【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『スモーク(1995)』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『スモーク(1995)』
原題:Smoke
1995年 アメリカ、日本、ドイツ
監督:ウェイン・ワン
原作・脚本:ポール・オースター
出演: ハーヴェイ・カイテル、ウィリアム・ハート、ハロルド・ペリノー・ジュニア
、フォレスト・ウィテカー、ストッカード・チャニング、ジャンカルロ・エスポジート
 おススメ度★★★★★(5/5)
 ブルックリンの街角で小さなタバコ屋を営むオーギー。過去のどうしようもない傷を、煙草のけむりと嘘と笑い声で覆い隠しながら生きていく彼と仲間たちの群集劇。とにかく観て欲しい…としか言いようがない至高の名作。暖かい映画です。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 1990年夏。ブルックリンの街角で小さなタバコ屋を営むオーギー(ハーヴェイ・カイテル)。店には常連客がたむろし、他愛ない野球の話題やタバコの話で盛り上がっていた。

 それぞれに過去の傷を持つ人間たちが、笑いあい、淡々と生きている。個々のエピソードが交差しながら、映画は進む。

 第一章 ポール

 常連のひとり、作家のポール・ベンジャミン(ウイリアム・ハート)は七年前の銀行強盗事件で妻とお腹の中にいた子供を同時に失くしていた。

 ポールはぼーっと歩いていて車にひかれそうになったところを黒人の少年に助けられる。お礼を言うポールに彼はラシードと名乗った。

 閉店間際、ポールがオーギーの店に来た。レジ横に置いてあるカメラのことを聞くと、オーギーは「毎日、同じ時間に写真を撮ってるんだ」と話す。アルバムには4000日の同じ光景、店の前の交差点が写っていた。オーギーは言う「同じに見せるか?全部違う。夏、冬、コート、Tシャツ…時は同じペースで流れる。新しい顔が見える。古い顔はいずれ消えていく。」

 ポールは時は写真の中に、妻・エレンが写っているのを発見する。写真を見て泣き出すポール。肩を抱くオーギー。

 翌日、ポールの家に黒人少年ラシードが訪ねてきた。二晩、泊っていった。ラシードはポールの本棚になにかが入った紙袋を隠していった。

▼以下、徐々にネタバレしていきます▼

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ネタバレあらすじ

 第二章 ラシード

 ポールの家に黒人のおばさんがやってくる。ラシードを探しに来たらしい。おばさんの話によると、ラシードの本名はトーマスといい、両親はいない。父親は12年前から失踪中だが、ある町の給油所の近くで、トーマスの父親らしき人を見かけたとの情報が入ったのだが、その話をラシードにすると「俺にオヤジはいない。とっくに死んだ」と言ったらしい。

 ある町の小さな自動車工場。黒人のサイラス(フォレスト・ウォテカー)が仕事をしているが、どうも落ち着かない。朝から、ずっと黒人の少年が自宅の前で座っているのだ。シビレを切らせて声をかけるサイラス。

 「見られてると気が散る。あっちいけ。」「ここな自由の国だろ。ここにいるのは僕の自由だ。嫌なら僕を雇ってみれば?」と言うラシード。「アホか。」と一蹴するサイラスだが、翌日、根負けしたように「時給は五ドルな。二階の掃除から始めてくれ。」と言う。名前を聞かれ、ラシードはとっさにポール・ベンジャミンと言う。二つ目の偽名。

 オーギーの店に、オーギーの昔の彼女ルビー(ストッカード・チャニング)が訪ねてくる。話があってピッツバーグから出てきたという。ルビーは「助けがほしい。娘に会ってほしい。」というが、オーギーは子供を作った覚えなどない。「あなたの子よ。名前はフェシリティ。今はスラム街に住んでドラッグ中毒で妊娠中。あたしたちの孫よ。」と告げる。知るか!とはねつけるオーギー。ルビー、あきらめて帰る。

 サイラスの左手は義手だった。理由を聞くラシード。サイラスは「12年前 神様がお前はゲスだと言って車の運転席に座らせ事故を起こさせた。隣には愛する女がいた。女は死んで俺は生き残った。神様は、お前が彼女にしたことを忘れないように手を義手にしてやると言った。…この手をみるたびに、俺は自分身勝手なゲスだったことを思い出す。」と言う。「悔い改めた?」と聞くラシードに「努力してる」と答えるサイラス。

