【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『T2 トレインスポッティング』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『T2 トレインスポッティング』
原題:T2: Trainspotting
2017年 イギリス
監督:ダニー・ボイル
出演:ユアン・マクレガー、ジョニー・リー・ミラー、ロバート・カーライル、ユエン・ブレムナー
 おススメ度★★★☆☆(3/5)
 90年代に一世を風靡した青春映画「トレインスポッティング」の続編。ほぼ同じメンバーが終結。鑑賞前、青春映画の続編…は無謀だなぁと心配しましたが、その心配は半分的中し半分はホッとしました。前作・トレインスポッティングに思い入れのある人は必見。観るならぜひ前作とセットで。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 20年前に仲間を裏切りカネを持ち逃げしたレントン。

 冒頭、レントンは事務のランニングマシンで走っているが、途中で足がもつれ倒れてしまう。軽快な音楽もそこで止まる。
 スパッドは結婚して現場仕事で働いていたが、サマータイムで一時間ずれたことがどうしても理解できず、仕事をクビになる。家族にも愛想をつかされ孤独でドラッグに溺れている。
 レントンの親友だったサイモンは母の残したパブを経営していたがうまくいかず、今は裏風俗を経営しているが、そこでも、彼女のベロニカを使って客を取り、ホテルで隠し撮りしたビデオをネタに恐喝をするのが収入源だった。
 ベグビーは刑務所にいた。あと5年の刑期が待ちきれず、わざと負傷して病院に移動、さらにそこから脱走する。

 レントンが20年ぶりにスコットランドに帰ってきた。帰ってきた理由はイギリスでの生活に疲れ、昔の仲間に会いたくなったからであろう。

 社会の底辺オブ底辺の登場人物たちが、20年たっても何も変わっていない不良オヤジになっている話。

==以下ネタバレ==

ネタバレあらすじ

 レントンはまず、当時、唯一信用し分け前を与えたスパッドの家へ行く。するとスパッドは人生を悲観して自殺しようとしていた。ドアを壊して中に突入しスパッドを助ける。レントンにきづいたスパッドは怒って殴りかかる。どうして怒るんだ、分け前をあげただろ!と言うレントンに「俺が4000ポンドも持っちゃったらどうなるかわかるだろ?」と言う。ほとんどすべてをクスリに使ってしまったようだ。

 サイモンは、母から譲り受けたバーの地下で大麻を栽培したり、隠し撮りがバレた裏風俗をやめてベロニカと共にサウナを経営したがっていた。サウナというのは合法の風俗という意味だ。レントンが現れる。いきなり殴り合いになる二人だったが、レントンは当時持ち逃げした分け前をサイモンに渡す。「今さらこんなもんもらってどうしろと?」とベロニカに事の経緯を説明するサイモン。

 子供もいないし妻も出ていった、そしてここに帰ってきたというレントンとサイモンは再び手を組み、パーティに紛れ込んで客のキャッシュカードを奪うなどの犯罪を始めた。移民の若い女・ベロニカと三人で好き勝手やる。ベロニカは、サイモンとは仕事だけの関係だといい、レントンと良い仲になる。
 ある日、サイモンからの連絡は「弁護士を呼んでくれ。」脅迫がバレたのだ。レントンとベロニカは女弁護士の元へいく。彼女は、20年前にレントンと関係をもった当時高校生のお嬢さん・ダイアンだった。弁護士になっていた。彼女は知恵を出し、サイモンを罰金と執行猶予だけに収める。レントンとの別れ際、声をかけたダイアンは、ベロニカを見て「若すぎるわ。」と言う。※前作で、レントンが高校生のダイアンと寝たことをに皮肉るセリフ。

 ベグビーは脱走して自宅に戻る。大学生の息子に「今日からコンビだ。」と外に連れ出し、悪い仕事をさせる。しかし何度目かに息子は仕事に加担するのを断る。怒ったベグビーは家を出ていく。
 ベグビーはサイモンの元へいくが、適当な嘘をつかれて追い返される。

 サイモンとレントンは、中小企業融資相談のような会社に行き、ホテルを作って街を活性化させたい、などと思ってもいないプレゼンを行う。なんとか融資を引き出し、サウナを作りたかったのだ。

 レントンは、クラブのトイレでベグビーと出会ってしまう。ベグビーはEDでクラブの女をモノにしようとバイアグラを何錠も飲んでいた。
 ベグビーに追いかけられるレントン。ベグミーは20年前の持ち逃げを恨んでいた。

 ベグミーが脱走していることをレントンに言っていなかったサイモンは、少し口論になるが、そこに、何者かが現れ二人はさらわれてしまう。サウナを何店も経営している男だった。お前らがサウナを経営するのは許さないと脅す。服を脱がされ森に放置される二人。

