【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

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3分で映画『ニンフォマニアック(Vol.1&Vol.2)』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『ニンフォマニアック(Vol.1&Vol.2)』
原題:Nymphomaniac
2013年 デンマーク、ドイツ、フランス、ベルギー、イギリス」
監督:ラース・フォン・トリアー
出演:シャルロット・ゲンズブール、ステラン・スカルスガルド、ステイシー・マーティン、シャイア・ラブーフ、クリスチャン・スレイター、ユマ・サーマン、ウイレム・デフォー
 おススメ度★★★★☆(4/5)
 ニンフォマニアック=「色情狂の女」の身の上話を聞くのが「60歳の童貞男」もうこの設定だけで僕はスタンディング・オベーションです。よくそんな面白い設定を思いついたなと。前後編で4時間以上、かなり忍耐が必要ですが、我慢して観れば最後に爆笑できます。「絶対にあたまおかしい監督」ラース・フォン・トリアーの傑作。

 

◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 路地裏。女性が道に倒れている。誰かに殴られたのか怪我もしている。あきらかにワケアリ。発見したのは中年のオヤジ。放ってはおけず自分の家に連れて行く。

 女・ジョー(シャルロット・ゲンズブール)は、セリグマン(ステラン・スカルスガルド)に紅茶をもらいつつ、子供の頃からの身の上話を始める。

 それは、彼女の「色情狂」としての歴史だった。

 彼女の壮絶な半生を「うん、うん、わかるよ。とてもわかる。」と相槌を打ちながら聞くのは「60歳の童貞男」セリグマン。

ネタバレあらすじ

『Vol.1』

 ジョー(若い頃=ステイシー・マーティン)は、幼い頃から性に興味があり、同級生と自宅の風呂場に水を流し、床に股間をすりつけたら「な~んか気持ちいい」ことを知っていた。

 高校生の頃。同級生の男の子ジェロームを誘った初体験は、三こすり半でアッという間に終わった。同級生と列車に乗り「列車内で何人の男と関係を持てるか」を競ったりも。セリグマンは、ナンパの話を自分の好きな釣りの話に置き換えて理解し「うんうんわかる。獲物を待つときはそんなもんで…」と、どうでもいい話を始める。

 ジョーが就職した会社の社長は、初体験の相手、ジェロームだった。求めるジェロームだったがジョーは拒否した。

 ある日、ジョーの不倫相手の妻が家に押しかけてきた時の話。男はジョーに入れ込み離婚を考えていて、妻(ユマ・サーマン)は子供を同伴して、勘違い甚だしい会話を進めるがジョーはシラケていた。時計を気にしているジョー、次の相手が来る時間だった。三人の会話中に、ジョーの別の恋人もやってきて変な空気になる。

 もはや誰とどんな話をして何回セックスをして、どういう状態にあるかさえ覚えられなくなったジョー、サイコロで態度を決めて、関係のある男の留守電に「会いたい」「別れる」などと順に吹き込んでいった。

 父(クリスチャン・スレーター)が病に侵された。幼い頃から可愛がってくれた父のことが好きだったジョーは、病院の地下室で勤務中の見知らぬ男を誘ってセックスをした。父は死んでしまった。母とはすっかり冷めた関係となり、疎遠になった。

 ますます性欲に走るジョー。ジェロームと恋人関係になってから、ふと気づいたことがある。いつしか、ジョーは不感症になっていた。

▼vol2(後編)へ…

 

『Vol2』

 ジェロームとの生活。不感症は続いている。叩いたり、刺激を与えたりするが無駄。ジェロームは自分にも責任があるのかと感じ、他の男と関係を持ってもいい(それで回復するなら)と進言する。

 セリグマンは、自分が童貞であることをカミングアウトする。

 ジョーは街でたむろしていた黒人男性を誘いホテルに入る。黒人は二人来て、大きいモノをぶらつかせながらなぜか喧嘩を始める。どちらが前に入れてどちらが後ろに入れるかで揉めていたらしい。

 そんな話の合間にも、セリグマンは自分の哲学的な考えを主張し、ジョーと意見交換をする。ジェロームとジョーの間には子供が産まれた。

 治療の一環として、SМプレイを請け負う男の元へ行くジョー。そこには主に中年女性がなにかしらの目的で彼の元を訪れ、Мの快楽に浸っていた。そこでは、彼との本番は絶対禁止というルールがあった。中断もできない、すべて言うとおりにする、等、厳しいルールの元、ひさしぶりに快楽を感じるジョー。

 会社でもジョーの男性関係が問題になる。精神科に通い「性を連想させるものをすべて隠すんだ」と指示されたジョーの部屋は、白い布だらけになった。

 会社をやめたジョーは、裏社会のL(ウイレム・デフォー)に会い、借金取り立ての仕事につく。そこでジョーは数多くの男性と寝た経験を活かし、相手の性癖を読み取って刺激する作戦をとる。ジョーは、Lの進言で若い後継者を探すことになり、ワケアリ娘と知り合います。彼女を自分の娘のように世話をした。やがて娘も、借金取り立てに参加する。

 ある日、取り立て相手がジェロームだと知り驚いたジョーは、自分は隠れ、ワケアリ娘に担当させる。結果、娘はジェロームと関係を持ってしまう。ジョーはジェロームを殺そうとしますが何度も未遂に終わる。ある夜、路地裏でジェロームと娘に遭遇し、また銃を突きつけるも、ジョーは倒されてしまう。
 
