【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

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3分で映画『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『アサイラム 監禁病棟と顔のない患者たち』

原題:elizagraves

2014年アメリカ
原作:エドガー・アラン・ポー
監督:ブラッド・アンダーソン
出演:ケイト・ベッキンセール、ジム・スタージェス、デビット・シューリス、ベン・キングズレー
 おススメ度★★★☆☆(3/5)
 エドガー・アラン・ポー原作だけあってミステリーとして秀作。そしてやはり暗黒。ただ、精神病患者への治療法の是非、善と悪の概念…など、いろいろエグりこんでくる部分もあるので、メンタル落ちてる時には注意かも。

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◆目次

 あらすじ(ネタバレなし)

 19世紀末、山奥の精神病院にやってきた精神科医エドワードは、院長について実習を開始するが、やがて地下牢に閉じ込められている「本当の医師たち」を発見する。彼らを閉じ込めて病院を仕切っているのは精神病患者たちであった。患者のひとりである美しい人妻・イライザに恋をしたエドワードは、彼女と、閉じ込められた本当の医師たちを助けようと奔走する。

 19世紀末、冒頭、大学では精神病とされる女性・イライザを実験台にした講義が行われていた。イライザの「わたしは狂ってない」との主張を「罪人が自分を無実だと主張するのと同じだ。」と一蹴する教授。

 「聞いたことは信じるな。見たことは半分だけ信じろ。」

 1899年のクリスマス・イブ、エドワードは、山奥にある精神病院に実習に来た。院長のラムの回診に同行するエドワードは、ラムの治療方針に驚く。エドは「治療=まともな人間に戻すこと」と捉えていたが、ラムは「幸せな人間を苦しい現実に戻してどうする?」と言う。つまり、患者が今の状態のまま暮らすことのできる環境を作ることが、ラムの考える治療であった。
 患者の中にイライザがいた。彼女は夫の暴力や虐待によって、性的な刺激を少しでも受けると発作を起こす病だった。男性に触れられるとカラダが硬直して震えだす。彼女が奏でるピアノの音色と、その美貌に恋に落ちた様子のエドワード。
 患者たちも交えたディナー。ミッキー・フィンという男がいた。ミッキー・フィンとは「毒を盛る」という意味だ。ミッキーに薦められた飲み物を飲もうとするエドワードの足を蹴って、それを阻止したのはイライザだった。
 イライザは即座にエドワードを別室に連れていき「すぐにここを出て行って。馬を盗んで街に帰りなさい。」と進言する。「来たばっかりだ。」と拒否するエドワード。
 夜、エドワードが地下牢を発見して降りてみると、そこには「本物の院長」「本物の医師たち」が牢屋に閉じ込められていた。彼らの話によると、院長を名乗っているラムは実は精神病患者で、自分たちに毒を盛り地下に閉じ込め、勝手に病院を運営しているのだという。エドワードは「ラムに従っているフリをしながら、助ける方法を考える」と言う。 

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 イライザに「すぐに一緒に街に行こう」と言うエドワードに、ラムたちが病院を乗っ取っている事実を認めながら「私もその一人」と言う。
 どうやら、本当の院長・ベンジャミンたちの治療が、そもそも人道的に問題のある方法であったことがわかる。傍からみると拷問にしか見えない方法で患者の自我を奪い「おとなしくさせること」が彼らの治療であった。イライザによると、自分も含む女性は、ここで治療と称した性的暴力に近い行為を受け、それによりカラダに変調をきたしたのだと告白する。
 ラムは「自分たちは見ているだけでいい。人としての威厳を取り戻すだけで治癒する者もいる。」といい。狼男のように野生化した患者をエドに任せる。狼男に襲われたエドは壁に書いてあった男の名前を呼ぶ。名前を呼ばれた狼男はエドと握手をする。それをみて「さすがだ」とつぶやくラム。ラムはエドを自分の第一の助手にしたいと考えていた。
 本当の院長・ベンジャミンを拘束し電気ショックを与えるラム。それにより廃人となったベンジャミンは過去の記憶を失くし「お前は患者だ」と教え込まれ、ひとりのおとなしい患者にされるのだが、ベンジャミンに電気ショックを与えたのはエドだった。
 しかしラムもやはり狂っているには違いなく、地下牢から脱走した元・医師たちを追いかけて山中で殺すなど、そのやり方も、決してエドが納得できるものではなかった。
 以前にベンジャミンに聞いた隠し場所から、ラムの治療記録を発見するエド。ラムは元々軍医で、戦争中に治療所で苦しむ5人の兵士たちをみかねて銃で射殺し自分も命を断とうとしたが、弾丸が足りず自分は生き残ってしまった。それによって精神を病み、ここに連れてこられた患者だった。
 エドワードは地下牢に閉じ込められた婦長に話を聞く。ベンジャミン院長のやり方に疑問を持っていた婦長は、どうしていいかわからないエドに「直感を信じなさい。ラムを患者だと思って癒しなさい。」と語る。
 1900年を迎えようとしていた。広場で新年を迎える宴が行われていた。ラムの指令で飲み物を用意しに地下に降りた男をエドが襲い、エドは飲み物の中に毒を混入する。 
 カウントダウンが始まり、広場で全員が毒入りの飲み物に口をつけようとした瞬間、エドに襲われた男がはい出てきて「その飲み物を飲むな!」と叫ぶ。
 エドの反逆を知ったラムは、みんなが見守る前で、エドを電気ショックにかけようとしていた。縛られたエドの元に来るイライザ。助けを求めるエドに「あなたは誰?夫に頼まれて、私を連れ戻しに来たのね?」と疑念をぶつける。イライザの手には、イライザの写真が貼られたエドの懐中時計があった。元々、イライザを探してここに来たことがバレるが、エドは「大学の講義で君を見た。あの講義を学生として見ていたんだ。君を助けたいと思った。そしてここに来た。」と告白する。
 それを聞いたイライザはエドを助ける。ラムは、エドから「自分が殺した兵隊の写真」をみせつけられ動揺。そのままフラフラとどこかに消えてしまう。エドが探し当てた時には、過去の記憶がフラッシュバックしすっかり正気を失っていた。そんなラムを抱きしめるエド。「忘れるんだ。戦争は終わったんだ。」
 三か月後、婦長を責任者として病院は平静を取り戻していた。患者の中には、ふたりとも完全に自我を喪失した元院長のベンジャミンとラムもいた。
 そこに、イライザの夫がイライザの主治医である精神科医を連れてやってくる。「妻を連れ戻しに来た。」と告げるが、婦長は「イライザは三か月前に退院をした。エドワード先生の許可で。二人で出ていった」と言う。それを聞いた精神科医「それはおかしい。なぜなら、私がエドワード医師だからだ。」
 どうやら、エドワードは、本物のエドワード医師の患者で極度の妄想壁のある男で、すぐに自分を他の誰かだと思い込むと。大学の講義で、同じ実験台として待機しているときにイライザをみて恋をし精神科医に成りすましてここに来たと。
 ある街の精神病院。院長であるエドワードとイライザが楽しそうに踊っている。お互いを「ラム」「ラム夫人」と呼び合いながら。