 サイラスは再婚していて美容師の女房と子供もいた。迎えにきた奥さんを見て微笑むラシード。ラシードは自分が書いたサイラスの家の絵をガレージの下から滑り込ませる。

 ラシードは作家ポールのところに中古テレビをもってきた。お礼だという。ポールがおばさんの話と、トーマスという本名を聞いたことを話し「なにがあったんだ」と問いただすと、ラシードは、ある日強盗を働いて逃げ出してきた不良仲間とぶつかって自分も仲間だと勘違いされたと話す。

 第三章 ルビー

 またルビーがやってきて半ば無理やりオーギーを車に乗せ、娘のアパートに連れて行く。スラム街のアパート。薬で目にクマを作った18歳の娘は「私は野良犬から生まれた。両親なんていないわよ」と悪態をつき「あんたの話じゃない。お腹の赤ん坊のことよ」と言うと、すでに堕胎したと告げる。さらに続く悪態に、あきらめて帰るオーギーとルビー。二人が帰った後、娘の眼から涙がこぼれる。
 
 ラシード17歳の誕生日。本屋でポールに「ファンです」と声をかけてきた若い女性を三人だけの誕生パーティに誘うラシード。夜、バーで踊る三人のところに偶然、オーギーが女連れで入ってくる。ポールはオーギーに「あいつの雇い主が夏休みだ。その間、。雇ってやってくれ」と頼む。

 ラシードはタバコ屋で働きだす。

 ポールが、ラシードが隠した紙袋をみつける。中には五千ドルの大金。問い詰めるポール。不良仲間との強盗事件に関連したカネには違いなかった。

 タバコ店。オーギーの留守中に、誤って大事な商品を水浸しにし五千ドルの損害を出してしまうラシード。オーギーは怒ってポールともども呼び出すと、ラシードは紙袋の五千ドルを弁償としてオーギーに手渡す。

 ポールのの家に例の不良たちが押しかけてくる。ラシードを探しに来た。ポールは殴られるが、パトロールの警官が来て事なきを得る。

 あきらめてピッツバーグに帰るというルビーに、オーギーはラシードから受け取った紙袋の五千ドルをルビーに渡す。そして「一つ聞く。あれは本当に俺の娘か?」と聞くと、ルビーは「わからない。可能性は半々ね。」と答える。
 
 第四章 サイラス

 サイラスのところに、ポールとオーギーがやってきた。例の不良事件から姿をくらましていたラシードの行方を追ってきたのだ。ついでにオーギーたちは、ラシードの素性をつきとめていた。サイラスに、ラシードの偽名がバレる。ラシードも偽名だ。「本当の名前を言え」と迫るサイラスに、ポールが「言え。言うんだ。下の名前も、母親の名前も。」と突っつくと、ラシードは泣きながら「トーマス、トーマス・コールだ」と告げる。ラシードが自分の息子だと確信したサイラスは動揺し「嘘だ。嘘つけ!」とラシードに殴り掛かる。止めるサイラスの奥さん。泣きながら、みつめあうサイラスとラシード。

 五人は、無言で食事をした。

 第五章 オーギー

 ポールはニューヨークタイムズから「クリスマスに関する話」の執筆依頼が来たと話す。オーギーは「じゃ俺のとっておきの話をしてやろうか。」と言い語りだす。

 「写真をとりはじめたきっかけの話だ。当時働いていた店で万引きがあった。俺は追いかけた、犯人の黒人少年は財布を落としていった。財布の中には母親の写真があった。怒りは消えた。そのまま放っておいたが、あるクリスマスの夜。俺はひとりで暇だったから、ふと思い立ち、財布を返しにいこうと思った。免許証の住所にいくと、そこには90歳くらいのお婆さんがいて、盲目だった。彼女は俺を息子と勘違いした。俺はとっさに息子のフリをした。そして、お婆さんとクリスマスを祝った。お婆さんはボケ始めていたが、息子と他人の区別くらいついていたはずだ。それでも、最後まで俺たちは母と息子のままで食事をした。トイレに入ると新品のカメラがあった。ついそのカメラを盗んできてしまった。三か月後、カメラを返しにいったら、もう別の家族が住んでいて、お婆さんの行方はわからなかった。」

