【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『”アイデンティティー”』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『”アイデンティティー”』
原題:Identity
2008年 アメリカ
監督:ジェームズ・マンゴールド
出演:ジョン・キューザック、レイ・リオッタ、アマンダ・ピート、ジョン・ホークス、レベッカ・デモーネイ、プルイット・テイラー・ヴィンス
 おススメ度★★★★★☆(4/5)
 モーテルに偶然集まった人が順番に殺されていく。ありがちな設定と使い古されたネタではありますが、「この手法」にしては登場人物の動機にも整合性がとれていて、脚本も良く考えらている。途中で真犯人を予想できる人はかなり少いでしょう。結末の意外性も満点で、ミステリーとして単純に面白い。これから観る方は、ぜひ事前のネタバレなしでどうぞ。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 「またいた。そこにはいない人が。どうか、どうか早く消えて。」それは死刑囚マルコムが子供の頃に作った詩だった。

 マルコムは幼いころ母親にモーテルに捨てられた。彼は六人の人間を殺害した犯人だったが、弁護側は彼の精神疾患を主張していた。、死刑前夜にも関わらず、弁護側があらたに発見したというマルコムの日記を元に再審理を要求。どしゃぶりの雨の中、検事や陪審員が集まられた。

 場面は郊外のモーテルに変わる。

 どしゃぶりの夜、路上でパンクの修理をしていた三人家族のうち、妻のアリスが車にはねられる。誤って妻をはねてしまったのは女優キャロラインの乗る車、運転していたのは使用人のエドだった。
 エドは自分の車に家族を乗せ、助けを求めにモーテルに入る。

 こんな汚いところに泊まりたくないというキャロラインをふりきって医者を呼びにいくエド。途中、車が動かなくなったという娼婦・バリスを乗せる。

 しかし、豪雨で、モーテルのあるエリアから出ることができなかった。そこに通りかかったのは若い夫婦、ルーとジニー。囚人を移送中だという刑事ロードも加わり、彼らは仕方なく、全員が同じモーテルに泊まることになる。

 5歳くらいの息子・ティミーが寝ている、その傍らで妻の回復を祈る夫。

 やがて、エドは、コインランドリーの乾燥機の中で、女優キャロラインの生首が回っているのを発見する。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 刑事ロードと若い夫婦の夫ラリーと共に現場を検証するエド。乾燥機の中には10号室の鍵。気になってトイレに監禁している囚人をみにくと、囚人はどこかに逃げ出していた。

 人が殺されたっ動揺から、勢いだけで9時間前に結婚したばかりのルーとジニーは喧嘩をはじめるし、娼婦と管理人はいがみ合う。管理人は、殺されたキャロラインの部屋に忍び込み財布を盗む。

 ジニーが何者かに襲われそうになる。ジニーが半狂乱で逃げ出し部屋に戻ると、ルーが血まみれで殺されていた。

 逃げようとした囚人は豪雨で逃げられず、エドたちに捕まる。囚人を倉庫の柱に縛り付けるエドたち。管理人が見張り役をさせられる。

 妻のアリスは意識を取り戻す。

 エドは娼婦のパリスに昔話をする。エドは元刑事だったが、エイズの妊婦の自殺を救えなかったことで職を辞めたと告白する。殺されたルーのポケットから9号室の鍵をみつける。

 キャロラインの時には10号室の鍵。死のカウントダウンだ。

 エドとロードが倉庫にいくと、縛っていた囚人が殺され足元に8号室の鍵が落ちていた。エドたちは管理人を疑い問い詰めると、管理人はパリスの喉元にナイフを突きつける。と、冷凍庫の中から誰かの死体が転げだしてきた。
 パニックになった管理人は車で逃げ出そうとするが、誤って3人家族の夫をひき殺してしまう。

 場面は、死刑囚マルコムの審議会に。弁護側の説明によると、マルコムは乖離性人格障害、つまり多重人格で、彼の日記はまるで複数の人間が書いたように、それぞれの筆跡、人間性、考え方で書かれていた。弁護側は、まず複数に分離した人間性を元のひとつに戻すことが大事だと主張する。

 元のモーテル。管理人は実は脱獄囚で、冷凍庫の死体は本当のモーテルの管理人。お金もなく、仕方なしに殺し管理人になりすましていたと言う。刑事ロードは信じず、管理人が全員を殺したに決まってると言う。

 部屋の中、ジニーは映画の話をし「順番に人が殺されていく映画があったよね。実は全員に共通点があった。私たちにももしかして…。」と言い出す。

 一度は意識を取り戻した妻アリスが死んだ。ベッドに脇には6番の鍵。「なぜだ。彼女は事故で死んだのに…。夫も事故で…。」それにカウントダウンの「7」が抜けている。エドたちが夫の遺体を確認しにいくと、ポケットにあったのは7号室の鍵だった。

