【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『十二人の怒れる男』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『十二人の怒れる男』
原題:12AngryMen
1957年 アメリカ
監督:シドニー・ルメット
脚本:レジナルド・ローズ
出演:ヘンリー・フォンダ、マーティン・バルサム、ジョン・フィードラー、リー・J・コップ、ジョセフ・スイーニー

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 不朽の名作です。文句なしにおススメ。

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簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)

 父親殺しの罪に問われた少年の裁判。12人の陪審員のあらかたは、もう有罪で決まりだから、早くかたづけて「さっさと帰ろう」と思っていた。しかし、12人のうち、1人だけが「無罪」主張する。

 評決には全員一致が必要。「帰れない」と文句をいう11人に「人の命がかかっている。もっと討論しよう。」と言うナンバー8。

 固定観念に囚われずに証拠の疑わしい点を一つ一つ再検証するうち、十一人の心も、徐々に変化してきて…。

ネタバレあらすじ

 18歳の少年に死刑判決が下されようとしていた。被告が貧困層の少年であること、前科があること、あいつならやりかねないとの決めつけ、民族的な偏見、弁護人の職務放棄、充分な検証なく進められた裁判の結果。

 少年の命は、12人の陪審員の全員一致による評決に委ねられたが、12人のうち1人が無罪と言い出したことから、5分で終わると思われた会合は思いもよらない白熱の議論に…。 

 やがて、3対9…6対6…9対3…というように、続々と無罪側に寝返っていき、ついには12対0、評決一致で「無罪」となり、12人の陪審員たちは裁判所を後にする。

つまりこんな映画(語りポイント)

 メディアによる情報操作。 ネット上での私刑の蔓延。偏向報道を信用した一般庶民の代表としてテレビのコメンテーターが発言し、その発言を再びメディアが報道する。集団リンチの無限ループ。その間にすっかり洗脳されていく視聴者。推定無罪の原則を無視したような昨今のメディア手法は「十二人~」での少年の裁判とさほど変わらない。

 陪審員はお互いの名前を名乗ってはいけない。公平性を保つために、極力、匿名性を維持したまま議論を進める。

「今夜はヤンキースの試合を観に行くんだ。さっさとやろうぜ。」

 物語の序盤、一人の人間の命を左右する緊張感なんて微塵もない、怠惰な空気が場を支配しているんだけど、それはひとえに「匿名であること」から生まれる無責任さ。なんとなく流れのままに有罪に投票しても「少年を死刑にした」責任を問われることはないからだ。

「どうせ有罪に決まってる。それでいいじゃん。」

 匿名から当然のように発生する無責任、あるいは残酷な意識。1950年代に「密室内の特異な空間」として描かれた設定は、今、見ると、まるで昨今のネット社会そのもの。

 名作というものは、どこかに、未来の問題点を予見するようなテーマが強烈に入っていることが多い。

 最初に無罪に投票した男の当初の主張はただ一点。

「(有罪か無罪か)わからないから。」

2番目に無罪に寝返った男も同じことを言う。

「有罪かも知れないが、もう少し話を聞きたくなった。」

 無罪との確信もないが、かといって有罪の立証が怪しいまま、少年を電気椅子に送るわけにいかない。そこから、最終的に0対12…オール無罪になるまでの過程が見どころなのですが、ただ、この映画の本当の深さは「無罪になって良かったね。」ではなく「有罪か無罪かは(事実は)結局わからない」ところ。

 無罪の少年を電気椅子に送るものマズいが、有罪の殺人犯を無罪にするのも、同じくらいマズいことだ。無罪ではなく、ノット・ギルティ=有罪ではない。ここにもちょっとした制度の闇がある。

 形を変えながら、どの時代にもおそらく存在する「人間の意識の」問題。

 それは差別だったり偏見だったり、今後、世界がどう変わろうと、使うアイテムがどう変わろうと、ずっと普遍的に変わらないのだな、と気付かせてくれる映画。

 

 最後に、どうでもいいことですが、

 中盤、採決がいよいよ6対6になったとき、例の早く帰りたい野球好きオヤジが「ちっ!これで延長戦か。」と言います。これ、なにげないけど好きなセリフです。一言でこの人のすべてを表しながら、場の空気の説明にもなっている、完成度の高いセリフですね