【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

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3分で映画『獣は月夜に夢を見る』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『獣は月夜に夢を見る』
原題:NAR DYRENE DROMMER
英題:WHEN ANIMALS DREAM
2014年 デンマーク・フランス
監督:ヨナス・アレクサンダー・アーンビー
出演:ソニア・スール、ラース・ミケルセン、ソニア・リヒター、ヤーコブ・オフテブロ、ティナ・ギリング・モーテルセン
 おススメ度★★★☆☆(3/5)
 「モールス(僕のエリ)」とほぼ同じコンセプト。『宿命』を背負った異端子と、群れをなすしか生きる術のない人間たち。双方の哀しさを描いた秀作。個人的には「モールス」同様にド・ストライク。北欧の情緒あふれる雰囲気も良い。絶対的に好き嫌いが分かれますが、個人的には★5です。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 ある北欧の町。車椅子生活の母を看病しながら父と暮らすマリー。母はもはや意識がないような状態で言葉も話さず無表情。

 魚の加工工場に働きに出るが、イジメ並みの手洗い歓迎を受ける。実際、マリーは町ぐるみでイジメにあっていた。

 自宅には常に医師が来ていて、母だけでなくマリーの診察も行われる。マリーは、医師のカバンの中からなにやら書類ををみつける。書類は、獣の絵や、何者かに引っかかれた誰かの背中の写真など。

 変な夢を見る。獣のような人間が吠えている夢だ。

 工場でダニエルと知り合う。ダニエルはマリーに好意を持っているようだ。工場のロッカールームでも、男二人がマリーを襲い、レイプ直前までの悪戯をしては、笑って去っていく。

 自宅でシャワーを浴びているマリーは自身のカラダの異変に気づく。胸の上のアザから毛が生えてきている。呼吸が荒くなってきて瞬間的に狂暴になる。浴室の外からの父の「どうした?大丈夫か?」の声に我に返るマリー。

 母の散歩をしているところにダニエルが来る。「君が看病をしているの?」と言い、反応の薄い母の手を握り優しくみつめるダニエル。

 マリーは父に「母はなんの病気?」と聞きながら、父に胸の毛を見せる。胸の毛をカミソリで剃りながらも、何かを悟っている様子のマリー。あらためて見た医師の書類の中には、母の診察記録もあった。

 翌日、家に帰ったマリーは、医師と父の会話を聞く。「兆候が出てきている。まだ本人には何も話していない。」

 どうやらマリーの家系そのものに秘密があるらしい。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 医師は「体に異常が出てきているはずだ。どんどん毛深くなってくる。そして性格も短気で攻撃的になってくる。」とド直球に言う。「薬を飲んだほうがいい」という助言に「私は飲まない」と拒否するマリー。

 マリーは、港にある廃船の中に入る。船底で、写真で見た壁の絵や、天井のひっかき傷、みつける。

 フェリックスの家に行ったマリーは「あの船の持主は?」「母はあ船に乗ったことある?」と聞く。フェリックスは「君の母は美しかった。だけど怖がられていた。お前と一緒だ」と言うと「踊りに行こう」とマリーをダンスホールに連れて行く。

 ダンスホールでダニエルに会ったマリーは「私が怪物になってしまう前に抱かれたいの。手伝ってくれる?」とささやく。

 二人で夜の海に行き、愛し合うダニエルとマリー。行為の最中、マリーの背中から毛が生えてきて、目が真っ赤に充血した。

 翌朝、自宅で目を覚ましたマリーを父が抑え込み、医師が無理やり注射を打とうとする。が、その背後から医師に襲い掛かったのは、母。喉元を噛み切った。

 医師の遺体を庭に埋める父とマリー。血だらけの母のカラダをバスタブで洗うマリーだが、母はまた意識を失くし、まともに座れない。そんな母を優しく抱きしめるマリー。廃船の中で、船の持主だったロシア人の始末をしたのは父だったと悟るマリー。母を守るために。

 翌日、村の人たちが数人、自宅に聞き込みにくるが、医師の行方は知らないとごまかす父。自宅にあがりこみ母の様子を確認する村人たち。あきらかに疑った様子。マリーに「お前も監視するからな」と言って帰っていく。

