【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『忘れられない人』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『忘れられない人』
原題:Untamed heart
1993年 アメリカ
監督:トニー・ビル
出演:クリスチャン・スレーター、マリサ・トメイ
 おススメ度★★☆☆☆(2/5)
 現代の感覚でみると完全なるストーキング行為が「純愛」とされた時代があった。20代前半のクリスチャン・スレーターのイケメンぶり、あろうことか可愛いヒロインを演じているマリサ・トメイ!の若さ。今となっては、いろいろギャップを楽しめる映画。王道の純愛ストーリー。

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◆目次

 あらすじ(ネタバレなし)

 キャロライン(マリサ・トメイ)はレストランで働くウエイトレス。女性にしては雑な性格が災いしてか、つきあっていた(らしき)男性にフラれてしまう。

 同僚に愚痴をこぼす。その様子を黙ってみつめているのはレストランの雑用係、アダム(クリスチャン・スレーター)。アダムはいかにもネクラっぽい男。

 勤務中、客の男二人組に声をかけられるキャロライン。以前に、あるパーティで同席したことがある。「ああ、あの時の。」と思い出すキャロライン。適当にあしらう。

 深夜、歩いて帰宅中のキャロラインの横に、デカいアメ車が止まる。「遊びにいこう」と声をかえてきたのは店で会った二人組。キャロラインは「もう帰るから」と断ったが、男たちはキャロラインの前に立ちはだかり、しつこく誘って来る。公園の中で帽子をとられたキャロラインは、危険な空気を感じて走って逃げる。しかし、追いかけてきた男たちに取り押さえられ押し倒され、衣服を破られる。抵抗すると殴られ、意識を失くした。

 そのピンチを救ったのはアダムだった。男たちを蹴り倒し、キャロラインを抱えて安全な場所まで逃げた。アダムはそこでキャロラインを寝かし、目が覚めるのを待った。朝、目を覚ましたキャロラインは状況を読み取れず、アダムの前から逃げていく。

 後日、街でエスカレーターに乗っていると、反対側から、手を触ってくる男がいた。アダムだった。見ると、やや気持ち悪い顔でこっちを見ている。

 キャロラインは、自分を助けてくれたのがアダムだと知る。実はアダムは、毎晩、キャロラインの後を尾行していた。「心配だったから」というアダムに、どういうわけか、キャロラインは感動する。

 現代なら完全にストーカー認定されるアダムの行為も、この時代では立派な求愛行動だった。二人の心は接近していく…。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 クリスマスイブの夜、キャロラインはアダムの家にいく。そこには、レストランの壁に貼ってあったはずの大みそかの集合写真(店員が数人で写っている)が、折り曲げて、キャロラインだけが見える状態で飾ってあった。さすがにキモイと思ったのか、緊張した顔つきになり、「じゃ帰る。明日はクリスマスね、メリークリスマス」と、足早に帰宅した。

 翌朝、キャロラインが目を覚ますと、部屋に大きいクリスマスツリーが置いてある。感動するキャロライン。(※おそらく、昨夜、アダムが忍び込んで置いていった)。

 お手製のクッキーを持ってアダムの家へ行く。ツリーのお礼だった。部屋でお気に入りの暗いレコードをかけるアダム。どこまでも暗い。しかし、二人はつきあいだす。

 キャロラインを暴行しようとした男たちの復讐で、アダムはナイフで刺される。病院に運ばれるが、医者いわく「傷はたいしたことない。それより大問題がある。すぐに心臓移植が必要だ。」

 どうやらアダムは、小さい頃から心臓が弱く、移植を薦められていたが、幼い頃に「君の心臓は特別な力を持つ。手放しちゃいけない」と神父に(?)言われた言葉を信じており、頑なに手術を拒否していた。

 キャロラインが「死にたいの?」と説得しても、聞く耳を持ちません。しかし、アダムの意思を尊重し、それも受け入れてつきあいを続ける。

 二人の気持ちはどんどん高まっていく。楽しい日々。

 しかし、楽しく遊んだ帰り道、キャロラインの車の助手席でアダムは静かに息をひきとった。

 葬儀が行われる。

 キャロラインは、アダムが「後で開けて」と言っていたプレゼントを開封し「一緒に生きて良かった」と、満足気な笑顔を浮かべる。

つまりこういう映画(語りポイント)

 マリサ・トメイ、クリスチャン・スレーター、二人とも若い!

