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基本データ・おススメ度
『若き人妻の秘密』
原題:Le roman de ma femme
2011年 フランス
監督:ジャムシェド・ウスマノフ
出演:レア・セドゥー、オリビエ・グルメ、ジル・コーエン、ティボー・バンソン
おススメ度★★☆☆☆(2/5)
フランスの地味な恋愛サスペンス。面白いか面白くないかで言うと面白くないという感想が多そうだけど、レア・セドゥーの不機嫌な魅力は全開です。地味ながら、登場人物の心理の推移とそれを表現する俳優の魅力をジックリと味わいたい向きにはおススメ。一見、破綻してそうな脚本・演出も、真意がわかると理解できてくる。個人的には★4。良い映画だと思います。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
イブ(レア・セドゥー)が警察で捜索願いを出している。失踪したのは弁護士である夫のポール。哀しむイブの元に借金取りが現れる。イブに内緒で夫は多額の借金をしていたらしい。ショックで倒れるイブ。
病院に見舞いにきたのは夫・ポールの元上司で、親ほど年上の弁護士・ショレ(オリビエ・グルメ)。ショレは、イブに何も相談しないまま、ポールの借金を全額返済し当座の生活費までイブの口座に振り込む。「そんなこと勝手にされても困る。返せないし、きっと貴方は見返りを求める。」と戸惑うイブ。
初老のショレは、妻と息子に先立たれて孤独になっていた。「妻が死んだときに、私の人生は終わってるんだ。」と言う。
ショレの献身的サポートにイブは感謝はしながらも、寂しさから電話したのは、今は妻子持ちとなっている元カレ。昔、自分からふった男だった。元カレの自宅へ行くが、妻にみつかり追い払われる。
ショレの優しさについに心が揺れたイブは自分から「愛してる。」と告るが、ショレは「君は寂しいだけだ。たまたまそこに私がいただけだ。そんな気持ち、すぐに終わる。」と拒否る。なんでや。
その後、仕事で落ち込むことがあったショレはイブを呼び出す。二人は男女の関係になる。
その間も、夫の失踪事件になにかしらの事件性を疑っているらしき警察の捜査が進んでいた。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
前半はひたすら紳士だったショレだが、一度、若い女を味わってしまったジジイは止まらない。イブの「結婚してから夫一筋だったから(浮気は)慣れていない。」という、いかにも嘘っぽそうなセリフにも嬉しそうに笑うスケベおやじ。
イブは警察から衝撃の推理を聞かされる。「夫の失踪は、ショレが君を手に入れたいために計画したもの。弁護士として自信をなくすように仕向けて彼を借金まみれにしたのも計画的。ショレの息子と嫁が死んだのも、彼にとっては望み通りだったんだ。」と。
確かに、ショレのイブへの援助は度を過ぎている。与えるおカネの額にしても普通に考えたら有り得ないレベルだ。警察が疑うのも無理はなかった。
その夜、イブはジジイに別れを切り出す。「やっぱりやめたい。歳も離れているし、貴方が最初に言ったように、ただ寂しかっただけ。」と言うが、スイッチの入ったジジイは納得しない。警察の推理もストレートに本人に話すが、ショレは一笑に付す。そればかりか、公正証書にした遺書を見せる。遺書の内容は、自分の死後は財産をイブに譲渡するという内容。「その見返りに寝るってこと?」と言うイブ。「言葉を選んでくれ」というハゲおやじ。
オヤジに押され再びくっつくイブ。ホテルの一室。心臓が悪いオヤジの薬が切れた。早く薬を買ってこないとヤバい。処方箋を預かり薬局に向かうイブ。が、近くの薬局は日曜日のためことごとく休みだった。走り回るイブ。
そこに元カレが後をつけてきていた。「薬局まで送って」とクルマに乗るイブ。元カレは、クルマを別方向に走らせ、イブに、昔フラれた愚痴を言う。「明日でもいつでも会うから今は薬局へ」と言うイブの太ももに手を伸ばし、車の中で強姦する。
車からほっぽり出されたイブはやっと薬局につき、薬を買って戻るが、すでにショレは息絶えてた。泣きじゃくるイブ。
葬儀の後。公衆電話から夫のポールに電話するイブ。「死んだか?よし、よくやった。すぐに会おう。」という夫の声。失踪は、ショレから財産を奪うための夫とイブの計画だった。
しかしイブは「もう会わない」と受話器を置き、静かな山の中で呆然とする。
つまりこういう映画(語りポイント)
