基本データ・おススメ度
『死への逃避行』
原題:Mortelle Randonne'e
1983年 フランス
監督:クロード・ミレール
出演:イザベル・アジャーニ、ミシェル・セロー、ギイ・マルシャン、ステファーヌ・オードラン、マーシャ・メリル、サミー・フレイ
おススメ度★★☆☆☆(2/5)
普通に観れば、救いのない絶望の物語ということになる。しかし、そこはフランス映画。突っ込みどころ満載ながら、考察好きな映画ファンが楽しめるように作ってあります。さほど深い話ではないですが。最低限、イザベル・アジャーニの七変化だけでも楽しめます。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
中年探偵の「鷹の目」は、離婚と、娘マリーを失くした寂しさから心が病んでいる男だった。どうせ俺は孤独死だ…と嘘ぶく。唯一持っている娘の写真は小学校の集合写真。しかし、どれが自分の娘かは知らない。
次の仕事は、有名な靴屋のオーナー夫妻からの依頼。23歳の息子ポールの彼女の身辺調査。大事な跡継ぎに悪い虫がつかないようにと。
遊園地で、ポールのデート現場を確認。尾行すると、彼らは湖の別荘に泊まりベランダでイチャイチャしている。探偵が調べた女の素性は「名前:リュシー・ブランタノ。学生。1962年9月22日生まれ。乙女座」だった。
翌朝、湖でボートを漕いでいるリュシーをみつける。リュシーはボートから誰かの死体を湖に捨てていた。驚いて写真を撮る探偵。走って彼女たちが滞在していた部屋の中に入る。バスタブが血の海になっていた。ポールが所持していた大金が置いてある。
ポールの車で移動したリュシーを追うと、彼女はまるで別人のように髪型と服装を変えてホテルにチェックイン。大金は金庫に預けた。
ロビーで、探偵仲間のボラジンをみつけて声をかける。ボラジンに「あの女知ってるか?」と言うと、ボラジンはリュシーを見て「イブ・グランジェ。モデルだ。男っ気はない。」という。
ニース行きの便を予約するイブ。探偵は、このままじゃ彼女が追われると考え「ポールは挙式のためリュシーと外国へ行ったがフラれ、モントリオールへ向った」と嘘の報告をする。
空港でイブを尾行していると、イブはまたまったく違った髪型と服装で現れ、若い男に「ドロテ」と呼ばれている。
モナコの豪邸で、ドロテと男の結婚式が盛大に行われていた。男は資産家の息子。しかし、式の夜、探偵はドロテたちの部屋で殺されている男を発見する。探偵はなぜか、殺された男の遺体を密かに隠蔽する。
リュシー⇒イブ⇒ドロテ(←イマココ)は、コロコロと名前や風貌を変えては金持ちの男を殺していくシリアル・キラーだった。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
次にドロテが向かったのはモロッコ。そこでドロテは「アリアーヌ」と呼ばれていた。言い寄ってくる男を相手にせずコーラという女性と愛し合う。アリアーヌがコーラに父の話をする。
彼女は、いつも父親の話をするのだが、話の内容がいつも違う。
ブリュッセルに行く手配を済ませたアリアーヌは、夜のプールでコーラを殺す。そして、前から言い寄ってきていた男の車に乗ってどこかに行った。食品業者の車を盗んで追いかける探偵。道で、殺されている男を発見。一気に二人を殺した。「また死体をほったらかしじゃないか。」と後片付けをする探偵。
レストラン。金髪のシャルロット(新しい名前)が、隣の席の盲目の男と知り合い、一緒にローマに向かう。男は盲目ながら、彼女が金髪であることも、コートを着たままであることもわかる。勘でなんでもわかると言う。
現地の探偵事務所。探偵は盲目の男がフォルブスという有名建築家だと知り、豪邸の住所を聞きだす。豪邸では、フォルブスとシャルロットが過ごしていた。街にはシャルロットの名前を冠した画廊が建築されている。
リュシー⇒イブ⇒ドロテ⇒アリアーヌ⇒シャルロットの本名がわかった。2年前にパリの刑務所に半年間服役していたことも。本名:カトリーヌ・レリス。1962年12月22日生まれ。