 ポールは「死んだのかもな。だとしたら、人生の最後のクリスマスをお前と過ごしたわけだ。」と言う。「そうだな。」と答えるオーギー。

 「嘘がうまいのも才能だな。適当な嘘を混ぜて話を面白おかしく脚色する。」とポールが言うと、オーギーは言った。

「秘密を分かち合えるのが友達だ。それができない友達なんて友達じゃない。それが、生きていることの価値だ。」

 ポールは「オーギー・レンのクリスマス・ストーリー」の執筆を始めた。

つまりこういう映画(語りポイント)

 「スモーク」は言うまでもなく煙草のけむり。タバコは身体に悪い。害であり罪である。でも、うまい付き合い方をすれば、それは人生の素晴らしいパートナーとなる。

 題名が、この映画のなんたるかを一言であらわす比喩になっている。

 タバコの煙はすぐに消えていくもの。しかし、極論すれば、人は「一瞬のなにか」のために生きているのかも知れない。それはもしかしたら、ものすごく些細なことかも知れないけど、それで救われる、報われることがある。

   もうひとつの重要なテーマは「嘘」

 「嘘」もまた、煙のようなもの。劇中の登場人物たちの会話の「どこまでが本当」で「どこが嘘か」、それを探るのも野暮なくらい。彼らの会話には「小さな嘘」が満ちている。黒人少年のラシードなどは、もはや条件反射的に嘘をつく。それが真実か嘘か、そこに大きな意味はない。

 ルビーの娘は「あたしは野良犬から生まれた。両親なんていない。帰って。」と悪態をつきながらも、ひとりになった時に涙を流す。そもそも娘を「あんたの子よ」と言ったルビーも、最後に「ところで本当に俺の娘か?」と聞かれ「わからない。」と白状する。

 ラシードも、父親を見掛けたと聞かされ「オヤジはとっくに死んだ」と嘘ぶく。ラシードが自分の息子だとわかった瞬間、サイラスは「ふざけんな」と息子を殴る。お互いを罵倒しながら、涙を流す。

 それぞれの「憎めない嘘」「愛すべき嘘」が交差して、物語は進む。

 ラスト、ハーヴェイ・カイテル演じるオーギーののクリスマス・ストーリーを聞き終わったポールが言う。「嘘も才能だな。脚色どころを心得て、面白い話にする。」と感心する。

 オーギーは否定も肯定もせず言う。「秘密を分かち合えるのが友達だ。それができない友達なんて友達じゃない。それが、生きていることの価値だ。」

 彼らは、大人として、それぞれに背負った過去の傷…場合によっては人生を絶望してもおかしくないくらいの傷さえ、悪意のない嘘で覆い隠しながら、酒を飲み、タバコをふかし、笑い飛ばしながら、日々を淡々と生きていく。

 人生は辛い。すべてをまともに受け止めたら、とても生きてはいけないようなことが起こる。だからといって、ずっと辛い顔をしてたって仕方ない。過去から逃げることなんて、本当は誰もできないのだから。

 だから嘘をつく。まずは自分に嘘をつく。それ以上、傷つかないために。それ以上、誰かを傷つけないために。そして、笑って生きていく。嘘も本当もまとめて受け入れてくれる相手と一緒に。
  こんなに暖かい映画もそうそうない。

  劇中、まず黒人少年が犯罪がらみで得た五千ドルの入った紙袋をそのままオージーに渡す。オージーもまた、紙袋のまま、昔の彼女ルビーに渡す。彼らももちろんお金は欲しいと思っている。でも、そこに真の価値を感じてはいないことがわかる。

 個人的にハーヴェイ・カイテルが大好きですが、これが代表作でしょう。渋すぎる。昔の彼女役にストッカード・チャニング(「グリース」!)。もう、世代的に鼻血もののキャスティングです。

 ちなみに、最初のほうで「タバコ屋なんてそのうち潰れる」というセリフがある。今の禁煙時代を予見してますね。で、そのあとにジョークで「じゃ次はセックス禁止か?そのあとは誰かに微笑みかけたら逮捕か?」と言います。考えようによっては、現代のセクハラやストーカー問題の予見にも聞こえて、当たらずとも遠からずではないでしょうか。ジョークなのに。