 ベロニカから、10万ポンドの融資が決まったことを聞き、喜ぶ二人。

 ベロニカはスパッドの話に興味を持ち「自伝を書いたら?」と薦める。スパッドはやる気になり、20年前の自分たちの物語を克明に紙に書いては壁に貼っていく。途中まで完成した原稿をベロニカに渡すスパッド。それを読み、彼らの過去を知っていくベロニカ。
 しかし、スパッドの家にベグミーがやってきた。レントンの居場所を聞き出そうとするベグミー。ベグミーはスパッドが書いている自伝を読み、懐かしさにふけるが、ラストで、レントンが裏切った際「ベグミーには思い入れはない。悪いと思わない。」と語っていたことを知り、さらに怒りが増幅する。一方では、昔、自分の父親に関するエピソードを読んだことで、自分の息子への想いも膨らみ、自宅に行き「自由に生きろ」と伝えあらためて家族と訣別をする。
 べぐびーはベロニカの携帯を奪い、ベロニカに成りすましてレントンをサイモンのバーに呼び出す。

 バーに来たレントンとサイモンは、ベグミーと格闘になり、あわやレントンは殺されそうになるが、スパッドがやってきて便器でベグミーを殴る。気を失ったベグミーをクルマのトランクに押し込める三人。

 スパッドは、ベロニカが10万ポンドを持ち逃げしたと告げる。
レイトンとサイモンはまた二人揃ってソファーに座り、ぼーっとしている。
 レイトンは実家に戻った。部屋は20年前のままになっている。
 冒頭で躊躇してかけなかったレコードに今度はしっかりと針を落とす。前作のテーマ曲が流れだし、エンドクレジット。

つまりこんな映画(語りポイント)

 そもそも前作の「トレインスポッティング」は、社会の底辺オブ底辺の奴らが現実に目を背けて無茶苦茶に生きながらも、それでも「若さ」という絶対的な武器を持っていたことで、かろうじて希望につながる話だった。
 まだ見ぬ未来などという、なにかわからない大きなモノに向かっていく姿だったり、あるい逆に、果てしないはずの未来に背を向ける潔さ。が若者の琴線を刺激したいわゆる青春映画でした。

 そこから「若さ」が消えた時、どうなるのか?
 絶大にして唯一の武器を捨てた「トレインスポッティング」が果たして「トレインスポッティング」になるのか?

 50も手前の不良親父たちが、それなりに成功している設定にすることもそりゃできるでしょうけど、それではトレスポではなくなってしまう。やはり「相変わらず変わってない。」「相変わらず最低」であるべきだと思います。
 

 結果、若さを失くした彼らは、哀しいけどパワー不足。

 レントンが、前作の冒頭と最後に流れる例の口上を再現するように「現代への不満」を延々と並べ立てるシーンがあります。セルフオマージュですね。そこで「FacebookもTwitterもインスタグラムも、みんな中毒だ。ドラッグと同じ。みんななにかに依存しているんだ。」と叫んでも、前作のように観客が共感できる要素が薄いのです。言ってることは最もなことで、本当のことで、みんなが考えていることなのですが、
 
 「社会が悪い」と叫ぶのが美しいのは若者だからで、おやじが「社会が悪い」と叫んでしまうと、負け犬の遠吠えのように聞こえてしまう。

 劇中でたびたび、彼らが昔の思い出話に酔うシーンがあります。それ自体はリアルだと思います。実際、僕らおやじが昔の仲間に会うと普通にそんな話になります。飲み屋で興味のない若者に無理やり聞かせている設定ではないし、仲間内での会話なら、ないほうが不自然なシーンです。
 また前作が「若者が若者のみっともなさを全開にしている」点が魅力だったことを考えると、今回は「オヤジがオヤジのみっともなさを全開にする」のもアリだとは思います。
 ただ、やはりシャレにならない感があるのです。みっともなさがカッコいい世代(あるいは時代)ではなくなってしまっているので。

 自由を求めてジタバタするのが彼らの姿であるなら、前作20代の時の世界より、むしろ現在のほうが狭い世界に閉じ込められている感。それは殻の外に広がる世界が無限ではないとわかってしまっている大人の哀しさか。
 
 総合、いろいろキツイ映画です。それでも…

 彼らが彼らであるには、トレインスポッティングがトレインスポッティングであるには、彼らが「みっともない」であるべきで「どうしようもない」であるべきで「救いようがない」のが彼らなのです。
 だから、これでいいんだろうなと思います。

 前作のヒロイン・ダイアンが登場したときには、僕も含め映画館の中で「歓迎」を意味する笑いが起きてたし、ラストシーン、冒頭では躊躇してかけることをためらったレコードの針を落とし、前作と同じポーズでイギー・ポップが流れた時には…
 
 「キツイ?そらそうよ。でも生きてやるぜ、まぁ見てな。」
 そんな根拠のない強がりが心に聞こえてきて少し嬉しくなった。

 そういえば、根拠がない強がりが彼らの得意技でありイキザマだった。

 最後に、移民の若い女・ベロニカが、前作のレントンのようにおカネを持ち逃げしていく設定も「因果応報」「若い奴にやられた感」「時代って繰り返すのね?感」があり、良い味を出しています。

▼鑑賞前に個人ブログに書いた記事です。