基本データ・おススメ度
『ファミリー・ツリー』
2011年 アメリカ
原題:The Descendants
監督:アレクサンダー・ペイン
出演:ジョージ・クルーニー、ェイリーン・ウッドリー、ボー・ブリッジス、ジュディ・グリア、マシュー・リラード
おススメ度★★★★☆(4/5)
「生きること」=「許すこと」。人が人を恨んだり…憎んだり…その愚かさを悟る映画。特に驚くような展開があるわけでもないけど、ジョージ・クルーニーのパパっぷりと、まだ10代だったシェイリーン・ウッドリーのビキニ姿も含め、主人公たちの心情をジックリと味わうべき秀作。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
ハワイに住む弁護士・マット(ジョージ・クルーニー)
「みんなハワイを楽園と思っているが、私は15年間サーフィンをしていない。」「妻・エリザベスはボートの事故で意識不明の状態が続いている。事故の前、妻とは何か月もロクに話をしていなかった。これが俺へのあてつけならきつすぎる。良い夫になるから、頼むから目を覚ましてくれ。」
仕事に追われ、家族との時間を作らなかったマット。10歳の娘スコッティと会うが、娘の世話をしたのは確か3歳のときだ。今さらどう接していいかわからない。
マットは由緒正しい家の生まれで、親の残した土地で、代々、楽にお金を稼いで過ごしていた。しかし、父の遺言である「子供に必要以上のお金を渡すな」を頑なに守ってきたマットは、子供たちどころか、妻のエリザベスにも贅沢をさせなかった。
土地は、ハワイの法律により売却しなければならなかった。永久所有が禁止されているのだ。妻の看病と共に、土地の売買交渉にも忙しいマット。土地を売ったら仕事を辞めて妻に贅沢をさせてやろう。新婚生活をやり直すんだと誓うマット。
しかし、担当の医師から「装置で生命を維持するのが精一杯だ。」と宣告を受ける。本人も延命は望まないという生前の同意書を残していた。尊厳死は本人の希望でもある。
マットとスコッティは、ハワイの別の島に住むもうひとりの娘・アレクサンドラ(シェイリーン・ウッドリー)に会いに行く。
残された二人の娘には、妻に回復の見込みがないことは、まだ話せずにいた。
マットは、そこで妻が不倫をしていた事実を知る。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
アレクサンドラは高校生だったが、うんと年上のいかにも頭の悪そうな彼氏がいたり、少しグレ気味。酒を飲んで海に出た妻といい娘といい…「女はどうしてすぐに自暴自棄になるんだ」と嘆くマット。
ビキニでプールサイドに座っているアレクサンドラ。彼氏に電話をしているところで。マットが「話がある」と、母の回復が見込めないことを伝える。プールに潜って泣くアレックス。
室内に戻ったアレクサンドラは、母が浮気をしていたことをマットに話す。それが原因で母をケンカをしていたと。「気づかなかったでしょ?仕事ばかりしてるからよ。」とマットを責める。
思いがけない話を聞いたマットはあきらかに動揺して、走って妻の友達夫婦の家へ行く。事実確認と相手の男を特定するためだ。しかし、エリザベスと仲良くしていた夫婦は、浮気のことは知っていたが、「エリザベスは友達。弁解もできない状態なのよ。」と口を閉ざす。キレて帰ろうとするマットに、友達夫婦の夫のほうは「俺が同じことをやられたら、俺もキレる。」と理解を示し、帰り道、マットに浮気相手の名前を教える。
相手の名前は聞いたものの、妻が本気で相手の男を好きになり、自分と別れようとしていた事を知り、ショックを隠せない。
自宅に戻ると、アレックスの彼・シドがいる。そのアホぶりにキレそうになるマット。
娘たちと一緒に、妻エリザベスの父に会いにいく。父は事実を受け入れながらも、妻をしっかり捕まえておかなかったマットを責め、孫であるアレックスにも苦言を言う。
