基本データ・おススメ度
『ロスト・イン・ザ・サン 偽りの絆』
2016年 アメリカ
原題:LOST IN THE SUN
監督:トレイ・ネルソン
出演:ジョシュ・ディアメル、リン・コリンズ、ジョシュ・ウィキンズ、エマ・ファーマン
おススメ度★★☆☆☆(2/5)
ロードムービーとして友情物語として、ラストシーンもそれなりにグっと来るものがあるので鑑賞後の気分は悪くない。ただ、あまりにも予想通りのオチに逆に驚いてしまいます。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
冒頭、ジョンのナレーション。「犯した過ちは見えるものだ。その人の姿勢や表情でわかる。俺の人生はあやまちばかり。誰のせいでもない、俺の罪だ。」
13歳の少年・ルイスは母を失くし、孤独になった。身寄りは遠くに住む祖母だけ。神父が世話をしてやり、祖母の家までのバスチケットを渡してくれた。
ヒゲ面の怪しい男・ジョンがルイスを見ている。声をかけてきた。祖母に頼まれた、家まで送っていくという。最初は怪しんでいたルイスだったが、長距離バスが好きではないこともあり、ジョンの車に同乗することにした。
途中、ルイスの祖母に電話をするジョンだったが、祖母は「良く電話をかけてこられたわね。ルイスをバスに乗せて。」と言う。無視して電話を切るジョン。
ジョンはどうやらルイスの家族となにかしらの関係があり、なおかつ、今は絶縁状態にあるということが(観客には)わかる。
ルイスの持っていたお金を握り、借金返済にいくジョン。それはただの借金ではなく、刑務所にいる妹の身を守るための資金。利息が足りなかったため、ジョンはボディガードにボコボコに殴られる。思い直してルイスにバスチケットを買い与えるジョンだったが、ルイスはバスに乗らず、道端で泣いていた。
ルイスは再びジョンの車に乗る…。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
ルイスに運転や銃の使いかたを教えるジョン。かなりうちとけてきた。楽しそうなルイス。「銃を持つ理由はただひとつ。優位に立つためだ。」
コンビニ強盗に入るジョン。驚いたルイスは、あわやみつかりそうになるジョンをとっさに援護し、その瞬間から共犯者となる。二人は何度か強盗を重ね。モーテルに泊まりながら旅を続ける。
警官に職務質問されたときには、ルイスが母の身の上話をしてごまかし、教会までパトカーで送られることに。食事目当てで集会に参加するが、翌朝、寝ている信者たちの貴重品を奪って逃げる。
あるモーテルで、未亡人らしき女・メアリーと、ルイスと同い年の娘・ローズに出会う。 ジョンとメアリーは意気投合し、ルイスとローズもお互いに意識しあっていた。翌日から、メアリーの車に同乗して四人旅となる。
ベッドでメアリーに「あの子はなに?あんたの息子?」と聞かれるが「違う」と答えるジョン。ローズに「いつも逃げたいと思ってる。逃げるとしたらどこへ逃げる?」と聞かれ「家へ帰る」と答えるルイス。
メアリーは「実家が近いから泊まりに来ない?いつまでいてもいい。」と言うが、ジョンは「遊びは終わりだ。俺たちもう行く。」と断る。
ジョンが自分に本気じゃないと思ったメアリーは態度を豹変させて、ジョンをなじりだす。「この男は、失敗ばかりしてきた。失敗ばかりでヤケクソになってる。自分が孤独だからルイスを連れまわしているだけ。人生を生き抜くガッツがない。ジョンはルイスを利用してる。私も使い捨ての女。最低。」言いたい放題。
ジョンは「俺はやはり生き方を変えられない」といいと銃を取り出し、近くの銀行を襲う。大金を手にしたジョンを、メアリーの車を奪ったルイスが援護し、二人で逃走する。
