【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『ハングリー・ハーツ』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『ハングリー・ハーツ』
原題:Hungry Hearts
2014年 イタリア
監督:サベリオ・コスタンツォ
出演:アダム・ドライバー、アルバ・ロルバケル、ロベルタ・マックスウェル
 おススメ度★☆☆☆☆(1/5)
 これは重い。重くて暗いのでおススメ度は下がってしまいます。この映画が本当に語りたい部分は、表面上から少し視点を曲げたところに描かれていて、僕は割と味のある物語だと思います。わかりにくいといえばわかりにくいけども。「正義」「悪」「宿命」なんてことについて語るなんて趣向もありです。根底にあるのは「家族への、我が子への無償の愛」です。とてつもなく暗いけども。

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あらすじ(ネタバレなし)

 冒頭、レストランのトイレに偶然閉じ込められてしまった見知らぬ男女。コミカルなジュードとミナの出会いのシーン。

 将来への不安もあるが、二人はとても仲が良く、ミナは妊娠する。

 なぜかフラッシュダンスのテーマが流れる中、仲間に祝福され結婚する二人。ジュードの母はミナに「いつでも家に来ていいのよ。ジュードがいない時でも。」と言う。うなづくミナ。幸せの絶頂。

 ミナの出産が近づく。医者に「羊水が極端に少ない」等、心配なことを告げられながらも、二人は、輝く未来へ歩みだそうとしていた…少くとも、この時までは。

ネタバレあらすじ

 子供は無事に生まれたが、検査が必要でミナはなかなか子供を抱けない。ある時、病室を抜け出して「子供を抱かせて欲しい」と懇願するミナのために、医者は「少しだけなら」と許可する。子供を抱き、嬉しそうに泣き笑いのミナ。夫・ジュードも嬉しそう。

 退院。自宅で育児。帰宅して子供をあやそうとするジュードに「ダメ。手を洗ってから」というミナ。

 どうやらミナは異常な潔癖症で「毒だから外に出せない」と、生まれて9か月間、息子をずっと部屋の中で育てた。

 子供に熱がある。もう2週間も続いている。「医者に見せよう」というジュードだが、ミナは「医者は信用できない。毒を飲まされる」といってきかない。カラダに自分を守ることを覚えされれば強い子になる、と信じている。

 「直観的に自分の育児方法が正しいと思った。」といい、頑なに自分の考えを曲げようとしないミナ。

 ミナは菜食主義者だったが、息子にも同様に豆や野菜をつぶしたものしか与えず、動物性脂肪、粉ミルク、等の食品を一切与えてなかった。

 ミナが外出したのを見計らって、ジュードはミナに内緒で息子を医者に連れて行く。「あきらかな栄養不足。発育が遅すぎる。このままでは危険だ。」と診察される。ジュードがミナの育児状況を話すと医者はあきれかえり「すぐに栄養を与えるんだ。大至急だ。」とアドバイスする。

 ジュードがスーパーで栄養のあるものを買ってきて息子に与えていると、そこに帰ってきたミナが「なにしてるの」と怒る。医者に見せたこと、医者に言われたことを話すジュード。ミナが「わかった」と納得したようだったが…。

 ミナは「ヨラックス」というオイルを息子に食べさせはじめた。なにかと思ったジュードが調べると、それは「とった栄養を阻害するオイル」だった。「息子を殺す気か!」とジュードが怒鳴ると、ミナは「あなたは毒を与えているのよ!」と言いかえす。

 ジュードの母が家にやってくる。ガリガリのミナと孫を見て「なにがあったの?」と心配する。ジュードは「何もない。心配いらない」と言うが、息子を外に連れ出し、食べ物を与えながら、母に本当のことを話す。「ミナは普通じゃない。なんとかしなければ」という母だったが、ジュードは「これはぼくたちの問題だ。」「ミナにとって僕とこの子がすべてだ」と、あくまでミナを愛しながら問題を解決したいという意志を告げる。

 キッチンでミナを後ろから抱きしめるが「疲れているから」と素気ないミナ。

 女弁護士に相談するジュード。「妻が息子を殺してしまう、日光浴もさせない。」「一日3回、口実をつけて息子をつれだしハムを与えている。」
 「奥さんを精神科医にみせましょう」と進言する弁護士。「息子さんを保護するためには、奥さんが問題だと証明しなければいけない。」とアドバイスするが、ジュードは「ミナにそんなことはできない」と拒否する。

 弁護士事務所を出たジュードを、弁護士が追いかけてきた。「これは厳密には誘拐になる」と告げながらひとつの提案をする。それは「妻に内緒で息子を安全な場所に移す。」「妻に保護申請の書類を渡す(※子供を保護するには母の承諾が必要。ミナがサインするかはさておき、書類を渡すことが大事だということか)」

 少し考え「やってみる」というジュード。

 ミナの隙を見て息子を連れ出し、外で待つ母の車に乗せるジュード。その後、ひとりで部屋に帰ってきたジュードをいぶかしげに見るミナに「息子を助けるために、強引に保護したこと」を告げ、書類を渡す。「あの子を一緒に育てよう。でも、今は僕に任せて欲しい」と言う。「いつまで?」と聞いて泣くミナだが、ジュードは何も答えない。