シャルロット(カトリーヌ)の誕生パーティ。探偵はカトリーヌを見て「マリー(娘の名前)誕生日おめでとう」と言う。謎の男女二人組がカトリーヌに近づき「カトリーヌおめでとう」と言う。「人違いですわ」というカトリーヌだが男は過去の偽名をすべて挙げ、本人を動揺させる。
フォルブスと二人になったカトリーヌは、父の話をする。「奥さんいは逃げられた。生きているかもわからない。」と言う。それを聞いている探偵。
カトリーヌの画廊。扉に書いてある電話番号を覚える探偵。「フォルブス、君に娘はやれない。彼女は人殺しだ。女と寝たこともある。君も殺される。命が惜しければカトリーヌを渡せ。カトリーヌ、愛してる。」と独り言を言っていると、肩を叩いたのはフォルブス。二人が言い合っているうちに、探偵がフォルブスを突き飛ばすと、タイミング悪くバスが突っ込んできて、フォルブスが事故死してしまう。
黒髪になったカトリーヌは車で国境を超える。ヒッチハイクで拾った若い女ベティにナイフを突きつけられるが銃で撃退。「殺す気になれない。愛する人が死んだの」と言うと、ベティを許し仲良くなる。
夜。海辺で泣き叫ぶカトリーヌ。どうやら、カトリーヌは本気でフォルブスを愛していたようだ。フォルブスには服役や窃盗の過去も話していた。
カトリーヌは謎の二人組に脅され金を要求されていた。しかし、二人組は仲間割れをしたようで女のほうが探偵の元に来た。女に連れられ金の受け渡し場所であるホテルに行く。そこで、男は仲間割れした女に銃で撃たれ殺される。女はカトリーヌが殺した。用意していた金は新聞紙だった。
カトリーヌとベティは、スーパーマーケットや宝石店を襲う。さらに銀行に人質をとって立て籠もる。突入した警察にベティはは撃たれて死ぬ。逃げるカトリーヌ。「もうやめろマリー」とつぶやく探偵。
強盗未遂をきっかけに過去の殺人すべてが警察に洗われ、カトリーヌは指名手配された。
「パパ!」と叫びながら部屋で泣いているカトリーヌの声。
カトリーヌは田舎のホテルに滞在した。彼女から、リュシー、イブ、ドロテらを演じている時の輝きは消えた。地味な服装で静かに暮らす。「すべてに興味を失くしたのか?自分自身への関心も?」とつぶやく探偵。
ある日、カトリーヌが外出した。12月22日、誕生日だった。
バーで隣にいた男に「父が誕生日に死んだ。葬儀には千人参列した。ベティは違うはず。寂しかったはず」と語る。カトリーヌのテーブルにオリーブと共に「誕生日おめでとう」の手紙を送る探偵。
郊外のレストランでウエイトレスとして働き始めるカトリーヌ。
探偵が泊まったモーテルに、警察がカトリーヌの指名手配写真を置いていった。
探偵は、カトリーヌと話をしたいと思った。
探偵は、銀行から出てきた男を銃で脅して現金を奪うと、小汚いモーテルの部屋で、彼女を迎え入れる準備をする。「俺は独り者だ。女房は出て行った。娘とはそれきり会ってない。つらかったがもう慣れた。本物の銃だ。弾丸も入っている。」…と独り言を言うと、その後、自分が殺される練習をする。
レストランで勤務中のカトリーヌを誘う探偵。「裏口で待っていて」と答えるカトリーヌ。警察がカトリーヌが滞在しているホテルを突き止め捜索。レストランにも追ってきたが、間一髪、探偵はカトリーヌを車に乗せて走り出す。
「あなたとどこかで会った気が…」というカトリーヌに「どこにでもいる男だ」とごまかす探偵。
探偵の滞在するホテルの部屋。「君の話をして」と探偵がいうと、カトリーヌは、父が建築家だった話や強盗だった話…今まで男にしてきた嘘の父親の話をする。すぐに自分で「全部、嘘。愛してるのは本当だった。」と言う。
シャワー室に入ったカトリーヌが「結婚は?」と聞く。探偵は練習した会話を話し出す。「妻は出て行った。娘は1962年に死んだ…。」その時、シャワー室の中に現金と銃が置いてあるのを発見するカトリーヌ。カバンと銃を持って出てきたカトリーヌは、振り返った探偵を撃って逃げる。
しかし、すぐに起き上がった探偵は、逃げたカトリーヌを追う。警察の検問から逃げパーキングに上がるカトリーヌの車。探偵が追ってくるとカトリーヌはハンドルから手を離し、アクセルをふかす。車は5階ほどの高さのパーキングから外に飛び出し大破した。