頑固おやじのような父だが、妻のアリスを連れてきてマットたちに合わせるが、アリスは痴呆が進んでいて話にならない。それを見て笑った彼氏・シドを父が殴る。
帰りの車の中「年寄りっておかしいよ。道でも歩くの遅いし。」とアホ発言をしたシドにマットもキレる。
アレックスの案内で、浮気相手の男の自宅に行くが、会わずにひとまる帰る。帰り道、浮気相手ブライアンの仕事の看板をみつける。マットの仕事に絡む、不動産関連の仕事をしていた。マットは土地の購入を有利に進めるために、ブライアンが妻に近づいたのではないかと勘繰る。、
病院に行ったマットたち。マットは娘たちを病室の外で待たせ、寝ている妻の枕もとで「俺を裏切って他の男とくっつくつもりだったんだな。俺の人生を台無しにしやがって。最低の女め」と罵倒する。その後に娘たちを病室に入れる。母の姿をみたアレックスは「ママ。悪い娘でごめん。高い私立へ行ってごめん。パパのせいよ。」と、ママに話しかけているのに、思い切りパパをディスる。怒るパパ。親子ケンカになる。
と、妻の携帯が鳴る。アレックスが電話に出ると。電話の相手は浮気相手ブライアンの会社からだった。家の売却の件だ。後日、売却の件で集まった人たちに妻の状態を発表する。「なるべく早く会いにいってやってくれ」と言う。
マットたちは、ブライアンが滞在している別の島に飛び、いとこのラルフと合流。売却する土地の確認や、娘たちとの小旅行を兼ねてはいたが、目的はブライアンに会うためだった。
ビーチで羽目を外すアレックスや彼氏のシドに呆れていたマットは、説教をするつもりだったのか、夜、シドの部屋に行ったが、そこでシドの決して恵まれていない家庭環境の話を聞き「明日朝、また会おう」と部屋を出ていく。
翌日、ブライアンの滞在する別荘近くのビーチに行ったマットたち。そこでブライアンの家族…妻と娘たちを見かける。さりげなく妻に話しかけるマット。
夕刻、レストランに行ったマットは、いとこのオヤジと再会し、ブライアンの関係者に土地を売るのが一番良いという話を聞く。ブライアンに近い関係者が島のドンらしい。
ビーチでブライアンの奥さんに会ったという話を聞いたアレックスは「今から押しかけよう」とマットをけしかける。マットも「当然だ」と同意する。
ブライアンの自宅を訪ねるマットとアレックス。奥さんには「近くまで来たので」と嘘をつき、ブライアンに妻のことを話すマット。ブライアンは、積極的だったのはエリザベスのほうで、自分はただの遊びのつもりだった、セックスだけの関係だったと言い「家族を愛している、頼む、妻には話さないでくれ」と言う。「俺の寝室にも入ったのか?」と聞くマットに「一回だけ」と答えるブライアンだったが「いまさら優しい嘘はいらない」というと、ブライアンは「に、二回」と訂正する。
帰り道「俺なら(奥さんに)全部ばらしてやるのに」というシドに「もう終わったことだ」と言うマット。
エリザベスが逝った。病室に集まる親族たち。そこでもエリザべスの父は「土地は高く売れそうか?娘が不幸になって君には大金が入る。どうして幸せにしてくれなかったんだ。」とマットを責める。「その通りです…」とうなだれるマット。
そこで、シドとアレックスが「そんな言い方ないでしょ。パパは辛い中で頑張ってる」と言い返し、病室を出て「感じの悪いオヤジだ
と怒るが、病室の中から、オヤジが自分の娘の頭を優しく撫でている姿を見る。
後日、自宅に庭に関係者を集め、妻を送る会を催す。それは同時に土地の売却に関わる相談の会でもあったが、多くの人たちがブライアン関連の業者に土地を売ることに投票する中、マットは拒否する。
「土地は誰にも売らない。」土地の信託期間は七年で、売らなければ取り上げられる。でも「七年間のうちに土地を所有し続けることを考える」「私たちはルールを忘れている。ビジン語も話せない。もっと故郷を重んじるべきだ」と主張する。
マットは、土地が買われるとそこにホテルやリゾート施設が作られ、ハワイの景観が損なわれることを知っていた。
