基本データ・おススメ度
『神様メール』
原題:LE TOUT NOUVEAU TESTAMENT
2015年 ベルギー・フランス
監督:ジャコ・ヴァン・ドルマル
出演:ブノア・ポーリヴールド、カトリーヌ・ドヌーブ、フランソワ・ダミアン、ヨランド・モロー、ビリ・グロイン、ローラ・ファーデリン
おススメ度★★★★★(5/5)
神様はただの性悪ハゲ親父だった。ふざけまくった設定が最高のコメディ。コメディながらテーマはしっかりと人生哲学。個人的にはめちゃくちゃツボでした。面白い。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
神様はひどい奴だった。人類とすべてのルールを作った男だったが、性悪のハゲおやじで、飛行機事故を起こしたりビルを火事にしたり、自分が作った人間が苦しむのを見て楽しんでいた。
映画はその娘・エアの独白で始まる。神様はブリュッセルに住んでいたが、エアは生まれてから一度も外に出ることを許されなかった。テレビはスポーツ番組以外は見てはいけない。母はほとんど何もしゃべることを許されず、ずっと野球カードで遊んでいた。兄は家出をしたが、実は戻ってきていて書斎で置物のフリをしていた。名前をJC(ジーザス・クライスト)と言った。
神様が作った世界の法則は「ジャムパンを床に落としたら必ずジャム側が下になって落ちる」とか「スーパーでレジに並んだら必ず隣のレジのほうが先に進む」とか、ひどいものだった。
エアは禁断の書斎に入り込み、父のパソコンをみて、父への復讐を決意する。
置物のフリをしている兄に相談するエア。「俺の使徒は12人いたが、母は野球が好きなので本当は18人にしたいと言っている。お前が残りの六人を探して、18人にしろ。そして『新・新約聖書』を書くんだ。それで世界が変わるかも知れない。父はパソコンがないと何もできない。あれをいじるんだ。」
いびきをかいて寝ている神様から鍵を盗んだエアは、書斎のパソコンをいじり、まずは、全人類に「余命宣告メール」を一斉送信する。そしてパソコンにロックをかけてしまった。それを聞いた兄・JCは「余命を本人に知らせるなんて最高だ。面白い!」と喜ぶ。
スマホに余命メールが届いた人類は動揺するが、余命62年と宣告された男はわざとビルの屋上から飛び降りるが余命が残っているから絶対に助かる。会社を辞める人が続出し、余生を好きな趣味を楽しんで生きようという人が増える。おじいさんの看病をしていた女は「どうして看病をしている私のほうが先に死ぬのよ。」と泣く。
目を覚まして事を知った神様は激怒して、エアを探すが、エアはすでにファイルからテキトーに選んだ六人の使徒と会うために、洗濯機から通じている外の世界に出ていた。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
生まれて初めて外に出たエアは、雨に喜びゴミ箱をあさってフィッシュバーガーを食べる。そこの話しかけてきたのはホームレスのヴィクトール。「それは海にうちあげられたクジラの肉だ」と言うヴィクトールに「あなた文章は書ける?新・新約聖書を書きたいの」と相談するエア。「携帯を持ってないから自分の余命は知らない」というヴィクトールを「理想の父親像」と言うエアは、ヴィクトールについていき、二人で使徒六人と会うことにする。
以降は、エアが、順に会う六人の人間たちに「なにか話して」とインタビューをし、それをヴィクトールが書き留めていく流れとなる。、
【一人目の使徒・オーレリー】
彼女は幼い頃の事故で片腕を失くしていた。左腕はシリコンの義手だった。余命を知った彼女は「何もかも今まで通りに生きる」と決めた。彼女は美人で、彼女を好きなひとは七人。ただヤリたいだけの男は218人いた。女たちは妬みから彼女を「アバズレ」と嫌った。彼女は昔、ホームレスに会い「人生はスケート場だ。みんな滑って転んでいる」という陳腐な人生哲学がなぜか心にずっと残っているという。
その夜、彼女は、テーブルの上で踊る「手首」を見た。涙を流し、残った片手で、手首を愛おしく握る。
【二人目の使徒・ジャン・クロード】
彼は小さい頃は冒険家だった。しかし、就職してからの彼の人生はクソだった。ただ会社のために腐った時間を使い、ただ人生の時間を浪費していた。余命を知った彼はビジネスバッグを捨て公園のベンチに座った。「もう何もしない。ただここに座っている。」と決めた。