 次の日、母は自宅で死んでいた。薬を飲んだ形跡とバスタブの底に沈んだ母の遺体。自殺か他殺かは定かではない。戻ってきた父は「嘘だろ?」と言いながら泣き叫ぶ。

 母の葬儀。花を持つマリーの手の爪には血が滲んでいた。手を隠すマリー。食事をするマリーの口からは血が滴り落ちてくる。見かねて「やめろ!」と叫ぶ父。マリーの怪物化が確実に進んできた。

 外出しようとするマリーを引き留め「外では助けてやれない。家にいろ」と言うが、それを振り切って、マリーは工場へ出勤する。

 勤務中、いじめっ子たちを見て意味ありげに微笑むマリー。ロッカーにはいつものように悪戯がされていた。

 帰り際、大勢にスクーターで追いかけられるマリー。フィリックスの家まで逃げたマリーは助けを求めるが、フィリックスはいない。さらに逃げるマリーをひとりの男が追いかけてくる。が、狂暴化したマリーに喉元を食いちぎられる。

 ダニエルと愛し合った場所に逃げ、そこで寝ているところにダニエルが来る。「起きろ。寝ている場合じゃない」「私、なにしたの?」「覚えてないのか?君がエスベンを殺した。船を用意するからここで待ってろ。一緒に逃げよう。」と言うダニエル。

 自宅で呆然としている父。そこに、荷物をまとめにマリーが戻ってくる。衣服と共に、母の写真をかばんに入れるマリー。父は、口元を血で染めたマリーに「きれいだよ。無理はするな」と優しく言う。

 荷物を持って戻ったマリーを村人数人が待ち伏せていた。殴り倒されるマリー。気絶したマリーを運ぶ村人たちをダニエルが発見。マリーは船に乗せられ海に捨てられようとしている。

 閉じ込めたはずの船底を確認しにきた村人のひとりがマリーに襲われる。マリーの狼化はさらに進んでいた。次々に、村人たちを殺していく。心配してやってきたフィリックスさえ見境なく襲うマリー。

 ダニエルがおそるおそるマリーに近づく。ダニエルを認識したマリーは、その胸に抱かれる。

 翌朝、元の姿に戻って甲板で寝ているマリー。目が覚めたマリーは「ダニエル?」と聞く。ダニエルは「そう。ここにいる。君のそばにいる。」と言って優しく手を握り締める。

 

つまりこういう映画(語りポイント)

 ほぼ「モールス(僕のエリ)」と同じコンセプト。「モールス」はヴァンパイアですが、こちらは狼少女。「家系。逃れられない血。」は『宿命』の比喩として確固たる説得力がある。

 「モールス」ほど脚本的なヒネリはなく、単調なストーリーではあるけど、余計なエピソードがない分、わかりやすい。主人公へのイジメが絡むのも似てますね。
 
 常に「村社会」を形成し、その中のルールや思想に合わせるしか生きる術のない実は無力な人間たち。自分たちの場所を守るために異端子を排斥しようとする心理と行動には、致し方ない部分もある。それが普通の人間の生き方であり処世術だからだ。

 「モールス」同様に「さて、どちらが哀しい存在?」という問いかけを感じる。

 群れをなすしかない人間たちの本質的な弱さも哀しく、そこで異端子とされる存在もまた哀しい。なにしろ「違う生き物」であり、決して共存できない「わかりあえない者同士」の葛藤。
 それは僕らの日常生活でも確実にある構図で、良くある構図で、どちらが正しいではなく、どちらも正しいから困る。

 方法としては「わかりあえない」という前提の元に「理解しあう」しかないのだけど、どちらかが「わかりあえる」という幻想を捨てきれない限り、結果的には「わかりあえない。」。「わかりあえない」と諦めることで、むしろわかりあえるというのも皮肉なものですが。

 劇中のシーンで言えば、ダニエルが狼化したマリーを抱きしめるところ。あれは単なる男女の愛ではない。わかりあえないことを覚悟しているからできること。獣の姿のままのマリーを抱きしめる=相手の「宿命を受け入れる」のは家族愛の比喩。単なる男女の愛だったら、狼に変身しちゃう彼女なんてやっぱり困るわけですから。普通、逃げます。それより強い愛ということ。

  そんな不器用な人間たちの世界を、このテの映画は見事に表現してくれていると感じる。だから、何度、同じような映画を作ってくれてもいい。そのたびに観て絶賛するので。

  北欧の映画らしい、とても情緒ある雰囲気が充満していて、それは見る人にとっては「かったるい」「スピード感がない」と感じるだろうし、好き嫌いは別れそうですが。