【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『マレーナ』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『マレーナ』
原題:Malèna
2000年 イタリア
監督:ジョゼッペ・トルナトーレ
出演:モニカ・ベルッチ、ジョゼッペ・スルファーロ、ガエタノ・アロニカ

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 道徳を盾にした偽善。人間の愚かさ。すべてを見ながら傍観者でいるしかできない無力さ。イタリアの宝石、モニカ・ベルッチが美しい、映画史上屈指の秀作。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 時は第二次世界大戦、物語の舞台となるのはイタリア、シチリア島。主人公の少年レナートは12歳、街の思春期仲間たちと同様、年上のマレーナのカラダに興味深々だった。

 しかし、マレーナの夫は戦場で命を落とし、父親も空爆でなくなる。生きていく術を無くした彼女は徐々に自分の身を男達に投じていくようになる。周囲の誹謗中傷にさらされる彼女をただひたすら見守ることしかできない少年レナートの視点から、時代に翻弄される人々の愚かさや滑稽さを美女・モニカ・ベルッチ演じるマレーナを支点に描く群像劇。

 1940年代、第二次大戦中のシチリア。12歳の少年・レナートは街で一番の美女・マレーナ(モニカ・ベルッチ)に目を奪われる。妄想の中で、彼女とキスしたり、誘惑されたり、西部劇の主人公になったりする。ストーカー丸出しで彼女の生活のほぼすべてを追いかける。彼女が部屋で踊っていた時にかかっていた曲のレコードを買って、自宅のベッドで聞きながらマスをかく。
 マレーナの夫、ニーノが戦死したとの知らせが入る。悲しむマレーナとは裏腹に、街の男たちは「これでマレーナとヤれる」「チャンス到来」とほくそ笑む。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 マレーナは、カディ中尉と新しい恋をしようとする。しかし、カディがマレーナの自宅から帰ろうとするとマレーナを狙っている歯医者がカディに殴りかかり歯医者の妻が怒る。そして歯医者とマレーナを訴える。
 「幸せな家庭を壊そうとした」として裁判にかけられるマレーナ。中尉は証言で「あれは遊びだった。本気ではなかった。」とする。マレーナの美しさに嫉妬する女たちや、無責任にマレーナをなじる街の人たちに変に思われたくなくて逃げたのだ。弁護士の活躍もありマレーナは無罪となる。
 マザコン弁護士は「お金がないけどこれだけ」と弁護士料を払おうとするマレーナに「私の弁護料はとても高い。君には払えない」と言って、代償としてマレーナのカラダを求める。街での悪評はどんどん酷くなる。レナートはそんな状況をすべて見て哀しみ、教会で「あんたは僕を裏切った」と悪態をついたり、ムッソリーニの銅像を壊したりする。
 あまりの悪評に、マレーナは、唯一慕ってた父からも勘当されていたが、その父が空襲で亡くなる。
 それを機に「生きていくために」娼婦になるマレーナ。街の噂話は一段とエスカレートしてくる。「あばずれ」「ドイツ兵とも寝る女」。
 ショックで倒れるレナート。母は「これで父の伝染病がなおったことがある」とレナートに悪魔払いを受けさせる。父は「そんなことで治るか。女と一発やらせりゃ治るんだ」と息子のレナートを風俗店に連れていく。マレーナと似た娼婦を選び童貞を捨てるレナート。
 戦争が終わると「娼婦狩り」がはじまった。「アバズレに制裁を!」と街の女たちが寄ってたかって裸のマレーナを表に引きずり出しリンチを加えた。髪もズタズタに切られ、血まみれで泣き叫ぶマレーナ。ただ傍観しているだけの男たち。マレーナはシチリアを追い出される。
 夫・ニーノは生きていた。戦死は誤報で、片腕を失くしたが生きていた。帰ってきたニーノに「ヤリマン女の夫が帰ってきた」と陰口を叩き、自分が命がけで守ってきたはずの街の男に暴言を吐かれる。誰もマレーナの行先を話そうとしなかったが、レナートは一大決意をしニーナに手紙を書く。「街の噂は気にしないでください。マレーナが愛していたのは、ただ、貴方一人です。」とマレーナの行先の街を知らせる。汽車に乗りマレーナを探しにいくニーナ。
 一年後、ニーナとマレーナはシチリアに戻ってきた。相変わらずヒソヒソと噂話をする街の人たち。
 市場に出たマレーナ。「良く帰ってこれたわね」などの陰口が聞こえる中、彼女をリンチした女たちが「こんちにわ」と声をかける。堂々と顔をあげ「こんにちわ」と返すマレーナ。一転、口々に「おかえり」と言う女たち。和解。しかし、マレーナは決して笑顔は見せず、市場で買った食料を抱えて帰宅していく。

