【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『パルプ・フィクション』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『パルプ・フィクション』
原題:Pulp Fiction
1994年 アメリカ
監督・脚本:クエンティン・タランティーノ
出演:ジョン・トラボルダ、サミュエル・L・ジャクソン、ユマ・サーマン、ブルース・ウィルス、ティム・ロス、ハーヴェイ・カイテル、スティーブ・ブシュミ、クリストファー・ウォーケン、エリック・ストルツ
 おススメ度★★★★★(5/5)
 ここまでの「基本データ」や下のあらすじやらを何も見ずにスラスラ書けてしまう映画も、そうそうないです。僕も大好きみんな大好きタランティーノ。
 ネタバレ云々を気にする映画ではなく、むしろ、すべて観た後に、ネタバレ後にもう一度見返すことで、脚本の絶妙な巧さがわかると云う、タランティーノ流・時系列いじりの真骨頂。

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◆目次

簡単なあらすじ(ネタバレなし)

 「ファミレス強盗カップル」

 チンピラ・カップルのパンプキン(ティム・ロス)とバニーは、ファミレスで客の財布を脅し取る強盗を即興で計画する。今すぐやると言う話になり、おもむろに立ち上がった二人は、怒号を上げ、客を銃で脅す。 

「殺し屋とボスの妻」

 マフィアのボスから妻ミア(ユマ・サーマン)の世話を頼まれたビンセント(ジョン・トラボルタ)は、妻と食事に行きダンスも楽しむが、ミアがクスリをやりすぎて卒倒してしまい焦るビンセント。

「地下リングのボクサーとその恋人」

 マフィアのボスから八百長試合を言いつけられたボクサーのブッチ(ブルース・ウィルス)は、裏切って逃走する。恋人のファビアンと町を出ようとするが、大切な金時計をブッチのアパートに忘れてきたことに気付く。
「殺し屋二人と掃除屋」

 仕事を終えて車で移動中の殺し屋二人(ジョン・トラボルタ&サミュエル・L・ジャクソン)は、車内でふざけているうちに男の頭を撃ってしまい、車内が血だらけになる。困った二人は「クリーナー」と呼ばれる事件の掃除屋(ハーヴェイ・カイテル)を呼んでコトを収めようとする。

 複数のエピソードが微妙に絡みながら進む群衆劇。

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ここがネタバレ!

 ストーリー的なネタバレもありますが、それを書きだすことにさほどの意味はないので…今回は割愛。

つまりこういう映画(語りポイント)

 この映画については「レザボア・ドッグス」と共に世界中ですでに語り尽くされているため、今さら何を書いても、誰かの受け売りみたいになっちゃいそうです。あらたに語ることもほとんどない。

 でも、どうせならと、タランティーノ得意の「時系列いじり」に関して、僕なりの語りポイントをひとつふたつ。

 「実はシンプルな」時系列 

 今でこそ、ごく普通の手法になってますが、当時の映画で、ここまで大胆な時系列移動は斬新でした。時系列シャッフルなんて言われてますが。

 でも、物語を時系列順に並べてみると、実は、シャッフルと言うほど時間が行ったり来たりしているわけでもないのです。全体の中で「起承転結の承あたり」の部分が、まとめて最後に移動しているだけ。実はシンプルな構成だということがわかります。

 だけど、それによって、ただそれだけのことで、主役のひとりヴィンセントを中盤であっさり殺してしまうことが可能になる。で、主役がいともあっさり死んでしまうなんてことに慣れていない僕ら観客の頭の中を「ん?」と混乱させるのです。

 とはいえ、それ自体はタランティーノのオリジナルでもなんでもなく、小説ではずっと昔から普通に使われている構成です。小説は大抵、作品全体を複数のチャプター(章)に段落分けしてありますよね。そこで、ある章では主人公が十年前に戻ったりするのも良くあること。
 
 そこに目をつけたところが、映画に流用したセンスが良いというお話。

 ちょっとしたこと、なんですね。重要なポイントは。

 時系列いじりから生まれるミステリー

 冒頭のファミレスのシーン、しかも、たいした意味はないと思えたオープニング用のワンエピソードが、まさかラストシーンの導入部だったという驚きに、当時、映画館で身震いしたのを覚えています。「これはカッコいいぞ」と。

 ちなみに、ミステリーというものは「××は知ってる。××は知らない」を設定することで生まれる。

 劇中のA君は知ってるけどB君は知らない。二人とも知っているけど観客は知らない。観客は知っているけど登場人物は知らない。と、いろんなパターンがあって、その構成次第で、たとえなんてことのない物語でも、まったく違った面白い脚本に成り得る。

 二人が強盗であることを知らないヴィンセントたち。ヴィンセントたちがマフィアの殺し屋であることを知らないパンプキンたち。両方知ってる観客。という具合。面白くするのも面白くなくするのも、この組み合わせの設定次第。

 さらに、パンプキンたちの大失敗には、その前のエピソードが絡んでくる。あの、ヴィンセントたちの服装です。ヴィンセントとジュールがお決まりの黒いスーツではなくTシャツと短パン姿でいるのは、その前の事件があったから。それは観客は知ってる。でもパンプキンたちは知らない。
 もし、二人がいつもの黒いスーツだったら、パンプキンたちは「ヤバそうな奴らがいる。今はやめておこう」と考えたかも知れません。その後、内心「なんでこんな連中がTシャツに短パンで銃を持ってたんだよ。」と不思議に思ったかも知れません。

 コワモテの殺し屋二人がTシャツに短パン姿で居たことも「事情を知らない」パンプキンたちにとっては、充分にミステリーだということ。

 でも、そんなこと、僕らの日常でもきっと頻繁に起こっているんでしょうね。あれがあったからこうなった。これがなかったらああならなかった、とか。僕らが知らないだけで。

 運命の神様は、上から眺めて笑っているのかも知れません。

 僕らの生活が普段から「知らないこと」=ミステリーまみれなのです。

 なんだか、パルプフィクションとはあまり関係ない話で着地しそうですが、いいです、今回に限っては。

     万が一、この映画を観たことがないという人がいるなら、オープニングだけでも、ハニー&パンプキンの「おとなしくしな!動くとぶち抜くよ!」の叫びからミザルーが流れるチョーかっこいいオープニングだけでも、死ぬまでに一度は見てください。