陽ざしを感じて幸せそうな顔をする。行き交う人々をみて和む。エアたちを話をしたジャン・クロードは、どこかへ行ってしまった。
その頃、神様は、洗濯機から外に出てきていた。洗濯機の先はコインランドリーに通じていたが、泡まみれで出るなり、おばさんに護身用スプレーをかけられ、外では不良グループにボコボコにされる。「身分証明もない男が倒れていました。」と病院に運ばれてくる。医者の診療で痛い想いをした神様は「ねんざは俺が作ったんだぞ。頭痛も俺が作った!」と叫んで怒る。ロビーで子供が食べていたジャムパンを奪った神様は、子供の親に殴られジャムパンを床へ落す。ジャムパンはジャムのついているほうが下になって床に落ちる。
【三人目の使徒・マルク】
余命83日の性的妄想者。彼は、九歳のときに海岸でビキニの美女をみかけた時から、変態が開眼してしまった。人生のすべてがエロになり、以後の人生は「ただひたすら性欲を我慢をすること」と化していた。
余命を知らされた彼は口座を解約し有り金を計算すると「一日200ユーロ」とわかる。それから、毎日、風俗に入りびたり、死ぬまでの日々をひたすら欲望の発散に使うことにした。幸せを感じだしたとき、予定オーバーでお金を使ったために持ち金が底をついてしまっていた。
エアのアドバイスで「エロビデオのアテレコ声優」をしてお金を稼ぐことにするマルク。相手役の女性と会話する。彼女はあの日、海岸でみかけたビキニの美女だった。一緒に部屋にいき同じベッドで寝るマルク。
食料配給所へいく神様。列に並ぶが、順番を守らず周りの男に殴られる。慰めにきた神父に「隣人を愛せよ」と言われるが「あれは息子が思いつきで言っただけだ。俺にいわせれば隣人はクソくらえだな。」といい「お前、○○ってオンナが好きだったよな、そしてあの時…」とバカにする。自分が設定した話だったが、誰も知らないはずの話をされた神父は逆上して神様をボコボコに殴る。
【四人目の使徒・フランソワ】
自称・殺し屋。幼い頃から死に対して敏感で、虫や蟻は数えきれないほど殺した。余命宣告メールが送信されてからライフル銃を買った。それで人を狙撃する趣味をはじめた。狙撃して外れたらそれは余命が残っているということだ。弾丸があたっても、それはただ余命が今日までだったに過ぎないから自分のせいにはならない。
彼には妻も子供もいるが、彼は、神様が作った法則第1522号「たとえ恋に落ちても、その人を一生添い遂げることはあまりない。」の犠牲者だった。家庭に愛はなかった。
女を撃った。弾丸は左腕に命中したが女は平気で歩いていく。不思議に思った彼は女を尾行する。女は第一の使徒・オーレリーだった。左腕は義手なのだ。彼女に近づいたフランソワはその義手にキスをする。
【五人目の使徒・マルティーヌ】
余命5年。年齢70歳ほどの老婆。夫がいたが、なんの刺激もない日々を淡々と生きていた彼女だったが、余命5年を夫に伝えたとき、自分の余命が39年ある夫が安心したような顔をしたことで、現在の生活に疑問を感じだす。「200でどう?」と声をかけてきた少年に抱かれるマルティーヌ。エアたちと一緒に動物園にいったマルティーヌはゴリラの檻の前でゴリラと握手をし涙を流す。動物園からゴリラを買い取ったマルティーヌはゴリラを家で飼い始める。
ついにエアをみつけた神様。「家に帰ってPCをなおせ!」というがエアは「帰らない」という。ヴィクトールと一緒に水の上を歩いていくエア。追いかける神様は水の中に沈み、溺れそうになる。
警察に捕まった神様は不審人物とされ、ウズペキスタンへ送られることになる。
【六人目の使徒・ウイリー】
少年・ウイリーはカラダが弱かったが、母親が内緒で飲ませた投薬のせいで膵臓を痛めてしまい、ガンになった。余命数日。親に「最後になにかやりたいことはない?」と聞かれたウイリーは「女の子になりたい」と言う。女の子の服を着ているウイリー。
エアに会った彼は「この世はサイテーだ。」という。ウイリーの余命は残り一週間。エアとウイリーはここから「月曜」「火曜」「水曜」…という呼び方をやめて「1月」「2月」「3月」と呼ぶことにした。それで、あと7ヵ月生きられることになる。
ウイリーは、親の家具を勝手に売り払い旅費を作って家出した。
オーレリーは、自称殺し屋・フランソワに「もう誰も撃たないで」と頼み、フランソワと愛し合った。