探偵が、妻マドリーヌとと一緒にマリーの墓参りをしている。「写真を失くしたなら、もう電話もやめましょう」と言われ、「ああ」と答える。妻ともこれが最後だ。
3年後、彼は死期を悟った。マリーとカトリーヌに呼ばれて。
つまりこういう映画(語りポイント)
「娘の幻想を追う父親」が「父親の幻想を追うシリアル・キラー」に心を惹かれ、肩入れし、時には死体かたずけの面倒まで見る。真相を追ってるフリしながら、実は彼女を守るためにストーキングしている話。
良い意味も悪い意味も含めて、80年代のフランス映画らしい。
やたら独り言をしゃべりまくるのも、普通なら、単なる説明セリフに聞こえてゲンナリするのだけど、それを心の声でなく思い切り口に出して喋るって、映画では意外に珍しい。舞台劇なら普通のことだけども。それが狙いであることは、いきなり耳のそばでワケのわからない事を言われた関係のない人が怪訝そうに「は?」と振り向く…なんて演出があることでわかる。
普通に観たら、絶望的な物語ではある。特に深読みせず、絶望は絶望として受け入れ、壊れた男と壊れた女の哀しみの物語として観終えるのも良いと思います。
探偵のほうの人物考察は割と簡単ではないでしょうか。娘を失くした絶望の前では、どんなことが起ころうが、まるで夢でも見ているように感じる。いわば不感症状態に陥っている男。
かたや女のほうは、原作はどうか知りませんが、この映画内ではほぼ過去を語られておらず、シリアルキラーになった説得力のある理由も提示されていない。なんとでも取れるだけに、難しい。
とはいえ、そこは考察してもさほど驚く答えは出てこない気もするし、寛大にスルーして、イザベル・アジャーニの七変化だけでも楽しめる映画ではあります。
ただ、ところどころに不条理がかまされるあたり「読み取れ」的メッセージにも思える。考察好きなフランス映画ファン向け。
ちょっと深読みタイム。
美しきイザベル・アジャーニ様演じるカトリーヌの流れを追ってみると…。
名前も風貌も変えながら金持ちに近づき殺す(でも、お金が目的ではない)⇒父親の話をするが、毎回、話の内容が違う⇒盲目の建築家は偶発的に(または誰かの手によって)死んでしまう⇒ショックを受ける⇒殺しを控え、強盗を始める⇒指名手配される⇒静かな生活を始める⇒探偵に会う⇒銃で撃つ(が、探偵は死なない)⇒探偵に追いつかれ、自決する。
カトリーヌの変化の解釈
大きな変化は、盲目の資産家が死んだ時。それまで平気で人を殺していた女が、人が変わったように、誰かの死という事実に落ち込む。それは、劇中から伺う限り「本気で愛していたから」に見えるが、果たしてそうなのか…。
普通)男を本気で愛してしまったから。
深読み1)自分の手で殺せなかったことで歯車が狂った。
流れにイレギュラーが生じたことにショックを受けた。彼女はある意味で完璧主義だったとか?(死体を現場に放置して何が完璧だとも思うが)。
深読み2)探偵が殺したこと。探偵の存在を感じ取った
自分を心から求める人間の存在を感じ取り、自分はひとりじゃないと実感したことで、罪悪感に芽生えた。
それまで自信満々に人を殺し続けてきた彼女が、いきなり普通の悪人になり、強盗なんてちゃちい事を始め、それによって過去の殺しも暴かれて追われる身になる。なにか相当なショックを感じたことは間違いなさそうですが。
カトリーヌの死の解釈
普通)警察にも探偵にも追い詰められ、諦めた。
深読み)殺したはずの探偵が生きていた。それを確認したことで、自らの自信やアイデンティティーが崩れ落ちた。
後半、探偵は何度も「マリーもうやめろ」と呼びかけていた。そのの想いが届いた…という解釈は、方向性として大間違いではないような気はする。なぜなら、彼女の最終決断になにかしら探偵が絡んでいないと、じゃ、探偵の存在ってなんだったの?となってしまうからだ。
さて、実のところはどうなのでしょう?…なんて考えたところで、実のところは作った人間さえ答えを持っていなかったりする。あれやこれや考察する楽しみを残して、映画が作られているからだ。
観た人間が感じたことが答え。そんな映画。
▼似たテイストなら、これか。女性死刑囚の物語。