【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『ライフ・オブ・パイ』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『ライフ・オブ・パイ』
原題:Life of Pi
2012年 アメリカ
監督:アン・リー
出演:スラージ・シャルマ、イルファーン・カーン、レイフ・スポール

 おススメ度 ★★★☆☆

 非常に観念的な作品。海に出てからは全編ほぼCGという作りも好み次第。1884年の「ミニョネット号事件」がモチーフにした壮絶な物語でもある。個人的好みは文句なく★5絶賛ですが、賛否は分かれるそう。

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◆目次

 簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)

 インドから家族でカナダへ移住することにした家族。父が動物園を経営していることから、船にはたくさんの動物たちも乗せられていた。

 嵐で船が沈没。ほぼ全員が海に投げ出され命を落とすが、主人公・パイは命からがら小さな救命ボートにしがみついて命をとりとめる。ボートには彼のほかに、シマウマ、ハイエナ、オランウータン、ベンガルタイガーが同乗していた。シマウマたちはすぐに死んでしまい、ボートにはパイとベンガルタイガーだけになる。

 ひとつのボートの上でトラから身を守りながら漂流する少年の物語。

ネタバレあらすじ

 小説家ヤンがインド人の青年パイ・パテルを取材に来る。
少年時代のパイは。数学の授業で円周率を延々と暗記したり、非凡な才能を発揮していた。家庭環境から宗教にも多く接している。父は動物園を経営しているが、ある日、トラに近づこうとして怒られたりする。

 動物園の資金難から、家族も動物たちもカナダに移住することになり、船に乗り込むが、そこにはベジタリアンの母をバカにするコックやら、仏教徒の船員やら、面倒くさそうな人たちが乗っている。
 
 船が沈没しほぼ全員が命を落とすが、パイはボートに乗って生き延びる。 ボートには、オランウータン、ハイエナ、シマウマ、トラのリチャード・パーカーが乗って来たが、やがて、リチャード・パーカー以外の動物たちは死んでしまい、パイはトラと二人きりになる。

 そこから、海の上での冒険話が延々とあって…

 救出されるパイ。保険担当員が入院先に事情を聞きにくるが、パイの冒険物語を「本当のことを話してくれ。妄想はいらない。」と突っぱねる。

 そう言われてパイが話した「もうひとつの話」は、トラも動物たちも出てこず、最初にボートに乗ったのはパイの母親やコックたちだと云う、冒険話とはまったく違う凄惨な物語だった。
 
 話を聞き終わった小説家ヤンは、トラ=パイ、ハイエナ=コック、オランウータン=母、シマウマ=船員だと指摘する。

 パイは「どちらでもいい。ここに二つの物語がある。君はどっちの話が好きだ?」と尋ねる。ヤンは「トラが出てくるほう」と答える。

 保険会社の調査結果書類をみるヤン。そこには「パテル氏は頑張った。そして生きて帰って来た。すごい。称える。史上類を見ないことだ。なにせベンガルタイガーと一緒に生還したんだぜ。」と(いう意味のこと)が書かれてあった。

つまりこんな映画(語りポイント)

 まぁ暗喩が多く語り好きな映画ファンにはたまらない作品。ただ、その哲学的なテイストが好きじゃない人には、あまり訴求しないだろうし、退屈で意味のわからない映画だ、という評価になる場合もありそう。

 人間は、あまりに受け入れがたい事象に出会うと、それを信じたくない心理から忘却本能が働くといわれる。

 生きるために…忘れる。

忘れることによって生きていくことができる。

 人間が「気を失う」…のも、恐怖のあまり精神が壊れてしまわないように防衛本能から自らの意識を落とす…電気のブレーカーと同じ働きによる。人間の身体(脳)には、そのような自己防衛本能が備わっている。

 

刑法第37条「緊急避難」

自己又は他人の生命、身体、自由又は財産に対する現在の危難を避けるため、やむを得ずにした行為は、これによって生じた害が避けようとした害の程度を超えなかった場合に限り、罰しない。

ミニョネット号事件

1884年7月5日、イギリス船籍のヨット・ミニョネット号は、喜望峰から1600マイル(約1800キロメートル)離れた公海上で難破した。船長、船員2人、給仕の少年の合計4人の乗組員は救命艇で脱出に成功したが、艇内には充分な食料や水が搭載されておらず、漂流18日目には完全に底をついた。19日目、船長は、くじ引きで仲間のためにその身を捧げるものを決めようとしたが、船員の1人が反対した為中止された。しかし20日目、船員の中で家族もなく年少者であった給仕のリチャード・パーカー(17歳)が渇きのあまり海水を飲んで虚脱状態に陥った。船長は彼を殺害、血で渇きを癒し、死体を残った3人の食料にしたのである。
 24日目に船員3名はドイツ船に救助され生還したが、母国に送還されると殺人罪で拘束された。しかし彼らは人肉を得るためパーカーを殺害したのは事実だが、そうしなければ彼ら全員が死亡していたのは確実であり、仮にパーカーが死亡するのを待っていたら、その血は凝固してすすることはできなかったはずであると主張した。結果、彼らは六か月の禁固刑に減刑された。(wikipediaより)

 

 ミニョネット号事件で、仲間に食べられた若者の名はリチャード・パーカーといった。主人公と共に漂流するベンガルタイガーの名前もリチャード・パーカー。

 この映画のポスターに書かれたキャッチコピーは「なぜ少年は生きることができたのか?」
 一見、誰もが「少年が227日も漂流して、どうして生きて帰ってこれたのか。」と云う意味だと思うだろう。それが、映画を観終わった後には…「そんな壮絶な体験をした後に、どうやって(その後の人生を)生きる気力を得たのか。」という意味に変わる。

 壮絶な体験とは、トラとの漂流話ではない。パイが話した「もうひとつの話」のことだ。それがミニョネット号事件をモチーフにしていることはリチャード・パーカーの名前から明らか。

 パイが孤独な海の上で、なにを食べて生き延びていたのか。

 それは、どんな光景で、どんな精神状態で…。

 想像するとゾっとする。

 僕らが想像したくもない経験を経てパイは生還した…のかも知れない。

 

 この、真意をあえて隠したキャッチコピーのギミックは秀逸。

 最後に、大人になった主人公・パイが、インタビュアーに言う。

「ここにふたつの物語がある。どちらも結果は同じ…私は家族を失い、そして、今、こうして生きている。ふたつの真実のうち、君はどっちが好きだ?


 人間が生きるために必要な真実は決してひとつじゃない。
言い換えると、人間が生きるために真実はさほど重要じゃない。
 
 大切なのは「生きる」ということ。
「生きていかなきゃいけない」ということ。