    道にオレンジを落としてしまうマレーナにレナートがかけよる。「ご親切にありがとう」とだけ言って去るマレーナに、レナートが声をかける「お幸せに、マレーナさん。」彼女は微笑を返し、歩いていく。

まりこんな映画(語りポイント)

  この映画は、マレーナという悲劇の美女を主人公としていながら、その周りの大勢の人間たちを描いた群集劇です。本当の主役は群衆

 戦争や時代の流れに逆らえないちっぽけな人間たち。妬み、欲望、打算。人間の醜さ。すべてを見て真実を知っていても何もできない、傍観者でいるしかない人間の弱さ。でも、それもすべて含めて人間なんだ、というメッセージ。

 「人間という生き物の哀しさ、滑稽さ」を描いた映画です。

 美女・マレーナや、少年・レナートは、主役だけど、実は映画の中では、表現のための題材に過ぎない。

 マレーナは美女だけど、それを鼻にかける描写は一切ない。ただ、生きていくために美しさを利用する。ただ、その選択は彼女にとっては「絶望」であり「やけくそな、唯一の生きていく術」だった。
 彼女が娼婦になった時の、大勢の男が彼女の咥えたタバコにライターの火を差し出すシーンは、めちゃ哀しい名場面。
 演劇的、まるでミュージカルでやるような演出ですが「彼女の哀しさと決意」「男たちの欲望と打算」など、多くのことを一度に表現している素晴らしいカットです。

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 リンチ・シーンは、これも映画史上指折りの凄惨さ。
 撮影、絶対に大変だったろうな~、やるほうの俳優さんたちも。ハサミ持ってるし、気をつけないと大事故になる。それでも気持ちを入れなきゃいけない。超・緊張する仕事ですね、俳優目線で見ると。
 日本の女優さんで、すでに名前のある女優さんで、ここまでやる人はいるだろうか?きっといない。だからモニカ・ベルッチって凄いんだ。それゆえの「イタリアの宝石」なんですね。ただ綺麗だから、美しいから、じゃないんです。

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 中盤、街で群衆がかわるがわる噂話をする長廻しのカットや、ところどころ、絶妙なタイミングと位置に少年が自転車で登場するカット。素晴らしい構図がたくさんあります。映画的であり演劇的でもあり。現実的でもあり漫画的でもあり。演出やコンテ割りのさじ加減が絶妙です。素晴らしい。

 前半をコメディタッチにした選択。語り手を少年にした設定。それがあるから、物語としては陰湿な話を、どこかノスタルジックな気持ちで観れて、人間の滑稽さも感じやすくなっている。

 ラスト、なぜ二人はシチリアに戻ってきたか。

 現実的に考えると戻ってこなくていいんです。あんなに酷い目にあった、また好奇の目で見られるかも知れない、なにをされるかわからない街に戻ってくる必要はないんです。それでも二人は戻ってきた。
 あれは、シチリアを「唯一の生きる場所」とした、つまり「それでも生きていく」「生きていかなきゃいけない」という比喩ですね。 

 また、マレーナたちと和解する女たちにとっても、「また戦うのか、あるいは和解するのか」どちらにしても労力と決断が必要な選択を強いたのです。映画を作った側が。

 しかしそれさえ、女たちにとってはたいした事ではない。「そういうわけで、よろしくね。」なのです、あれだけ酷いことをした相手に対して。このあたりも、人間の人間らしさを良くあらわしている。決してハッピーなエピソードではない、
 
 全体像を「(少年だから)ただ、見ているだけしかできない人」と「(映画だから)見ているしかできない僕ら(観客)」が、「その場にいるのに何もできない、何もしない群衆」を見ている

  誰もが傍観者でいるしかない。

 「なにもできない」ちっぽけな人間たちの映画。

 

▼モニカ・ベルッチが「普通に綺麗なお姉さん」だった頃の秀作

cinema.kamuin.com