 ミナは、時々、ジュードの実家へ行き息子との面会を許されていた。おしめを替えるフリをして、また「栄養を阻害するオイル」を与えているミナ。驚いた母は「もうあの人をここに来させないで。子供が危険よ。」というが、ジュードは困っている。

 別の日、ミナに「私は騙されない。孫への虐待も許さない。」といいながら肉を焼いている母。

 息子を抱き、連れて帰ろうとするミナ。ジュードと母が阻止し息子を奪還するが、その際、ミナを突き飛ばしてしまい、壁に顔を打ち付けたミナは唇を切って血を流す。黙って去っていくミナ。

 夜、パトカーの光にきづいたジュードが玄関に行くと、警察が来ていた。近くにはミナがいる。何事かと聞くジュードに警官は「夫と母親に暴行を受け、我が子を監禁されている、と通報を受けた。息子さんを返してもらう」という。「そんなバカな」「あの子が殺されるの。あの女は危険なの」と泣く母親だが、警察は相手にせずミナの味方をする。息子はミナの手に戻された。

 弁護士に電話をするジュードだったが、そもそもが強引な方法で行ったことであり、当初の弁護士の提案を拒否したジュードには、ミナが息子を虐待していたことを証明する証拠がなかった。「証拠もない。打つ手はない。」と告げられるジュードと母。

 息子を風呂に入れ、一緒に海に行く。幸せそうなミナの表情。

 かたや、自宅で呆然と涙を流しているジュードの母親。

 ミナの家。誰かの足音。ベッドから起き上がり様子を見に行くミナ。愕然としたミナの表情。銃声。

 鉄格子の中、述懐する母。「そうしなければ息子が不幸になった。」「息子もも私を許せるか、わからないでしょう。私も、自分を許せるか…わからない。でもそうするしかなかった。」

 数年後、少し大きくなった息子とジュードが、海辺、夕陽に包まれて楽しそうに手をつないでいる。エンドクレジット。

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つまりこういう映画(語りポイント)

 まず、この暗~い重~い映画の滑り出しとはとても思えない、冒頭のトイレのシーンがコミカルでめちゃ面白い。その後に続く結婚式もまるでハートウォーミングで、まさかその後に奈落の底にたたき落されるとは、事前情報なしで観たら、そのFUJIYAMA並みの落差にビックリするでしょう。

 いや~、冒頭のシーン面白い。

 で、奈落のお話。簡単に言うと「精神的に問題のある母親が息子を虐待。心配した夫とその母親が、息子を助けようとする物語」ということになります。あきらかに「おかしい」妻のミナの行動と、常識的な人間であるジュードと母親。あまりに常執を逸した母親の行動は、まるでスリラー映画。

 しかし、この映画が本当に語りたい部分は、表面上から少し視点を曲げたところに描かれている。わかりにくいといえば、わかりにくい。
 妻を敵対視しながらも、あくまで「妻の味方でもある」夫のジュード。一貫して「家族として一緒に物事を解決していきたい」意志の元に行動している。見る側は「夫とはいえ、どうしてそこで妻のカタを持つんだ。」と、妻=悪者として映画を観ている僕らの期待を時には裏切る行動を見せる。そして、案の定というか、最後にはそのやり方が仇となり「虐待の証拠もない。打つ手がない。」状況で、ミナに息子を連れていかれることになる。

 ジュードは、どんな状況になろうと、息子と同様に妻を愛し続けた。その結果が仇になっても、それは宿命であり仕方のないことなのです。

 やや不思議なのは、劇中「ミナがどうしてそんな行動をとる人になってしまったか(あるいは、元々そうだったのか)」が、ほとんど描かれていない。わずかに序盤に、ややワケアリの家庭で育ったことがわかるセリフがあるだけ。妻の「理由」が明確にされていないんですね。
 これは、もしかしたら「視点を変えれば、妻が正義かも知れない」と考えてみても面白いです。妻目線で映画を作り直せば、まったく違った物語になったりして。おそらくそれは考えすぎでしょうが。

 ジュードもミナも、ミナを銃殺してしまう母親も、間違いなく共通しているのは「息子を愛していること」「息子のためを思っていること」です。例えそれが大間違いな方法だったとしても。

 「正義にも理由がある」「悪にも理由がある」のですが、意外なことに、その根底にある「理由」は両者まったく同じものだったりするのです。悪だと思って悪になる人は少ない。誰もが「自分が正義」だと信じて行動する中で、第三者の評価により「正義」か「悪」のレッテルを貼られるだけのこと。

 中島みゆきサンも「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなる」と言ってます。孫のために嫁を銃殺した母親など、まさにそれ。「

 ジュードもまた「妻が悪」であると明確に認識しながら、それでも妻を愛しながら問題を解決しようとする。「愛する人が悪であるなら、仕方ない、悪でも愛するしかない。」という覚悟。

 テーマは「家族、我が子への無償の愛」ですね、

 そうみると、暗くて重いけども「良い映画」なのだと思います、これ。