マットやアレックスがいる病室に、ブライアンの妻・ジュリーが花束を持ってやってくる。「ママの知りあい?」と聞くスコッティに「会ったことはないけど、良く知ってる」と答えるジュリー。
ジュリーは「夫は会わせる顔がないでしょうから、私が来た」という。不倫の事実はあの夜から様子がおかしくなった夫から聞いていた。
ジュリーはエリザベスに話しかける。「私はあなたを許します。夫を奪おうとしたことも、私の家庭を壊そうとしたこと、許すしかないから。どんなに辛くても、許すしかないから!」と泣く。
マットが「ブライアンは妻を愛していなかった」と告げると、ジュリーは「わかってます。だから来たんです。」と言う。
マットはもう動かないエリザベスにキスをして感謝の気持ちを伝える。翌日、マットたちはエリザベスの骨を海に散らした。
ラストシーン。カウチでテレビを見る娘スコッティの元に、まずマットが来る。スコッティがかけていた毛布の中にマットも入る。続いてやってきたアレックスが、同じマットの中に入る。親子三人、同じマットをかけて、じっとテレビを見ている。
つまりこういう映画(語りポイント)
ひとことで言うと「罪を憎んて人を憎まず」。「生きること」って「許すこと」なんだ。
昏睡状態にある妻の不倫の事実を知るジョージ・クルーニーが、最初は意識のない妻を「ふざけんな」と罵倒しながらも、やがては自分の行いを反省もしつつ、(生きる=許す)を悟る映画。
「特に起伏もない。可もなく不可もなく。」という評価が多そうです。確かに、さほど面白い映画ではないかも知れません。でも、個人的には、人生の真理を描いた素晴らしい映画だと思います。主人公や娘たちの心情をジックリと味わう作品。
設定はめちゃ重いですが、時にはコメディのような演出もあり、決して重苦しい映画にはなっていない。重苦しい映画を作ろうとしたわけでもないでしょう。
「人が死ぬ」ということはバッドな出来事ではあるけども、問題は残された人間がその後どうやって生きていくか、誰かの死をきっかけに、どれほど周りの人間が教訓や想いを得るものか…が、うまく描かれていて、誰にでも「生きた証」って必ずあるということを教えてくれる。
そして、そこで大切なのはやはり「家族」だということ。
ラストシーンが本当に素晴らしいです。三人とも、笑顔でもないし、特に感情なく、ただカウチに集まって同じ毛布の中に入っていく。残された家族三人でただテレビを見ているだけの絵なのだけど、そこに漂う空気がなんともいえず心地よい。そこは、言葉ではうまく説明できないので、ぜひ実際に観てください。
花束を持って、夫の不倫相手であるエリザベスの元に来たジェリーの「会ったことはないけど、良く知ってる」は名セリフですね。あれは、浮気とか不倫をされたことのない人間にはそうそう書けないセリフかも知れません、いやもう、状況や心情を表すセリフとしては最高です。
誰かを恨んだり、憎んだり、本当に馬鹿らしいと思う。あんなこと言いやがった、こんなことしやがった。…関係ない。人が人を恨むという行為のなんと愚かなことよ。ただ、許せばいい。人間なんだから。
そして自分を愛してくれる、自分を必要としてくれる人たちと、ただ生きていけばいい。
1990年代にはイケイケ不良青年だったジョージ・クルーニーの、すっかり歳をとったパパっぷりが良い。
娘役のシェイリーン・ウッドリーがめちゃくちゃ可愛い。…この時は。撮影時、まだ10代(18~19歳?)だったため、2017年現在でもまだ26歳ですが、その後、時期によっては体型が大きくなって、なんだかハリウッドセリブおばさんっぽく見えるときがあります。今現在、どうなのかは知りませんが。この時のスタイルと雰囲気をキープしてれば良いですが、10代のスタイルをずっとキープしろというほうが酷な話。10代限定の「特需」と思って覚悟しておきます。
▼お父さんと娘の話は映画の題材として多いほうでしょう。こちらはヴァンサン・カッセルがパパ。