【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『最愛の子』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『最愛の子』
原題:親愛的
2014年 中国・香港
監督:ピーター・チャン
出演:ヴィッキー・チャオ、ホアン・ボー、トン・ダーウェイ、ハオ・レイ

 おススメ度★★★☆☆(3/5)

 中国の「一人っ子政策」から派生する、児童誘拐、人身売買、経済格差、人間のメンタル面に及ぼす影響…など、さまざまな問題点を浮き彫りにする社会派映画。壮絶で良い映画ですが、重いので、メンタルが落ちてる時には閲覧注意。

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◆目次

 あらすじ(ネタバレなし)

中国の「一人っ子政策」の下、3歳の息子が行方不明になる。三年後に他人の子として生きている息子を発見した夫婦は、息子を連れて帰るが、息子は自分たちのことをすっかり忘れていて、育ての親に愛着を持っている。取返しのつかない状況に苦しむ、それぞれの話。

 ネットカフェを営むティエンは、元・妻と3歳の息子の帰りを待っていた。ジュアンとはすでに別れていて、息子・ポンポンの養育権はティエンにあったが月に一度の面会日だった。戻って来たポンポンは友達と遊びにでかけるが、外で母のクルマをみかける。思わず追いかけるポンポン。しかし母親は気づかず走り去ってしまう。そして、何者かにさらわれるポンポン。そこから、ティエンとジュアンは必死に息子を捜索するがみつからない。
 2年後、ティエンはジュアンを誘って、ある会に参加する。行方不明の子供を持った親たちが集まる会だった。リーダーのハンを中心に、励まし合い、なにか情報が入れば協力しあって現場に探しにいくなど熱心に活動をしているグループだった。
 3年後、情報をもとに訪ねた村にポンポンに似た子供…ポンポンもどきがいた。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 ポンポンもどきはティエンたちの事を覚えていない。違う母親がいて、違う名前で呼ばれていたポンポンもどきを思わず抱きかかえて走るティエン。村人たちが追いかけティエンたちは取り押さえられる。
 警察が調べると、村での母親・ホンチンはやはりポンポンもどきの実親ではなく、すでに死んでいる夫がどこからか連れてきた養子だった。ポンポンもどきはポンポンだった。

 しかもそれは。夫によるれっきとした誘拐事件。夫から「不妊症だ」と言われていたホンチン自身も、自分が産んだ子だとは思っていないが、とはいえ、3年間も一緒に暮らし、息子として育てた「自分の子供」なのだ。それは。夫がやはりどこかで拾ってきたという娘も同じだった。
 ティエンとジュアンは晴れて(?)ポンポンを連れて帰るが、ポンポンは自分のことをポンポンもどきだと思っていて、二人に心を許さない。挙句「誰か、この人たちを捕まえてください。」などと哀しいセリフを口にする。
 公務執行妨害で拘留されていたホンチンは半年ほどで出所する。生みの親の元に戻されたポンポンはどうしようもなかったが、せめて、施設に入れられた娘だけでも引き取りたいと考え、カオ弁護士に依頼する。ホンチンに同情したカオは、娘を取り返したく頑張る。幼い娘は、夫が働く工事現場に捨てられていた捨て子であり、そのことが証明できれば、誘拐ではないと証明できれば、娘はホンチンの元に帰ることを許されるかも知れなかった。しかし、工事現場で当時のことを知る男は、面倒に巻き込まれたくない一心で「そんな捨て子、知らない。」と嘘をつく。なんとか、裁判所で本当の証言をさせたいホンチンは、その男にカラダを与えてまで頼み込む。
 ティエンの元妻・ジュアンもまた、寂しがるポンポンの妹として、娘を施設から引き取りたいと動いていた。しかし、ジュアンは今回の騒動で現在の夫から離婚されそうになっていた。養育権を得るには夫婦でいること、という条件があった。該当しなくなったジュアンは裁判所から退廷させられる。ジュアンとホンチンで争った裁判は、まったくやる気のない裁判長に、結局、ふたりとも認められないという結果になる。
 ようやく少し慣れてきたポンポンだったが、ティエンたちの会の活動に参加中、それを遠くからみつけたホンチンがかけより、ポンポンを抱きしめる。「なにをするんだ!」「誘拐犯め!」などの怒号を浴びせられ、引き離されるホンチン。路上で泣き崩れるホンチン。
 「(ポンポンに)会わせてほしい」と訪ねてきたホンチンを「恨まないようにするだけで精一杯なんだ。帰ってくれ」と突き返すが、去り際「桃は食べさせないで。アレルギーだから」というホンチンに、ティエンは愕然とする。ポンポンは間違いなく自分たちの子供ではあるが、同時にホンチンもポンポンの母親なのだ、ということに気付き、もう取返しのつかない運命の儚さに涙する。
 カオ弁護士には、認知症の母親がいた。「ひとりで」親の介護をしなければいけない「一人っ子」の過酷さが描かれる。その世話係としてホンチンを雇うことにするカオ。仕事をしながら次の作戦を練ろうとの提案だった。就業前の検査で病院にいったホンチンは驚愕する。妊娠していたのだ。愕然と泣き崩れるホンチン。

つまりこんな映画(語りポイント)

 この映画は、中国の「一人っ子政策」から派生する、児童誘拐、人身売買、経済格差、人間のメンタル面に及ぼす影響…など、さまざまな問題点を浮き彫りにする社会派映画。よくそんな法律が10年以上も続けられていたなと驚くのですが、そのあたりは他の皆さんのレビューにたくさん書かれているので、ここでは、あまり触れません。
 ひとつだけ…映画の中で何度か描かれる「次の子供を妊娠した」事に対する本人や周りのリアクション。僕らが通常考える「オメデタ=そこにどんな事情があれ、おめでとう」では決してない。それは「一人目の死亡届がない限り、二人目の出生届は受理されない」法律によるものなのだけど、妊娠したことで泣き崩れる母親。子供が欲しくて、子供を取り返したくて仕方ない母親が、妊娠で絶望する…なんて、異常としかいいようがない現実に愕然とさせられる。


 「桃は食べさせないで。アレルギーだから。」

 前半でティエン夫妻が誰かに言ったセリフ。同じセリフを、後半、ポンポンに会わせてくれと訪ねてきたホンチンがティエンに言う。それを聞いて涙が止まらなくなるティエン。
 失われた三年。その間に、ホンチンもポンポンの母親になっていた認識させられるティエン。それは、失くした時間は戻らないということ。起こってしまった事実により、関わる人間たち全員にとって、取返しのつかない意識がが芽生えてしまっているということ。もう決して元には戻れない、どうしてこんなことに…という、哀しみ。
 ここは辛いシーンですが、一人っ子政策も含め、なにか大きな物の都合で苦しむのは、いつも何の罪もない庶民である…そんな無力感を痛切に訴えてくる。

 ちっぽけな人間の無力感。どうしようもない状況の中で、そこでどうやって生きていくべきか。大きな状況を嘆いていても何も変わらない。ただそこで涙に暮れていても何も変わらない。そこで唯一できることは「家族を愛すること」「家族を守ること」「愛するべき人を決して手放さないこと。」

 誰も幸せにならない救いようのない終わり方の中で、僕らがどこかに希望をみつけるとすれば、それくらいだろう。
 「人間は、自分のために生きている限り、決して満たされることはない」と思っています。自分のため…なんて際限がないからです。決して現状に満足しない、今の自分が得ている幸せに気づかないのが人間だからです。「誰かのために生きること。」誰かの幸せ…は可視化できるから。自分の幸せは見えなくとも。