マルティーヌは、夫を追い出し、ゴリラと愛の生活をはじめた。
マルクは、海岸でみた女と初めて愛し合った。
冒険家・ジャン・クロードは北極に到達した。
ウイリーの余命最後の日。
エアたちと、集まった六人の使徒たちは海へいく。「誰もが海で死にたいという。気持ちはわかる。」と。そこでは合同見送り式?のようなイベントが行われており「今日死ぬ人」を生き残る人たちが送る集会が開催されていた。送る側の白い腕章をつけるエアたち、黒い腕章をつけるウイリー。
その頃、神様の家では、残った母がキリストの「最後の晩餐」の絵を見ている。絵の中の使徒は18人に増えていた。嬉しそうな顔をする母。窓をあけ、内装をカラフルにし、掃除を始める。
掃除機のコンセントを差し替えるためにPCの電源を抜くとPCが再起動を始めた。画面にあらわれる「初期設定」。母はあらためてパスワードを設定し「空の色は何色にしますか?」の問いに、嬉しそうにカラフルな色を選ぶなど、世界の法則をあらたに設定していく。
空がカラフルになって嬉しそうな顔をするエアたち。余命はすべてリセットされスマホからカウントダウンが消えた。ウイリーもまだ生きていた。男性が妊娠するようになったり、地球温暖化でも氷が溶けなくなったり、人間が海底を歩けるようになったり…と、いろんなルールが変わった。新しい世界になっていた。
新・新約聖書が完成していた。新・聖書はバカ売れしてホームレスのヴィクトールはお金持ちになった。
その頃、神様は工場で強制労働させられ、せっせと洗濯機を作っている。
つまりこんな映画(語りポイント)
神様は性悪でめっちゃいい加減なハゲ親父だった…ちょっと「聖おにいさん」みたいなこの設定と、それを徹底的にふざけ倒して撮ったセンスに無条件で脱帽。神様の描写が面白すぎ。
人類を作った神様が外に出てきたらただの親父で、自分が作ったひどいルールのせいでボコボコにされる。「これが神様」と思ってみると、そのすべての行動がおかしく見えてくる。
普通に考えて、この神様は「傲慢な権力者」の比喩でしょう。それがボコボコにされることでカタルシスを生んでいる。
テキトーに選ばれた六人のエピソードは、それぞれに「涙」「冒険」「癒し」「発散」…等、テーマがあり、それはきっと「生きていく上で必要なもの」を明示しているのではないかと思います。
この六人のエピソードの中には、細かい語りポイントが満載なのですが、基本的には「余命を告げられたこと」の起因するものが多いので、細かい部分は、観たそれぞれの人が感じてもらえばいいと思いますが、たとえば、ホームレスのヴィクトールは携帯を持っていないから自分の余命を知らないまま、だとか、空が見える場所でしか眠れないとか、なにかしらのメッセージが散りばめられている。
余命宣告の一斉メールについて、神様は「今まで、奴らは俺に弱みを握られていた。それが、勝手に好きなことを始めるようになりやがった。」と言った。つまり「弱み=いつ死ぬのかわからない不安」ということ。
筆者個人は、もし自分の余命がわかるならぜひぜひ知りたいです。
だって、もし残り10年20年なら、その10年20年のことだけを考えて生きればいいわけだから、めっちゃ気楽になるはずなのです。いつ死ぬかわからないから不安なのです。老後の不安なんてものがなくなったら、そんな幸せなことはない。
仮に余命30日と言われたら、事前にその30日をどう生きるかを考えることができる。
「ノッキン・オン・ザ・ヘブンズドア」という映画があります。
「余命わずかな男たちが最後に海を見たいと願って刑務所を脱走して海に向かう話」です。そこで気づいたこと…「人間、迷いがなくなったらめっちゃ明るくなれる。」人生の目的が「海をみる」…ただそれだけになった時の彼らは、ひたすら陽気になる。映画の中の話ではありますが、仮にリアルでもきっとそうなると思います。
「人生で最も幸せなのは、迷いがないこと。」なんですね。
この映画でもまさしくそんな構図が描かれています。
設定はふざけたコメディながら、テーマには人生哲学をこれでもかと詰め込んだ傑作。
なにより、その「ふざけかた」のセンスが最高なのです。
神様がブリュッセルに住んでるとか、洗濯機から下界に通じていてコインランドリーに出るとか…もう、言葉では説明しにくい類の面白さなので、あとは映画を観てもらうしかありません。超おススメ。