基本データ・おススメ度
『コフィ―』
原題:COFFY
1973年 アメリカ
監督:ジャック・ヒル
出演:パム・グリア、ブルッカー・T・ブラッドショウ、ロバート・ドクィ、ウィリアム・エリオット、アラン・アーバス、シド・ヘイグ、バリー・ケーヒル、リンダ・ヘインズ
おススメ度★★★☆☆(3/5)
この映画こそがタランティーノの原点かも?そう思えるB級アクション。黒人女優、パム・グリアの魅力は全開で、少なくとも「ジャッキー・ブラウン」につながる原点であることは間違いない。タランティーノ・ファンなら必見。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
冒頭、ゴーゴークラブで「ヤク中毒の女」として麻薬ディーラーに紹介されたのはコフィ―(パム・グリア)。その巨乳に目がくらんだディーラーをホテルの一室で銃殺するコフィー。どうやら、麻薬中毒にされた妹の復讐のため。
コフィ―の本当の仕事は看護婦。病院で知り合いの警察官と話す。先だっての事件はジャンキーがディーラーを撃ったと見られ捜査中らしい。コフィ―が犯人だとバレてはいない。
コフィ―は、知り合いの警官カーター(元・恋人)に娘の復讐を相談するが「全員殺すつもりか?無理だ。法律に守られる」と乗り気でない。
カーターに元に麻薬組織の情報が入ってきた。情報をコフィ―に話している時に、二人組の暴漢に襲われる。ついでにあわやコフィ―も性的暴行を受けそうになるが、そこは、パム・グリアのオッパイを一瞬、画面に写すための脚本だったようだ。暴行は免れ男たちは逃げていく。
検査の結果、カーターは脳に影響を受け植物状態になる危険性もある重傷だった。
コフィ―は、妹とカーターの復讐を誓い、色気を武器に関係者に近づいていく。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
ボスであるキング・ジョージの元・オンナだったレズビアンの娼婦を訪ね、ジョージの情報を得る。ジョージは外国風の女が好きで、たとえばジャングルに住むような女が来たらビンビンになるとか。薬は暖炉の中に隠してあることも。
コフィ―はジャマイカ人になりすまし、ジョージに近づく。
ジョージが運営する売春組織に新人として潜入。ジョージをさらに誘惑する。※ここでパム・グリアの全裸シーン登場。
パーティでは、コフィ―の美貌に嫉妬した他の女性たちに嫌がらせを受けるが、仕返しに女たちをボコボコにするコフィ―。女性たちの乱闘でそれぞれのオッパイが無意味に露出される。
コフィ―は暖炉の中の麻薬を砂糖にすり替える。
マフィアのボス、ヴィトローニに娼婦のフリをして近づいたコフィ―は、自分がキング・ジョージの差し金だと嘘をつく。そのため、キング・ジョージはマフィアに拉致され、首にロープを巻き付けられて「黒人リンチだぜ」と車で引きずられてしまう。わけのわからないジョージはそのまま殺される。
一方、納屋に監禁されているコフィ―。
麻薬密売には政治も絡んでおり、議員が汚職をしているが、小屋で仲間割れの言い争いを始める組織の人間たち。話を聞いていたコフィ―を議員が「殺せ」と命じる。
コフィ―は男たちを誘惑し、一発やろうとした男の隙を見て逃げ出す。
汚職警官のパトカーを横転させ、火をつけて逃げる。
適当な車をヒッチハイクしたコフィ―は、運転していた男に酒を買いに行かせて、そのまま車を奪い、麻薬組織の男たちの家に突っ込む。銃で順に殺していくコフィ―。
最後に悪徳政治家の家へ行く。「黒人がクスリに溺れたのは虐げられた痛みから逃れるためだ」「俺たち(有色人種の)ためだ」と、言い訳をする政治家に「本気で惚れて損した。あなたは白人以下よ。」と言う。二階に白人の女が裸でいることを確認したコフィ―は、迷わず引き金を引いた。
つまりこういう映画(語りポイント)
タランティーノの隆盛により、彼がこよなく愛したB級映画があらためて世間から注目されることになったことは「残虐全裸収容所」のレビューでも書きました。
その「残虐全裸~」で出会ったジャック・ヒル監督とパム・グリアが、今度こそ正真正銘のパム・グリア主演作として撮ったのが、この「コフィー。」
あらためて観ると、まさにこの映画こそが、タランティーノ映画の原点なのだとわかる。タランティーノ映画には黒人の蔑称である「ニ●ー」という単語がこれでもかと登場しますが、マイノリティーへの差別、それも、こと黒人への人種差別発言を「どうしてそこまで」と思うほど、タランティーノは多用する。誤解を恐れずに書くなら、それも、問題提起のためというよりは、単純に面白がっている風に見える。
タランティーノはもちろん白人なわけですが、それでも、差別を意図としていないことはハッキリと伝わってくるから不思議で、むしろ、黒人を愛しているのでしょう。だからこそ、自虐的な冗談のように感じて、嫌悪感はない。
もっと深読みすれば、なんでも許された時代、表現の自由が許された時代を、こよなく愛しているのだと思う。だから、あえてやっているのかも知れない。
ある意味で問題提起なのでしょう。
黒人のパム・グリアは、その顔立ちもダイナマイト・バディ(死語)も、人種を超越した魅力に溢れていて、劇中で一度だけ出てくる全裸シーンは息をのむばかり。
ストーリーはなんてことなく、ただ、麻薬中毒の妹の復讐をする女の話、ただそれだけの話なのですが、映画とは本来、大衆娯楽でありショーであって、そこに小難しい細工など不要。
無意味におっぱいを露出するために撮られたような女同士のケンカのシーンや、パムがあわやレイプされそうになり、一瞬、乳首トップを見せるとか、娯楽として意図的に女性の裸を使っている。
それは、今の時代なら、いろんなところから怒られそうな手法なわけです。女性を売りにしているだけで、性差別だとか、女性蔑視だとか。でも、実際、映画でもなんでも、歴史上、性が売りになってきたのは事実であり、そこに目を背けるほうが不自然。下手したら歴史わん曲になる。
表現の自由…良き時代…そんなキーワードがアタマに浮かぶ痛快アクション。歴史のお勉強にどうぞ。
▼ジャック・ヒル&パム・グリアの前作