレント女優さんのように「綺麗な顔で映ろう」「変な顔を映されないようにしよう」なんて防備は一切ないナチュラル演技に、この女優さんの果てしない魅力と、映画の本気度をビシバシ感じます。

 単なる同姓愛映画では決してない。

 同性愛の映画ではありますが、希少な相手、という比喩として捉えれば、通常の男女の恋愛と同じです。学生時代の純粋な出会い、社会に出てから、そこに社会が介在してくることで微妙に変わっていく二人。それは成長と表現される類のものではあるけども、同時に、変わりゆく、変わらざるを得ない人の心が、それはそれは痛々しく描かれていて、性別に関わらず、脳髄に響いてくるものがあります。

 喧嘩シーン、半端ない。

 アデルの浮気がばれ、エマが激怒する。それを受けてアデルが半狂乱気味に泣く。二人の喧嘩のシーンはモノスゴイの一言。人間の「動揺」がこんなに伝わってくる演技は他に記憶がない。

 数年後の再会

 数年後に再会し、ぎこちない笑顔で近況を語り合う二人。そこから再びの別れ。想いを断ち切ろうとするアデルのグシャグシャの泣き顔は、いやもう、観ていられない。

 展覧会から立ち去るアデル

 彼女の「居場所のなさ」を表すために、あえて間延び気味に撮ったであろう、ラストの展覧会でのシーンや、そこから足早に去っていく後ろ姿。自暴自棄にも見えるほどの、今にも泣き出しそうな後ろ姿。

 「文才がある」とエマに言われながら、堅実な職を選んだアデル。かたや絵の才能が開花したエマへの嫉妬という感情以上に、自分自身の人生の選択の結果を突き付けられつつ、複雑な思いを断ち切るように歩き出す姿。それは決して弱よわしくはなく、きっと彼女は今後も、淡々と自分の人生を歩んでいくのだろけども。

 なんでしょう、このうまく説明しにくい「切なさ」や「やりきれない想い」は。

 なんだかもう、観ているこちらが、自分の中のなにかをグサグサと突き刺されているような物理的な感触さえ覚える。

 ちなみに監督は同じシーンを納得するまで100テイクもやらせたり、二人のセックスシーンだけで10日間もかけたり、のちに主演女優ふたりは「二度とこの監督の作品には出ない」と語り、エマ役の・レア・セドゥは「すべてが監督主導で言う通りにしなければいけなかったのは拷問であり、労働者としての女優の権利を著しく迫害するもの」と云った主旨のコメントをし、監督と裁判沙汰になったとかならないとか。
 そう聞くと、冒頭に書いた無防備な演技も、もはやそこまでしつこくカメラを回されたら防備も自然にはずれちゃうわ、的なことかも知れない。

 こりゃしばらく、中途半端な俳優の演技や映画は観れなくなるな、くらい「来るものがある」映画です。

 

▼その後のアデルの出演作。映画自体は微妙ですが。

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