基本データ・おススメ度
『太陽がいっぱい』
原題:Plein soleil
1960年 フランス
監督:ルネ・クレマン
原作:パトリシア・ハイスミス
出演:アラン・ドロン、マリー・ラフォレ、モーリス・ロネ
オススメ度★★★★☆(4/5)
昭和世代の僕らにとってはマストアイテムでしたが、さすがに1960年作となると世代的に未見の方も増えてきているのでは?普遍的な題材なので、若い方でも違和感は少ないと思われ。未見ならぜひ。散々語り尽くされた映画ですので、ここでは、巷で一般的に言われている説に異を唱える方向で語ってみたいと思います。
◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
貧乏な青年、トム・リプリー(アラン・ドロン)は、金持ちの息子・フィリップ(モーリス・ロネ)をアメリカに連れ戻すためにローマに来た。アメリカでフィリップの父親から依頼された仕事だった。しかし、フィリップに帰る意思はなく、フィリップはトムを付き人のように連れて歩くようになる。
フィリップの恋人・マルジュ(マリー・ラフォレ)を交え、三人でヨットに乗って海に出る。二人がいちゃつく姿を横目で見つつも、ひとりで甲板に横渡るトム。フィリップは、面白がってトムを救命用ボートに乗せ、船の後方につなげて放置した。トムの強すぎる太陽光線で背中に火傷を負った。
トムをとことんバカにしアゴで使うフィリップ。フィリップがあまりにもトムに絡むもので、ヤキモチさえ焼くマルジュ。三人の関係は、トムの秘めた計画が実行された時から、先の読めない危険な方向に舵がきられていく。
==以下ネタバレ==
<広告>
ここがネタバレ!
トムは、船上でフィリップを殺害し、以降、フィリップに成りすます。身分証明書を偽造、フィリップのサインを練習。彼の名前で高級ホテルに泊まる。マルジェはフィリップがパリに居ると聞いて喜ぶが、それは実はトムだった。
フィリップの友人に嘘がばれたトムは、友人を殺害。捜査で犯人はフィリップだとされる。さらにフィリップの自殺を偽装し、彼の名で遺書を書く。遺産はマルジュに渡すこと等を記した。
トムはマルジュに近づき、マルジュも優しく慰めてくれるイケメン・トムに心を寄せる。トムが書いた遺書により遺産はマルジュに行くため、彼女と結婚すれば、トムはフィリップの遺産を合法的に手に入れることになる。
完全犯罪の成功を確信したトムは、海辺で満足気に寝そべる。
その頃。売り払ったフィリップのヨットのスクリューに絡まったロープの先から、フィリップの遺体が引き上げられていた。
つまりこういう映画(語りポイント)
巷で一般的に言われている説に、あえて異を唱える方向で書いてみます。正しい正しくないとか、合っている間違っているとか、どっちでもいいとか、いろいろあるでしょうが、僕の勝手な解釈なので、異論ある方も笑って流してください。
同性愛の映画?
これは同性愛の映画だ!…と声高に言われる方が多いです。が、僕はそうではないと考えています。「そう見える」のは確かなのですが。
トムがホモっぽく見えるのは、その無邪気な振る舞いにあるのですが、僕には、幼い男のコが性なんて意識する以前、同級生の友達(同性)と、まるで男女がイチャイチャする時のように無防備にカラダをくっつけて遊んでいるような、ただただ無邪気な光景に見えます。つまり、同性愛と見紛う原因はトムの幼稚性。
小学生のとき、同姓の友達に「いつまでも一緒にいようね」なんて。今思うと気持ち悪いこといってませんでした?友情…がこの世の価値基準の最上位にありましたよね。それと同じです。
で、その幼稚性は、この映画のストーリーに説得力を持たせるために一役買っている。劇中の大胆不敵な策略は、トムが「無茶な」「無垢な」「無知な」子供だから出来たことと観客に思わせなければ、あまりにも粗雑な計画や手法が嘘に見えてしまう危険性がある。
観ているほうがハラハラする無茶な展開も「あいつならやりかねん。あいつなら仕方ない。」と思わせる人物像である必要があったし、フィリップがつい楽しくなって、常に連れまわしたくなるキャラクターである必要も。事の要因は、フィリップがそんな彼の幼稚性に油断し舐めていたこと。無警戒だったことです。
根っからの詐欺師。野心と虚言癖。
映画とは設定が違いますが、原作では、フィリップを連れ戻しにくる冒頭の設定の前に、トムは、金持ち息子・フィリップの友達を装って、つまり嘘をついて父親に近づいたという設定があるそうです。
根っからの詐欺師気質。おそらく、子供の頃から虚言癖のある子供だったと思われます。悪知恵と、他人の懐に入り込んでいく愛嬌だけは天才的な。
虚言癖は、強烈な野心と密接に関わっている。
向上心なんてレベルを遥かに超えた「人を蹴落としてでも」「どんな手を使ってでも」レベルの野心家の共通項として「虚言癖」はもれなくついてきます。世の中、嘘を平気でつく人は実際にゴロゴロいる。
彼らにとって嘘は必要悪であり、なんら負い目を感じることではない。
トムが、そのイケメンと無邪気そうな振る舞いの奥に秘めた、計算高い、ドロドロした、ある意味壊れた、哀れなまでの人間性。そんな男の悲哀と末路を描いているんだと、この映画はそんなキッツイところを描いた映画なのだと認識して、覚悟して、構えて観ることが必要な映画なのです。
それを「青春映画」と呼ぶのは、あまりにも質が違う。でも仕方ない、そんな映画なのです。
「太陽」がなにを表しているか。
太陽が何の比喩かということ。これも同性愛論からつなげて「太陽=フィリップ」という意見が多いですが…、そこは、以下のネタと共に個人ブログに書きましたので、続きはそちらへ。
ほとんどの人が勘違いしている、ラストシーンの名セリフ。
このネタは、僕も最近知ってびっくりしました。