 エドはジニーに子供のティミーを連れて逃げるよう指示する。しかし、二人が乗った車は爆発してしまう。なぜか遺体は消えてなくなっていた。

 突然、モーテル内のここまでの遺体がすべて消えた。血痕すら残っていない。
 
 娼婦のパリスは、「田舎で農園をやりたい。」と叫び「来週の10日で30歳になるのよ!」というと、エド、管理人、ロードが反応する。「俺も来月の10日が誕生日だ。」

 エドが宿帳を調べると、ここに集まった全員が5月10日生まれ。同じ誕生日だった。そして苗字がすべてアメリカの地名であることに気づく。

 エドは審議室に居た。精神科医と会話をしている。「どこにいた?」と聞かれ「女優とモーテルに行った。みんなが死んでいった。でも死体がすべて消えた。」と話す。精神科医は、エドにマルコムの写真を見せる。「彼は六人を殺した死刑囚だ。彼は多重人格障害なんだ。」と説明する。「なぜ俺にそんな話を?」と聞くエドに「それは、君が彼の人格のひとつだからだ。」と告げ、エドに鏡を見せる。鏡に写ったのはマルコムの顔だった。

 「モーテルに居た人はみんな存在しない。みんな君が、君の中で作り出した人格だ。」

 これはマルコムの治療の一環だった。強制的にすべての人格を同じ場所に集めて衝突させ、マルコムの中の人格を減らしていくのが目的。マルコムが犯した殺人はすべて、マルコムの中にある殺人者の人格が行ったこと。「いいか、エド、良く聞け。大事なのは。殺人者の人格を生き残らせないことだ。」それがマルコムの死刑執行を阻止する唯一の手段だった。

 場面はまたモーテルに戻る。

 誰かわからない殺人者の人格。残っているのは、エドと刑事のロード、娼婦のパリス、管理人。パリスは車の中で、ロードの正体を知る。ロードは本当は護送中に逃げ出した囚人だった。

 正体がばれたロードは管理人を殺しパリスを追う。そこに戻ってきたエドはロードと相打ちになる。

 エドを助けようとするパリスだったが、エドは起きようとしない。「君をみた。オレンジ畑にいる君をみた」と言い残すと納得したような表情で息を引き取った。

 審議室。マルコムは、パリスとエドの会話をひとりでしゃべっていた。やがて、マルコムの中にはパリスの人格だけが残った(と、思われた)。

 「彼の中にいた殺人者の人格はすでに死んだ」とされ。マルコムの死刑執行は取り消された。車で州立病院に移送されるマルコム。 

 場面ばパリスの家。オレンジを育てているパリスが地面でみつけたのは「1号室の鍵」。見上げると、そこには死んだはずの男の子が立っている。モーテルで全員を殺した犯人、5歳ほどの子供・ティミーが、パリスを襲った。

 移送中に苦しみだすマルコム。突然、運転していた精神科医の首を絞めるマルコム。殺人者の人格は死んでいなかった。

 

つまりこういう映画(語りポイント)

 「すべては誰かひとりの人間の頭の中の出来事だった。」いわゆる夢オチで、大昔からさんざん使い古されてきたパターン。王道の手法ではありますが、夢オチは「夢だからなんでもアリになってしまう」「しらける」とされ、昨今では評価されにくい傾向にある。おまけに、それが精神病患者のアタマの中で、すべては治療の一環だったと云うのも、どこかで観たことのある設定で目新しさはない。むしろ「今さら良く使ったな、その設定」と思ってしまうほど。

 ただ、この映画が巧いのは、その目的が「多重人格者の人格をひとつにすること」「大事なのは、その中にひとりいる殺人者の人格を生き残らせないこと」という明確な目的が設定されているために、ラスト近くのネタバレ後も、引き続きサスペンスとして楽しめるようになっていること。
 「殺人者の人格は誰だ」は、イコール「犯人は誰だ」と同じことなので、犯人捜しのミステリーが最後まで機能しているわけです。それにより「なんだよ、夢オチか」というシラケが少ない。

 真実を知ったエドがモーテル(の世界)に戻り、刑事と(わざと)相打ちになる。残ったパリスは何も知らないのでエドを助けようとするけど「人格がふたつ残ってはいけない」とわかっているエドは、そのまま静かに死んでいく。残った娼婦のパリスにすべてを託して。
 このくだりは軽く感動するシーンではある。

 そのうえで、これ以上ない意外な真犯人を最後に出すと。子供が大人全員を殺したというのも無理があるのだけど、そこは「夢オチだから」で許せてしまうところが卑怯といえば卑怯ですが。

 いや、この最後のどんでん返しと真犯人は、そうそう予想できないのではないでしょうか。つまりそれくらい「普通はありえない」という事だけども。 

 そりゃ映画の歴史もこれだけ長いわけなので、純粋なオリジナルなんてものはもう存在しないのかも知れない。でも、これほど使い古されたネタであっても、新しい発想と着眼点から面白い物語は作っていけるという例。古き良きエッセンスの伝承は、映画の普遍的面白さを守ることにもつながる。
 映画好きな人にとっては、無条件に好感が持てるタイプの映画。
 
 それにしても、終始どしゃぶりの雨という設定は、単純に「撮影、大変だったろうな」「お金かかるな」と思ってしまう。雨降らしに加え、モーテルの室内でも常に雷光や雨のしずくを出さなきゃいけない。照明さんも大変なので、普通に便宜上のことを考えると「ずっと降ってなくてもいいやん」と誰か言い出しそう。
 でも、そこを貫いたのはスゴイ。しっかりと雨が効果を出しているだけに。

 刑法39条については多様な意見がある。個人的には不要だと思う劇中の殺人犯マルコムに殺された被害者家族の心情や、その議論などは、このミステリー映画には無縁とされている。
 そのあたりの配慮に欠けているところも、古き映画のエッセンスと言えなくもない。