【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『赤い航路』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『赤い航路』
原題:Bitter Moon
1992年 フランス・イギリス
監督:ロマン・ポランスキー
出演:ヒュー・グラント、ピーター・コヨーテ、エマニュエル・セニエ、クリスティン・スコット・トーマス
 おススメ度 ★★★★★(5/5)
 イタリア人のマジメな夫婦が、船上で出会った「変なカップル」に翻弄されていくお話。「妻を抱きたいんだろ?」と挑発してくる初老の男。エロティックでサディステックな女。どんどん精神的に追いつめられるイタリア旦那。重いシリアスドラマではあるけど、コメディと思って観るくらいで丁度良い。いかにもポランスキーらしい怪作。「人間の愚かさ」を茶化すような作風が、個人的に大好物。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

結婚7年目のイギリス人夫婦・ナイジェルとフィオナが、旅行で乗った豪華客船の中で、中年の売れない作家・オスカーと、その妻で妖艶な魅力を放つミミに出会ったことで、あわや夫婦関係崩壊か?という衝撃展開に巻き込まれる。男の愚かさ全開の物語。

 イギリス人のマジメ夫婦、ナイジェル(ヒュー・グラント)とフィオナ(クリスティン・スコット・トーマス)は豪華な船の旅に出る。船の中で、車椅子のアメリカ人作家オスカー(ピーター・コヨーテ)と、オスカーの妻・ミミ(エマニュエル・セニエ)に出会う。
 ミミの妖しい雰囲気や人を食ったような言動に、マジメ男・ナイジェルは最初から翻弄されまくる。妻のフィオナも夫がミミに興味があることを察して警戒する中。車椅子のオスカーは「私の妻を抱きたいだろ?正直に言ってみろ。」とナイジェルを挑発する。

 自分の船室にナイジェルを招き、妻とのなれそめを語りだすオスカー。

 オスカーは40歳の売れない作家だったが親の遺産で悠々と過ごしていた。ミミとのバスの中での偶然の出会い、ウエイトレスをしてたミミを探し出してデートに誘い、つきあい、ラブラブな関係になったこと。仕事を辞めさせて自宅で養い始めたこと。夜の営みがどんどんエスカレートし、SМなどの変態行為を楽しみだしたこと。話の内容は過激だったが、二人が愛し合っていたこと、楽しい日々を過ごしていたことが伝わって来た。
 しかし、やがてオスカーは、ミミとのそんな生活に飽きてしまった。ミミは相変わらずの愛情を表現し「愛している。一緒にいたい。」と言い続けるのだが、オスカーは、一転してミミを冷たくあしらい始める。

 フィオナの元に戻ったナイジェルだったが、そろそろフィオナが本気で怒りだした。「あんた絶対あの女と寝たがってるっしょ!」

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 必死にごまかすナイジェル。廊下で会ったミミはナイジェルに「夫の話を信じないで。全部作り話よ。」とささやく。ナイジェルが「なら君から話を聞きたい。どうすれば二人で会える?」と下心満載で聞くと「後で××号室に来て」と言われる。
 ロビーで他の客とカードゲームを楽しんでいたナイジェル夫妻だったが、ナイジェルはフィオナに「今夜もオスカーに呼ばれている。強引だから断り切れないんだ。」と嘘をつき、フィオナを残して密かにミミの船室に行き、ベッドで寝ているミミのカラダに手を伸ばす…と、そこにいたのは夫のオスカー。ミミも大笑いで出てくる。「エイプリルフールだ!」すっかり騙されつつ、ミミを抱きたい本心まで出してしまったナイジェルは怒るが、オスカーの「私はもう妻を抱けない。公認の浮気相手を探している。話を全部聞いてくれたら妻を抱かせる。」と言われ、あっさり下心モードに戻る。

 場面は、オスカーの昔話の続きに…
 「あの時に別れるべきだったんだ。二人とも傷つく前に…。」ミミに飽きた日々を続けていたオスカー。喧嘩して出て行くポーズを見せるミミを止めもしない。ミミは折れて「お願い。一緒にいさせて」と懇願する。そんなエピソードが重なるたびにオスカーは調子に乗りどんどん傲慢になっていく。「君の存在自体が耐えられないんだ。」と告げ、二人はとうとう別れる。
 彼女が出ていき、晴ればれとした顔で過ごしてたオスカーだったが、諦めきれないミミが追いすがってくる。そんなミミを見て「ある普通じゃない発想」が芽生えるオスカー。
 オスカーは、ミミを再び養う代わりに「とことんいたぶってやろう」と考えた。
 セックスの最中にわざと間違って他の女の名前を呼んだり、パーティに連れていき他の女と一緒になって、ミミの風貌や化粧のことをけなして喜こぶなど。好き放題に「いたぶりまくった。」そんな扱いを受けたミミの風貌はどんどんと劣化していき、表情からは生気が消える。
 ある日「子供ができた」というミミに、表面上は優しく接しながら中絶を奨める。手術によってミミは感染症になった。ひどい表情でベッドの上にいるミミをみたオスカーは「退院したら、二人でどこか遠くに旅行に行こう。」と喜ばせるが、旅行当日、二人で一旦は飛行機に着席したものの、嘘をついて自分だけ飛行機から降りてしまう。ミミを、ひとりでブラジルだかどこか遠く行きの飛行機に乗せて飛ばせてしまう。あり得ない。

