【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『モナリザ』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『モナリザ』
原題:Mona Lisa
1986年 イギリス
監督:ニール・ジョーダン
出演:ボブ・ホスキンス、 キャシー・タイソン、マイケル・ケイン、ロビー・コルトレーン、クラーク・ピータース、ケイト・ハーディ、ゾーイ・ナゼンソン、サミ・デイヴィス
 おススメ度★★★☆☆(3/5)
 それにしても、別れた妻(彼女)ってどうしてあんなに冷たいのでしょう。それはもう世界共通だから生理学的なものか。男のほうがロマンチストすぎるのか。そこでの「父親と娘」の構図は相変わらず鉄板。中年男ご用達の良作。

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◆目次

 

 

あらすじ(ネタバレなし)

 冴えない中年男、ジョージ(ボブ・ホスキンス)はボスの身代わりで入っていた刑務所を出所。花を買い込んで娘に会いに行くが、七年前はまだ小さかった娘は父を見ても誰かわからない。そこに妻が出てきて思い切り門前払いをくらう。

 親友のトーマスが現場をみかけてジョージを車に乗せる。

 ボスの元へ行くが、身代わりで刑務所に入ったにも関わらずボスは不在。ジョージは黒人娼婦シモーヌ(キャシー・タイソン)の運転手の仕事を回される。

 シモーヌは高級ホテルで客を取っていたが、高級に慣れていないジョージに「上品にして」と注文をつけるシモーヌ。ジョージもいい人だが気性が荒いので、すぐに喧嘩になる。「もっと良い服を着て」と言われて着てきたのはダサいジャンパー。また喧嘩になる。

 やがて、正直でストレートな性格のジョージに、シモーヌも気を許してくる。

 夜道、娘と同じくらいの年齢の娘が客を取っている姿を見て荒れるジョージ。言い寄ってきた娘に暴言を吐き、周りにいた若い男とケンカになる。

 それを見てなにかを感じたシモーヌは、ジョージを部屋に連れて行き、ひどいポン引き男の存在と、現在は行方不明になっている妹分キャシーの話を始め、ジョージに捜索を依頼する。

 親友トーマスのところへ行くと「なにか裏がある。」と忠告されるが「そんなんじゃない」と否定する。

 ジョージは学校の前で娘に声をかけ、車の中で会話をする。「なぜ別れたの?」と聞く娘。「ママに聞いてないか?」「何も。」「何も聞いてないのか?」…「じゃ、何も言わない。俺が悪い男だったんだ」と言って別れる。

 娼婦の集まるクラブへ行き、聞き込みを開始するジョージ。

==以下ネタばれ==

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ネタバレあらすじ

 ようやく見つけたと思った娘に客として入って確かめようとするが
、人違いだとわかり、なにもせずに部屋を出る。廊下で、シモーヌが話していた「ひどいポン引き男」に会う。

 ボスの誕生パーティに顔を出すが、ボスは身代わりに刑務所に入ったジョージを舐めていて、適当にごかまされる。

 ママには内緒で、娘の送り迎えをするジョージ。娘も嬉しそう。

 偶然、人違いで客に入ったブロンド娘に会う。娘はポン引き男から説教されたらしい。下手だと言いつけたでしょ?と誤解して文句を言ってくるが、そんなこと言ってないと否定する。レストランでアイスを買ってやるが、迎えにきたポン引き男にまた連れられて行くブロンド娘。
 
 手がかりを探そうとポルノビデオ店に入ったジョージは、シモーヌ主演のエロビデオをみつけて驚く。購入する。シモーヌ本人に「君に見せたいものがある」と言い、部屋で再生する。シモーヌがポン引き男の股間に顔を埋めているビデオだった。

 動揺したシモーヌは「消して!」「あの男はこうして私を殴る、何度も、何度も」と泣きながら、ベルトでジョージの顔を何度も殴る。。黙って殴られているジョージ。冷静になり「ごめんなさい」と抱きついてくるシモーヌ。「カネを払えば、誰でも若い子を好きにできるのよ。」

 親友のトーマスに「銃を調達してくれ」と頼むジョージ。

 意を決した表情ポン引き男を尾行するジョージ。男はボスたちと一緒にサウナに居た。さらに尾行し居所を突き止める。キャシーは教会にいることも。

 シモーヌに「キャリーの居場所がわかった。ポン引き男と一緒にいる」と、2人で男のマンションに向かう。エレベーターの中で「待ってる人はいるの?」と聞かれ「いない」と答えるジョージ。エレベーターの降り際、ポン引き男がカッターナイフを手に襲ってきた。腕を切られるジョージ。一旦、逃げ帰る二人。