 撮影当時、マリサは28~29歳。スレーターは5歳下なので23~24歳。いまや二人ともすっかりベテラン俳優ですが、昔を知らない人から見たら「こんな若い頃があったのね~(そりゃあります)。」と驚くでしょう。クリスチャン・スレーターはめちゃイケメンだし、あのマリサ・トメイがこんな女の子っぽい演技をしていたなんて、もはや笑える。

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 いまや、幸薄い系オバサンをやらせたら天下一品な女優さん。個人的に大好きなので興味深く観ましたが、男性的な性格で、いろいろ粗雑で、ゆえに幸薄いという設定は変わっていない。この頃ですでに30歳手前の年齢なので、当然といえば当然ですが。れでも「可愛いマリサ・トメイ」は貴重です。

 二人のファンなら、それだけで楽しめる。

 『ある愛の詩』でライアン・オニールが「愛とは決して後悔しないこと」と言ったのが1970年のこと。それによって「純愛」の定義が出来たと言っていい。好きな人の運命を受け入れることだったり、自己犠牲もいとわない気持ちだったり。

 この映画、1993年製作にしては、ちょっと感覚が古い。『ある愛の詩』からさほど変わってない。僕の記憶では、1993年の実際のカップルには、もう少し現代に近いドライさがあったように思う。

 おそらく、純愛っぽさを前面に出すために、あえて1970年代チックな古臭い演出にしたのかも知れない。

 それにしても、あきらかな違和感があるのは…。

 スレーター演じるアダムは、現代の感覚でいうと「絶対、やばい奴」。毎晩、家まで尾行していたとか、すれ違いざまのエスカレーターでいきなり手を触るなんて、絶対に関わりたくないストーカー。寝ている時に部屋に入り込んで寝顔を覗き込んだり、クリスマスツリーを置いて帰ったりするんですよ?…有り得ない。警察呼ばれます。

 しかし!「毎晩、君を尾行していた。心配だから。」なんてセリフに、あろうことかマリサは感動するわけです。いやいや、ドン引きするところでしょう、今なら。「死にたくなったらこのレコードを聞くんだ。」などと言う暗い性格も、今なら絶対にモテないタイプなのだけど、この時代は「影があってミステリアス♪」だったわけですね。

 変われば変わるものです、時代の感覚って。「当時は、そんなことが純愛とされたのか。へー。」などと、感覚のギャップを楽しむのも、この映画の鑑賞法。

 そういえば、マリサが自分の身体(胸のあたり)に赤いリボンを巻いて「もうひとつ、これもプレゼント」と言います。あ~やっちゃった~って感じです。そんな恥ずかしい脚本を良く書いて、俳優も良く演じたなと思いますが、もし実際に、カワイイ彼女にやられたらきっとメロメロになります。そういうシーン。リアルではやってもいいけど映画でやっちゃダメ、という類のもの。つまり、人に見せるモノではない(二人でやっとけ!)という意味で。

 「ハート(心臓)」が原題にも入っている通り、脚本のポイントになっています。幼い頃に「君のハートは特別な力がある」と言われたことを信じて心臓移植を拒否し続けたアダム。中盤でマリサ・トメイが「他の人に理解されにくい二人だから、通じ合った」というセリフがあることからも、読み解くとすれば「たとえ理解されなくても、自分が信じた道を進むべき」というテーマ。

 さほど意外な展開はない。王道の純愛ストーリー。

 繰り返しますが、あのマリサ・トメイが可愛い。