 今度こそ独身に戻り、女と遊びまくっていたオスカーだったが、ある日、交通事故にあう。足を吊ったままベッドに横たわるオスカーの病室にミミが見舞いに来る。「良く戻ってこれたな。」というオスカーを、最後の握手をするフリをしてベッドから引き倒すミミ。あり得ない方向に足が曲がったオスカーは激痛に叫びをあげる。
 「良い知らせと悪い知らせがある。」とミミは言った。「一つは、下半身マヒで一生歩けないこと。」「良い知らせは?」と聞くオスカーに「今のが良い知らせ。悪い知らせは、あたしが貴方の面倒をみることになったこと。」
 ミミはオスカーの身の回りの世話をするのだが、それは同時に「おおいなる復讐」でもあった。事あるごとにオスカーをなじる、馬鹿にする、車いすを蹴飛ばす、水しかでなくなった浴室に裸で泡まみれのまま放置して男と長電話する、黒人の男性友達を家に呼んで、オスカーの目の前でセックスをする。オスカーを外に連れ出すのが好きだったようだが、それも自力で歩けないことを体感じさせるため。「頼むから殺してくれ。いっそ殺してくれ」と泣き叫ぶオスカーに「誕生日のプレゼント」と「銃」を渡すミミ。
 銃を見てオスカーは悟った。「これほど憎しみ合える相手などそうそう出会えない。」二人は籍を入れて夫婦になった。

 話を聞き終えたナイジェルは、具合が悪く寝込んでいる妻の姿を確認すると、パーティ会場に行きミミとダンスをする。すっかりミミの虜になっているナイジェル。しかし、キスをしようとしたナイジェルにミミは「すべて幻想だったのよ。」と告げて突き放す。そして、オスカーと共にその様子をみていたのは妻のフィオナ。妻に見られて焦るナイジェルを尻目に、フィオナはミミとオンナ同士でセクシーダンスを踊る。呆然とするナイジェルにオスカーがいう。「残念だな。妻がお前と寝ることはない。妻の心を射止めたのはフィオナだ。」フィオナとミミはどこかに消える。やや時間が経過、オスカーの部屋で二人を発見するナイジェル。そこでは、素っ裸の女二人が抱き合い眠っていた。ミミとフィオナ。
 「素晴らしい光景だ。フィオナは啓示を受けたんだ。」というオスカーに殴りかかるナイジェルだったが、オスカーが銃を取り出したことでひるむ。
 「君は奥さんのことを何もわかったなかったようだ。」そう言うと銃でまずはミミを撃ち殺す。すぐさま「私たちは愛に飢えていた。それだけなんだ。」と哀し気な口調で語ると、銃口を自分の向け発射した。
 甲板の上、まるで悪夢から覚めたように普通モードに戻って抱き合うナイジェルとフィオナ。そこにインド人の父と娘が近づき「新年おめでとう」と言う。

つまりこんな映画(語りポイント)

 青年ナイジェルが中年男オスカーの昔話を聞くという設定の中…

 回想中では、中年男の絵に書いたような「愚かさ」が全開。同時進行で船旅での青年の「愚かさ」が全開。男って本当に馬鹿、人間って本当に愚か。

 愛とは残虐性と紙一重なんてことでもある。

 妖艶な女性に惑わされ、悪女とわかっていながら馬鹿な男が深みに堕ちていく物語はたくさん作られています。この場合の馬鹿とは、相当に哀愁を込めてのバカです。自分も含めての。

  男性に限らず人間には、避けようのない交通事故のように、思いがけない深みにハマりこむ可能性が誰にでもある特に見下すわけでも、自虐的でもなく、当然の評価として「人間=馬鹿」なのです。そういうものなのです。
 中年男とミミの愛欲の話を聞いていただけなのに、すっかり情念を刺激され、あわや夫婦破滅かという展開になるナイジェルとフィオナ夫妻。それは、洗脳でもあるだろうし、言葉が持つ暴力性でもある。手を出さなくとも、人の心を壊すなんて簡単なんだ。言葉があれば。

 オスカーとミミが取返しのつかないほど憎み合ってから籍を入れた選択。
お互いに「これほど憎しみ合える相手などそうそう出会えない。」と思っている。

 「好き」の反対語は「嫌い」ではない。「好き」の反対語は「興味がない」。

 オスカーとミミは「お互いにめちゃくちゃ興味があった」のですね。

 憎しみあうために、お互いの面倒をみたり、時には介護をする二人。

 世の中で一番悲しいこと=誰にも相手にされないこと、だとすると二人の行動は辻褄が合う。40歳まで一度も出版したことがない作家、親の資産で悠々と過ごしまともな職歴もない生活の結果、彼にはカネ絡み以外の友人はいなかったと推測できるし、ミミにしても、特に過去を語られてはいないが、なにかしらワケアリであることは間違いない。憎しみ合える関係…さえ彼らにとっては「運命の出会い」だった。

 途中で一度出てきてラストシーンで意味ありげに登場する「インド人の父娘」。母は亡くしたという。そういえば劇中に登場する二組のカップルには子供がいない。
インド人の父のセリフ「子供を持つことは最高の愛情回復セラピーだ。」
 普通に捉えれば「できれば子供を持ちましょうね。」ってベタな進言っぽいけど、別の真意があるのだろうか?

 初期のポランスキー作品には、監督自身の中にある複雑な(歪んだ?)人生観が渦巻いている。だから面白いし評価される。自分自身の中から生み出しているから、面白いモノになる。それがつまり作家性ということなのでしょう。