 後日、ボスの邸宅に忍び込むジョージ。オヤジに遊ばれているキャシーを密かに救い出し、連れて逃げる。キャシーは薬を打たれており挙動が少し変。中毒にされているようだ。

 レストランにキャシーをかくまい、親友トーマスに頼んでシモーヌを連れてきてもらった。「俺はここにいる」と、二人だけの再会の場を作るジョージ。レストランの中で抱擁するシモーヌとキャシー。

 二人を連れて帰るジョージ。シモーヌとキャシーが同性愛の関係だと悟り、複雑な表情になる。

 シモーヌを散歩に出たジョージは、どう見てもヤケクソになっていて、妙に明るく振る舞いシモーヌに無理やりキス。「俺たちは結婚するんだ。」と強引なプロポーズをするがシモーヌは怯え「できないわ」と泣く。

 「俺はレズに利用されてたのか。」と落ち込むジョージに「人を愛したことある?」と言うシモーヌ。「そんなのずっとだ。」

 そこにポン引き男たちが追ってくる。気づいたシモーヌがジョージの腕を引っ張り遊園地の中を逃げ回る。

 部屋に戻るとボスがいた。シモーヌを殴るボス。シモーヌが銃を取り出し、ボスとポン引き男を銃殺。さらに、ジョージにも銃を向ける。ジョージは悲しい顔で「撃てよ」と言いながら。シモーヌの腕をひねる。そして「俺も撃つつもりだったな。俺も奴らと同じか。クソ女が、クソ…」と泣きながら言い、その場を去る。

 後日。トーマスの工場で車を修理しながら、トーマスに語っているジョージ。「最初から女は逃げられない運命だった。かごの鳥だ。惚れて欲目で男(自分のこと)にはわからなかった。男なんて鈍感だ。だが、女は男を愛し、男も希望を抱いてた。そこには愛があった。だが、相手はその男ではなかった。それだけの話だ。」

 そこに、娘がやっていた。トーマスと娘と、三人で肩を組み並木道を歩くジョージ。

つまりこういう映画(語りポイント)

 ニール・ジョーダン監督は非常に暖かい人なのでしょう。どんな作品でもそこに必ず救いがあるのだけど、救いの作り方がウマい。ただハートウォーミングな設定にするのではなく、絶望や失望を下敷きに希望を作る。希望=絶望や失望から生まれるもの」を、おそらく実感としてわかっている人。

 ボブ・ホスキンス演じる冴えない中年男と、黒人で抜群のスタイルを誇る高級娼婦のラブ・ストーリー…と思える序盤ですが、中盤以降の展開が、いかにもニール・ジョーダン。

 そこから、例えばコメディや中途半端なハートウォーミングにして恋愛を成就させてしまうのが並みの監督のアタマの中だとしたら、ニール・ジョーダンはそこから、一旦、ガッツリと突き放すのですね。そして、一周回ったハートウォーミングに着地させる。そこにハードボイルド要素を加えるセンスも個人的にツボ。

 黒人娼婦シモーヌは「いい人」ジョージを利用しただけなのですが、本当に、利用しただけで終わらせるところが良い。そこで心を改めさせるのは野暮でしかない。

 悪役は、最後まで悪を貫かせることで光る。悪の哀しさがそこに浮かび上がってくれば成功。ただし、今、便宜上「悪」としましたが、シモーヌはジョージを色仕掛けで騙したわけではありません、利用したのは確かだけど騙してはいない。そのあたり、男女間でよくある難しさですね。好意を利用したとしたら、悪ではなく罪だろう。

 親友トーマスの工場が、物語内でジョージの活動拠点になっていますが、あれは、トーマスという人間そのものが、今のジョージの拠点になっていることを現わしています。親友として、信頼できる人間だと。

 並木道を歩くラストシーンに、娘と共にトーマスも加わって、三人で肩を組んでいるところにホッコリしました。信頼できる人たちと共に歩いていけるなら人生は輝く。そんなメッセージ。

 それにしても、別れた妻ってどうしてあんなに冷たいのでしょう。それはもう世界共通でそうだから、生理学的なものですね。男のほうがロマンチストすぎるのか、男の僕にはいつまでたっても理解できません。

 そこでの「孤独になった中年男と慕ってくれる娘」の構図は相変わらず鉄板。男のロマン。中年男ご用達の良作。