ジョンは「メアリーの言ったことは本当だ。全部当てやがった。」と言う。「刑務所ではみんなが人のせいにしている。親や恋人、妻のせいだと。でも違う。自分のせいだ。誰のせいでもない、俺の罪だ。」
祖母の家が近づいてきて、ジョンはルイスに正装させる。白いきれいなシャツを着させる。しかし、立ち寄ったガソリンスタンドで指名手配犯だと店主にばれたジョンはそこで店主に「本当のことを話す」といい「あいつは俺の息子だ。でも親だなんて名乗る資格が俺にはない。」と打ち明け、店主に、自分は捕まり、ルイスだけは逃がすように頼む。
通報でパトカーが到着しジョンは逮捕される。
ひとりで汽車に飛び乗ったり、車を盗もうとしたりしながら、白いシャツをボロボロにしつつ、ようやく祖母の家へたどりつくルイス。
迎えてくれた祖母に、母の部屋に案内される。「パパとママと生まれたばかりのあんたの写真よ。」と見せられた写真には、若いころのジョンが写っていた。
つまりこんな映画(語りポイント)
先に悪いところを。
予想外の展開に驚くのではなく、あまりにも予想通りの設定に驚愕します。
ジョンが少年ルイスの父親だったという設定のことですが、それはそれで定番としてはアリですので、せめて、最後の最後の家族写真まで一切匂わせずに隠し続けてくれたら。
割りと早々に、ジョンがルイスの祖母に電話をして「ルイスとなにかしらの家族関係にある」ことをバラシてしまうのです。それもセリフでしっかりと。
中盤のメアリーの「あんたの息子?」という問いも、もしやミスリードかと勘繰ったのですが、ミスリードどころかただの図星だったということで。
ダメ押し気味に、ガソリンスタンドのおやじに、そこもまたセリフではっきりと「息子なんだ」と言っちゃいます。いや、言ったという設定でもいいのですが、そこは観客に見せなくて良い。
まったくもって「(良い意味での)裏切り」が皆無なのです。
そして「見せなくてもいい」ところを見せてしまっている映画です。
良いところ。
それでも、最後の写真のシーンはグっとくるものはあるし、それなりに良い映画なのです。どこが良いかというと、それはジョンにまったく飾りがなく嘘がないからなんですね。
映画というものは、ストーリーを見せるためのものでもなく、意外な展開で驚かせるためのものでもない。そこで生きている「人間」を見せるものなのです。
人間が生きていれば、どんな陳腐なストーリーだろうが、ご都合主義の嘘っぽい設定だろうが、なんでも許せてしまうのです。そういう意味で、この映画の登場人物たちは、みんな「生きている。」だから、観た後に悪い印象が残らない。
メアリーという女性との出会い。あれは、もしかしたら掴めたかも知れない幸せのチャンスでした。でもそこでも「どうせ俺なんか」な低い自己評価から踏み込めず、その場を去ろうとしてしまう。
それを見てブチ切れるメアリー。一見すると嫌な女に見えなくもないあのシーンに、僕は、メアリーという女性の優しさと生命力を感じました。だって、人に嫌われるかも知れないことを、その人のためを思って言うのはとても労力がいることなんです。
そして、その言葉に素直に反省しながらも、すぐにヤケクソになって銀行強盗をしてしまうジョンのどうしようもなさ。さらに「しょうがないなぁ」とばかりジョンをアシストする少年ルイス。みんな一様に「人間」を見せてくれてる。
「人間」を嘘なくしっかりと見せてくれているから、この映画は「特に面白くもないけども、悪くはない」のです。
ラストシーンの、写真をみて目を赤らめる…少年の表情も実に良いです。
ところで「ロスト・イン・ザ・サン」の「サン」はSUN…でしたか。直観的に太陽のサンかと思ってしまい、ありがち題名群に埋もれてしまいそう。
カタカナって便利でもあるけど、不便でもありますね。そこは邦題だけでよかったのでは?