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『フェイス・オブ・ラブ』」
原題:face of love
2015年 アメリカ
おススメ度 ★★☆☆☆(2/5)
アネット・ベニング演じる中年女・ニッキーの自分勝手極まりない行動に終始いらつきます。それでも、エド・ハリス演じるトムの忍耐力と優しさが、この映画を救う。可もなく不可もなく…。他に観るものなければ観てもいいのではないでしょうか。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
5年前、突然の事故で30年も一緒に過ごしてきた建築家の夫ギャレット(エド・ハリス)をなくしたニッキー(アネット・ベニング)。同じく伴侶をなくした向かいの住人ロジャー(ロビン・ウィリアムズ)と悲しみを分かち合うなどしてようやく立ち直りかけた彼女は、夫と通った美術館を訪れる。楽しかった日々を振り返りながら館内を巡るニッキーは、ギャレットと生き写しである画家トム(エド・ハリス)と遭遇する。驚きながらも新しい恋の予感に胸を躍らせ、トムと少しずつ心の距離を近づけていくが……。(シネマ・トゥデイより)
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
中年女・ニッキーが、街で、死別した夫とクリソツの中年男・トムを見かける。ほぼストーカー気味にトムに接近したおばさん、もといニッキーの強烈なアプローチに、トムも戸惑いながらも恋に落ちていく。ちなみにトムは画家。
トムは事情を聞かされないままつきあっているので、ニッキーの変な行動がワケワカメなのですが、「いま、そんな眼で僕を見るのは君だけだ。」と言う中年の悟りが、尋常じゃない忍耐力を発揮します。そんな眼=超ラブラブ目線のこと。
ニッキーは、トムを死んだ夫の名前で呼びまくるわ、二人の思い出の寿司屋に連れて行ったはいいけど、思い出が蘇りすぎてパニックになり、寿司も食べずに帰ると言い出したり、これでもかとトムを振り回します。それでも、その理由をトムに伝えません。
あまりにそっくりな風貌に、ニッキーの娘も、隣人で密かにニッキーに恋心をよせる中年男(ロビン・ウイリアムス!)も戸惑います。
娘にいたっては、二人の前でブチ切れて「ふざけんな、帰れ」などと怒鳴ります。
ニッキーが、ただ、死んだ夫の幻影を追いかけるためだけにトムに近づいたことが明白だからです。この部分は最後まで変わりません。だから観ててイラつきます。
二人は、結局、別れることにします。
別れた後、トムの元・妻から、ニッキーに追悼個展への招待状が届きます。トムは末期ガンだった。死期を悟っていたトムは「これが最後の恋愛」と確信していたのでしょう。
なぜか、ニッキーをみるなり「ニッキーね。見せたいものがある。」という元・妻。連れていかれたのは、彼の最後の作品「face of love」が展示してあるところ。 その絵に描かれていたのは、プールにいる水着のニッキーと、その姿を部屋の中から愛しい顔でみつめる自画像。つまり、FACE OF LOVE。
つまりこんな映画(語りポイント)
中年女・ニッキーの自分勝手極まりない行動に終始いらつきます。
それでも、エド・ハリス演じるトムの忍耐力と優しさが、この映画を救う。
相手の動機がどうであれ、始まりがどうであれ終わりがどうであれ、彼にとって「恋に落ちた」「恋愛を謳歌した」事実は、ことのほか大きく、人生に彩を加えた、かけがえのない体験だった。打算でもなく、机上の空想でもなく、実際の「体験」がすべて。「愛し合った」という事実が大事。
それを与えてくれたニッキーに心から感謝している証が最後の絵。
「自分の人生に係わってくれた人」「愛してくれた人」「愛させてくれた人」に、無条件に感謝しているの図。大事なことですね。
映画はラストシーンが命でもあり、納得いかない部分は多くても、ただ一点、心に響く部分があれば「観てよかった」と思えるのが映画。
それは僕らの人生も同じこと。ただひとつの「なにか」があれば、人間は生きていける。むしろ、その一瞬のために生きている。
そんな映画、ということになるのでしょうか。
ロビン・ウイリアムスの存在感が相変わらず凄い。
脇役でいるだけで、彼の顔を見ているだけで心が落ち着くようなオーラがある