フランス映画らしく心情の説明をとことん排除しているため、いかようにもとれるシーンが多い。どれが正解とは言い切れない部分もあり。例によって、以下あくまで僕の解釈です。
疑えば悪に見える。信じれば善に見える。
ただそれだけのこと。
オヤジ・ショレが、イブに多額の援助をするのは普通に見たら怪しい。たとえそこにエッチな下心があったとしても、彼女を助けたいという気持ちに嘘がなければそれでいい。しかし、ショレは最初のイブからの誘いを断っている。下心ではなかった。「じゃどうしてそこまで?」と第三者が考えたところで、答えは本人の中にしかない。
妻と息子を失くし「人生終わった」と感じている初老の男が、なにを想って若いイブに手を差し伸べたのかは不明ですが、そこから、イブの気持ちにつられてスイッチが入ってしまい、明確に「女」という見返りを求めだす。それも、さもありなん。そりゃそうだレベルに共感できる。
心臓が悪く余命はせいぜい五年と自覚している孤独なオヤジが、人生の最期に、自分を慕ってくれる若い女と最後の想い出を作りたいと願ったとしてもまったく罪だとは思わない。、
でも、疑ってしまうんですよ。他人を疑うのが人間なのですよ。
それは、この映画がサスペンスで、警察も明確に彼を疑っている。観客もジジイを疑うように仕向けられているんだから、そりゃ疑って観てしまう。
しかし、実際にジジイは悪くなくて、別件の仕事で依頼人を疑わなかったために、他人を信じすぎたために哀しい結末を見せられることになり、それを機に、紳士を封印してイブの「女」を求めだす。この流れは、とても人間臭くて好きです。
ちなみに、そうではなく「そもそもショレが、イブを手に入れるために夫を陥れた」と云う警察の見立てが真実だったとの解釈も可能かも。善と悪が混在しているのが人間。だとしたら、それを知った上でショレに接していくイブの心境もさらに複雑ということになり、騙し合いの末に、ひょうたんから駒のように、お互いを本気で好きになってしまった…というお話だとしてもアリです。さすがにそこまでは深読みしすぎでしょうけど。
ここは、素直に善良な人だったと考えるのが正解でしょうね。
一連の気持ちの動きを表現するオリビエ・グルメの表情が素晴らしい。
で、なにやら評判が悪いラストのネタですが…。
「すべては、ショレから財産をせしめるためにイブと夫のポールが仕組んだ芝居だった」と云うのがどんでん返し。計画は成功したが、しかし、イブは「もう会わない」とポールを裏切って終わる。
このネタが酷評されるのは、おそらくですが「それにしては、あそこのシーンはなんだったんよ?」「じゃ、あれはどういうこと?」と、脚本や演出の整合性に疑問を感じるから。
そう感じるのは、イブが途中から「迷っている」からです。
たとえば、警察から推理を聞かされたイブがショレに冷たく接するシーンがありますが、ラストとの整合性を考えると、あそこでイブから別れを切り出すのも無理がある。財産を奪おうとしているわけだから。別れちゃったらダメだから。遺書を書かせるための作戦と考えられなくもないけど、だとしたら、その後が都合よく進みすぎる。リスキーすぎる作戦ということになる。
なら、もっと単純に、ショレへの想いが本物になってしまったがために(それが同情であったとしても)、彼を救うために、関係を終わらせようとしたとみるほうが無理がない。
イブが罪の意識に苛まれて気持ちを入れ替えた流れは、必死に薬局を探し回る姿をみても明らか。必死にショレを助ようとする。
そこで決定的に邪魔をしたのが元カレ。元カレに車で連れ去られ、車内で無理やりヤラれている間に、ショレは死んでしまっていた。
ここの「元カレ」は「過去」のメタファー。
今さら思い直しても、どうすることもできない「消し去れない過去」を表す比喩ですね。正しい道を進もうとした途端、自分がしでかした過去に邪魔をされる、そんなシーン。
これは、その後、イブが夫・ポールに「もう会わない」と告げる動機・伏線になっていて、つまり、過去に嫌気がさしたイブが「ふざけんな!」とばかり、過去と決別して未来に進もうとする生命力を表している。
不機嫌な顔の似合うレア・セドゥーが、これ以上ない不機嫌な顔で、無機質にボーッと未来をみつめている。そんなラストカット。
そういえば、ラストちょっと前の、タバコを吸いながら泣きじゃくる30秒くらいあるカット、あそこのレア・セドゥーもイイですね。
なにはともあれ『不機嫌クイーン』レア・セドゥー満開の映画です。
▼こちらもレア・セドゥー代表作のひとつ。