基本データ・おススメ度
『ヤコブへの手紙』
原題:POSTIA PAPPI JAAKOBILLE
2010年 フィンランド
原案:ヤーナ・マッコネン
監督:クラウス・ハロ
出演:カーリナ・ハザード、ヘイッキ・ノウシアイネン、ユッカ・ケイノネン、エスコ・ロイネ
おススメ度★★★★★(5/5)
主要登場人物3名。セリフを極力排除して俳優の表情で語らせる、非常に静かな映画。シンプルな物語の中にも軽いどんでん返しがあります。公開当時、映画館で号泣しました。小粒ながら、安心して他人におススメできる秀作。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
1970年代のフィンランド、山の中にある牧師の自宅が舞台。
突然、終身刑で12年も服役していたレイラ・ステーンに釈放が告げられる。「終身刑と聞いている。」と確認するレイラ。「ある人から恩赦があった。」という。その場で、仕事先を紹介される。「盲目の牧師のために手紙を読むだけの簡単な仕事。住み込みで食事もつく。」という。他に行くアテのないレイラは嫌々ながら承諾する。
田舎の山の中、ヤコブ宅に到着するレイラ。ヤコブは歓迎するが、レイラは冷たい態度。あきらかにやる気ゼロ。「ムカついたらケツまくりゃいいや。」くらいのつもりでいる。
仕事は、毎日たくさん届く「救いを求める人たちからの手紙」を音読し、ヤコブが口頭で伝える言葉を代筆して差出人に返送すること。
初老の郵便配達員が自転車で手紙を届けに来る。しかし、郵便配達員はレイラを見て警戒する。元・終身刑だという情報に加え、レイラの女性にしては大きい風情と睨み付けるような目つきをみて「ヤコブ牧師が殺されてしまわないか。」心配になったようだ。
庭のベンチに座り仕事が始まる。郵便受けから持ってきた20~30通の手紙の風を開け読むレイラ。内容は「飼っている犬が病気になりました、祈ってください。」…なんていう他愛のない悩み事が主だった。「神に祈りなさい。救われます。」というヤコブ。面倒くさそうに言葉を書き留めるレイラ。レイラはヤコブに「恩赦を出したのはあんた?」と聞くが、そうではないと言う。
別の日、たくさん届く手紙に面倒くさくなってきたレイラは、届いた手紙のうち半分くらいを井戸に捨ててしまう。仕事を減らすためだ。
さらに返信を書くのが面倒くさいので「差出人は?」と聞かれて「書いてない」と嘘をつくレイラだったが、「××さんだね?」とすぐに嘘がバレる。見えないはずなのに…と不思議な顔をするレイラに「何度も同じ手紙を書いてくる人もいるんだよ」と言う。
夜、家に何者かが侵入する。気付いたレイラは男を捕まえて外に追い出す。侵入した男は郵便配達員だった。ヤコブが心配で様子を見に来たという。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
翌日から、手紙が一通も届かなくなる。ヤコブは悲しそうな顔をして、次には礼服を来て教会へ向かう。どこに行くと聞くレイラに「今日、結婚式がある、行かねばならない。」と言う。教会に様子を見に行くレイラだが、そこには誰も来る気配はない。ヤコブは「人のために祈るのが私の使命だったが、もう私は誰にも必要とされていないんだ。」と嘆く。あきれたレイラは「やっとれ!」とばかり、雨の中、ひとりで家に戻る。
レイラはヤコブを置いて出て行こうとする。引き出しからヤコブが貯めていたおカネを半分ほど掴み取り、タクシーを呼ぶ。タクシーが到着して座席に乗り込むレイラだったが、運転手の「どこまで?」の問いに…沈黙。タクシーが走り去る…が、レイラは車を降りてその場に残っていた。どこにも行く場所がなかったからだ。
室内に戻ったレイラは自殺しようとする。が、ヤコブが戻って来た気配を感じ、思いとどまる。
ヤコブは寝込んでしまった。どんどん元気を失くしていくヤコブ。
レイラは郵便配達員を捕まえ「手紙が来てなくても必ずポストまで来い!」と命令する。
井戸の中の以前に捨てた手紙を拾おうとするレイラ。
翌日、郵便配達員は、一通もない手紙の代わりにレイラに雑誌を手渡す。
レイラはヤコブを庭のテーブルに呼び、雑誌を破って手紙の封を開けているお芝居をする。そして、即興で手紙の内容を考え読んで聞かせているフリをする。それを聞いて何も答えないヤコブは、黙って立ち上がり自宅内に戻ろうとする。
「もう一通ある」と引き留めるレイラ。期待感ゼロで座り直すヤコブ。
そこでレイラが語り始めたのは「自分の身の上話」だった。見えない目を見開くヤコブ。「母の家庭内暴力が酷かったこと」「小さかったレイラを守ってくれたのは姉のリーサだったこと」「姉の夫も暴力をふるい、リーサを苦しめていたこと」「ある日、姉の夫の暴力にみかねて刺殺してしまったこと。」「姉を助けるつもりが、孤独にしてしまった。大変なことをしてしまったと後悔していること」を語り、涙を流す。