つまりこんな映画(語りポイント)

 善と悪が二転三転する秀作。
 当初「悪いやつらから逃げる勧善懲悪の脱出劇かな?」と思い始めたときに、突如善悪が逆転して「あらら?こっちが悪だったか。」そのうち「やっぱこっちも悪じゃん。」それとも「全員が善?全員が悪?」もはや誰が正義かわからなくなり、最終的には「全員面倒くさい!」という結論に至る。

 「予想を裏切る」とか「意外な展開」なんて、すっかり使い古された宣伝文句も、ここまで見事にやってくれると爽快です。どんでん返しが何度かあり、さらに最後の最後でおまけ気味の「これでもか」などんでん返しつき。
 さすがエドガー・アラン・ポー原作。ミステリー老舗の凄み。

 そこで…
 なにが善?なにが悪?と考える時に、過去に人間たちが行ってきた主に精神外科といわれる治療方法について軽く知識をつけると、より理解しやすい。その辺、僕もまったく知識はなく「カッコーの巣の上で」などの映画で知った程度なのですが…。
 
 「史上最悪のノーベル賞」といわれたロボトミー手術。脳の前頭葉を切除し人格を奪うことで凶暴な人を「おとなしくさせる」手術。今思えば、よくそんなものが1970年代まで行われいて、ノーベル賞までとってしまった事実に驚くほかないです。
 さらにそれ以前は「頭蓋骨に穴を開けることで悪魔を追い払える」などと信じられていたり、精神病という「意味のわからないものへの対処法」として、今聞くとメチャクチャに思えることが実際に行われていたのですね。ちなみに頭蓋骨に穴を開ける治療?は、今でもトレパネーションと呼ばれ、「気持ちを幸福にする」と信じて研究している人もいるとか。
 この映画の中でも「女性患者の治療のために性的暴力に近い施術が強引に行われていた」とか「患者をスチーム風呂に入れて蒸す」とか「回転イスに乗せてグルグルまわす」なんて、どう見ても拷問にしか見えない治療シーンが出てきます。
 きっと実際にも、似たようなことが治療法として信じられ、マジメに行われていたのだと思われます。治療の方向は「とにかく大人しくさせること」で、無茶な治療法に朦朧とした患者が「ぼくはだれ?」と言い出したら「ウツが治って晴れやかな顔になった。」とされたりする。

 無知って恐ろしいです。
 それも、人間という種族をあげての無知。

 そんなことを考えると、現代で普通に進められている研究でも、いつか、それが大きな間違いであったと気づく日が来てもおかしくない。例えば、人工知能の開発やロボットとの共存…なんて、30年後には「あれは悪魔の研究だった」なんて言われてるかも知れないのです。

 現代に生きる僕らも、ある程度は意識的に猜疑心を持ち、常識とされていることを疑ってみることも大事だ。この映画の中で善と悪が何度も入れ替わるように、人間個人が考える善悪の基準もきっと、長い人生の中で移ろいゆくものだから。

 もうひとつ、印象に残ったセリフ(やりとり)があります。
 自身も精神病患者であるラムが考える治療方針は「患者にとって幸せな環境を作ってやること。」。それはつまり「患者を治療する気がない」といえばそういうことになる、ただ、治療と称して拷問にかけるよりは遥かに現代の方法論に近く人道的だ。
 「治療とは、元の正常な人間に戻すこと」と考えている主人公の若者に対して「今が幸せな患者を、苦しい現実に戻してどうする?」と言い放つ。

 確かに、真実を知らないほうが当人にとって幸せである場合もある。難しい問題であり、映画の中のラムを責めきれないのはそのためだ。

 やはり、この映画の中に悪はない。 
 ひとつの正義を通すと片方の正義が揺らぐ。
 それが悪にみえる瞬間がある、ただそれだけのことなんだ。


 …などと、めっちゃシビアに〆るはずが、


 クライマックスで、あまりのセンスのなさに耳を疑うほどの名セリフが出てきたので、紹介しておきます。

イライザ「正気じゃない私たちはここで生きていしかない。あなたは逃げて。あなたは正気だから。」

エドワード「いや、僕はもう正気じゃないさ。僕は、君に心を奪われすぎて正気を失くしてる。

イライザ「エドワード…」

 二人、キス。

 いやいや、なんでキス。

  そんなセリフでなぜキスさせてもらえるのか、意味がわからない。