倒れたジョーの目の前で、ジェロームは娘とセックスをする。それはジョーの初体験と同じ「後ろから三こすり半」で終わった。その後、娘は、倒れたジョーの上に跨りジョーに尿をかけて去っていく。

 その場に倒れていたジョーを、セリグマンが発見したのだった。

 セリグマンは、ジョーがジェロームに向けた銃は、安全装置が外れていなかったのだと教える。潜在意識下で抵抗があったから、無意識に安全装置を外さなかったのではないかと推理する。

 すべてを話したジョーは疲れて眠りにつくという。「おやすみ」と優しい言葉をかけて部屋を出るセリグマン。ジョーが寝付いた頃、セリグマンが下半身丸出しでジョーのベッドの中に入ってきた。驚くジョーに「たくさんの男と寝たくせに…」と言うと、ジョーは銃の安全装置を外して。セリグマンを撃ち殺した。

 つまりこういう映画(語りポイント)

 僕はラース・フォン・トリアーが大好きです。名作だと思っている「ドッグヴィル」を過去にたくさんの人におススメして、ほぼ例外なく嫌な顔をされてから、以降、ラースの映画を人に勧めるのはやめました。「アンチクライスト」なんて絶対におススメできない。でも、この「ニンフォマニアック」だけは人に勧めています。劇場でvol1とvol2を観てて、ラースが一般ウケするギリギリのところまで降りてきたと感じたからです。それでも充分にハードルが高いのですが。

 ちなみに僕は無宗教です。「アメリカ大嫌い」を全面的に押し出したラースの映画の本質を理解するには、本当はキリスト教を理解していないと無理なのでしょう。ただ、キリスト教がどうこう、聖書にはこう書いてあって…などという方向でこの映画を紐解くことはやめておきます。キリストの「原罪」がテーマになっている「ニンフォマニアック」を、そこ抜きで語るのは無理だろう?という声も聞こえてきそうですが、そっち方面に興味のある方は別の方のレビューを参考にしてください。

 もう少し(僕と同じ)ごく一般の人がこの映画を楽しむには…な視点で書きます。さて、笑い飛ばしていきましょう。

「色情狂の女」の相談に乗っているのが「60歳の童貞男」

 もう、この設定を聞いただけでワクワクします。「どんな会話になるんだ?」ですね。良くこんな美味しい設定を思いついたなと感心します。案の定、性的経験のない男は、自分の理解できる釣りの話に置き換えて「うんうん、わかるよ」と相槌を打つのだけど、いや、絶対わかってないでしょ?と。

 どうして、こんな面白い設定が判明するのが後編に入ってからなんだと。もったいない。個人的には前編より後編が面白いから、前編で懲りずに後編も観てほしい。

 テーマを伝える役割として…主人公ジョーが「依存」を担当しているわけですが、彼女を助け、途中は哲学的なアドバイスをしながら、「じゃおやすみ」とあくまで紳士的に別の部屋に行ったその後に、下半身丸出しでベッドに入り込んでくる…このオヤジ、セリグマンの役割は、ラース・フォン・トリアーお得意の「偽善」ですね。同時に「無知」でもある

 セリグマンは「偽善」と「無知」をまき散らしながら、ジョーの身の上話を聞いて説教をする。それは、ラースの嫌いなモノに対する皮肉であろうし、最後にセリグマンが自ら指南した「安全装置の外し方」が仇となって銃で撃たれてしまうラストは、ある意味でカタルシス。「ドッグヴィル」の最後で、村=「偽善」をニコール・キッドマンが焼き払うシーンと同じ意味。

 SМコーチが「教育」。ワケアリ娘が「反抗期」、不倫男が「誤解」、その妻が「自愛」…という風に、登場人物たちに割り当てられた役割は、僕ら人間が生きていくうえで必ず接触するアイテムであり、人間の「罪」を誘発するもの。それらすべてが主人公ジョーの「成長」に関わってくる。

 聖書の解釈がわからなくても、僕らが日常で感じているさまざまな葛藤や想いに、充分に訴求するように作ってあるのです。

 もちろん、登場人物の行動が理解できない!なんてことは、ラース・フォン・トリアーの映画だから、当然です。そこは諦めてください。

 前編のアタマとラストの、ゴリゴリのゴスメタル音楽がめちゃくちゃカッコ良かったのに、後編で使われなかったのは不満。

 ちなみに、ジェロームと(若い頃の)ジョーが愛し合うシーンは、本当に本番だったそうですね。台本に「ここ、本当にやる」と書いてあったと、俳優のインタビュー記事で読みました。それが原因で俳優は妻から別れ話を持ち出されたとか。役得なのか災難なのか…。そういえば、最後の放尿シーンも、あれ絶対に本物だと思います。エッチはともかく尿に関しては、偽物をセッティングするよりは本物を使うほうが撮影も楽だろうし。
 俳優が「この監督とは二度と仕事したくない」と言い出すのもわかります。相変わらずのラース・フォン・トリアー。やってくれます。

 2本で4時間以上の大作ですが、ともあれ最後にセリグマンのシーンで終わってくれたこと。まさかラース・フォン・トリアーの映画で、爆笑しながら映画館を後にできたことで僕は満足でした。

▼こちらも問題作「ドッグヴィル」

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