聞き終わったヤコブは、いつも通り「差出人の名前は?」と聞き、レイラが答える前に「レイラ・ステーン…だね。」と言う。
「見せたいものがある」と一旦自宅内に戻ったヤコブは、手紙の束をレイラに手渡す。「何度も手紙を書いてくる人もいるっていったろ?君の姉、リーサ・ステーンもその一人だった。」
手紙の束は、姉・リーサがヤコブに書いていたものだった。読むレイラ。そこには「自分を助けてくれた妹が刑務所に入ってしまったこと」「面会に行っても拒否されて会えないこと」「手紙を出しても封も開けられず返送されてくること」加えて「妹のために祈ってください。」などと書かれていた。涙が止まらなくなるレイラ。
「美味しい紅茶を入れよう。ここで待ってなさい。」と自宅内に戻るヤコブ。しかし、なかなか戻ってこないヤコブ。レイラが中に戻ってみると、沸騰したヤカンが放置され、ヤコブが床に倒れていた。
自宅前に霊柩車が迎えに来ている。ヤコブを乗せて走り出す霊柩車。
荷物をまとめたレイラがみつめているのは、姉からの手紙…の裏側。
そこには、姉の住所が書いてあった。
つまりこんな映画(語りポイント)
「人のために祈るのが私の使命」と考えていたヤコブ。しかし、手紙が届かなくなったことで「誰にも必要とされていない自分」に絶望する。人を救っているつもりが、救われていたのはヤコブ自身だった。
「誰かのためになっている。」その充足感が彼を生かしていた。
これは、宗教がどうこうではなく、僕らみんなが忘れてはいけない教訓ですね。驕ってはいかない、傲慢になってはいけない、他者への感謝…云々。
「誰からも必要とされない」は絶望。「孤独は人を殺す」のです。
だから、そうならないために、孤独にならないためにみんな頑張って生きている。そう言い切っても過言ではない。
それにしても秀逸なのは、一旦は出ていこうとタクシーを呼んだレイラが行く先を聞かれ黙りしまう沈黙のシーン。
「どこにもいく場所がない」ことに気づくわけですが、そこでセリフを一切排除して長い沈黙で見せる選択。素晴らしいです。
突然、手紙が届かなくなった理由。
昨日までたくさん届いていた手紙がある日から一通も来なくなる…それは普通に考えておかしい。届かなくなる前の日のエピソード(郵便配達員が家に侵入してレイラにみつかる)を考えると答えはひとつ。
今までの手紙は、すべて郵便配達員の手による「過去の手紙の再送」だった。何度も同じ手紙をよこす人がいるというヤコブのセリフも伏線なのでしょう。
そんなことをする理由もひとつ。郵便配達員はヤコブの元に手紙を配達し続けてかなりの年月が経つのだと思います。手紙が彼の生き甲斐になっていることもわかっていた。ヤコブの加齢に伴い、段々と手紙が減ってくるのもリアルタイムで感じていた。「やばい。手紙がまったく来なくなったら、ヤコブは生き甲斐を失ってしまう。」そう考えたのだと想像できます。そして、いつからか、定期的にヤコブ宅に忍び込んで過去の手紙を盗み出し次の日に配達する、を繰り返していたのでしょう。
きっと本当は、もう随分前から手紙は一通も来なくなっていた…。そう考えると切ない。
レイラは、姉を想って暴力夫を刺してしまったことや、自分の想いを裁判所では一切語らなかったのだと思われます。そのために終身刑になった。おまけに、姉からの面会要求や手紙にも一切答えなかった。
その理由は、姉のためと思ってやったことだけど、それにより姉は孤独になってしまった。姉を不幸にしてしまったという強い後悔によって、彼女は、自分の人生に希望を持たなくなってしまった。映画前半のレイラは「ザ・自暴自棄」。
それが、ヤコブの前ですべてを語る(まさに「懺悔」)ことにより、果たしていつ以来よ?と思える涙を流す。心を完全に開いた瞬間ですね。
それを受けてヤコブが「生き返る」という相関性。
キリスト教における懺悔の意味合い等も僕はまったくわからないのですが、単純に、人が想いを込めてぶつける言葉、受け取る側の想い。想いと想いのぶつかりあいの中から希望って生まれていくもの。そんな風に感じた強いシーンでした。
前半のレイラを中途半端に良い奴として描かなかった点、なにをしでかして終身刑になったかもわからない粗暴な女、に(見えるように)描いているところが素晴らしい。
ヴィジュアル的にも、きれいな女優さんをキャスティングする選択もとれたでしょうに、あえて決して美人とはいえない女優さんを起用したセンス。
ハリウッドの商業的選択とは正反対、純粋に良い映画を作ろうという意思が感じられて好感が持てます。
今はなき三軒茶屋中央劇場で観て、一緒に見た連れと二人とも号泣したことを思い出します。観客は決して多くなかったけど、何人かの方も目を腫らして劇場から出てきました。 これなら恥ずかし気もなく泣ける。そんな素晴らしい映画です