基本データ・おススメ度
『バッファロー'66』
原題:Buffalo '66 1998年 アメリカ
監督:ヴィンセント・ギャロ
出演・ヴィンセント・ギャロ、クリスティーナ・リッチ、ミッキー・ローク、ベン・ギャザラ
おススメ度 ★★★★★(5/5)
アーティストでもあるヴィンセント・ギャロが、脚本・監督・音楽を手掛けたオフビート劇。「ダメ男が天使と出会ったことで幸せになる話」こんなわかりやすく温かい映画はそうそうない。いまだに根強いファンが多い良作。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
5年の刑期を終え釈放されたビリー・ブラウンは実家に戻ろうとするが、長年の溝がある両親には「政府の仕事で遠くまで行っていた」と偽っていた。さらに勢いで「フィアンセを連れて帰る」と嘘をつく。フィアンセどころかガールフレンドもいないビリーは、トイレを借りた建物の中のダンス教室でレッスン中だった少女レイラを拉致して、自分の妻のふりをするよう脅迫する。(wikipedia)
ムショ帰りの童貞男と、どこか理由ありっぽい女が、お互いの存在によって救われていく物語。
ビリー(ヴィンセント・ギャロ)が5年の刑期を終えて出所する。実家に電話をし「帰国して今は高級ホテルにいる。婚約者もいる」と嘘をつく。仕方なしに、ダンス教室にレッスンに来ていたレイラ(クリスティーナ・リッチ)を拉致、実家まで連れて行き「いいか、俺の妻のフリをしろ。」と脅す。
父のジミーも母のジャンも、息子のことなどどうでもよく、父は、若くてかわいいレイラには鼻の下を伸ばしてニコニコと接するのだが、ビリーには笑顔も見せない。気まずい雰囲気をなんとか取り繕ったのはレイラだった。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
粗暴な童貞男・ビリーの唯一の特技はボウリング。子供のころから通ったボウリング場に行く。ロッカーに貼ってある女性の写真をみて「昔の彼女だ。」というが、実はただ一方的につけまわしていただけの片思いの相手で、その後、ファミレスで本人と出会ってしまい嘘がバレる。
そんなビリーを、なぜかレイラも好きになる。ふたりきりでモーテルで過ごす。慣れない状況に童貞丸出しでドギマギするビリー。
しかし、夜中の2時になると、ビリーはどこかに出かけるという。不安になるレイラ。そもそもビリーが刑務所に入ったのは、ノミ屋との賭け試合に負けた埋め合わせに他人の罪を被ることになったため。ビリーは自分が負けたのはチーム・バッファローのキッカーだったスコットが八百長をしたせいだと思い込んでおり、その復讐を密かに誓っていたのだ。
引退したスコットが経営するストリップ劇場に銃を持って入るビリー。そこでスコットを射殺し、自分も自殺しようと覚悟をしていた。しかし、実際に引き金を引くことなく劇場を後にする。
ビリーは、レイラのためにココアとドーナツを買い、嬉しそうにモーテルに戻る。抱き合って眠る二人。
つまりこんな映画(語りポイント)
アーティストでもあるヴィンセント・ギャロが、脚本・監督・音楽を手掛けたワンマン映画。彼のほぼ実物大の姿を元にデフォルメしたら、そのままオフビート劇になった感じか。ビリーは粗暴で見栄っ張りなだけの典型的なダメ男。
ノミ屋の胴元役で、巨漢キャラになる一歩手前のミッキー・ロークがワンシーン出演している。カラダはすでに大きいが、顔はまだ細く二枚目時代の名残りがある。
クリスティーナ・リッチは「ブラック・スネーク・モーン」ではセックス依存症の女、「モンスター(2003)」では性同一性障害の女性を演じている。訳ありキャラで起用される理由は「鋭い目つき」ではないか。体型的には割とポッチャリさんであり、決して、か細い薄幸美人タイプの風貌ではないのだけど、目つき、顔つき、の鋭さに『どこか危うい感じ』が漂っている。
レイラは、劇中、その生い立ちに触れるセリフも一切なく、役柄についてほぼ何の説明もされていない。ただ、ボウリング場でいきなりタップダンスをはじめるなシーンや、そもそも暴力的でダメ男なビリーに魅かれる時点で、レイラもまたどこか訳ありで、決して何の問題もなく育った娘ではないと想像できる。
人間が人格的に壊れてしまう一番原因は「愛情の欠落」にある。
幼いころからの家庭環境や大人になってからの男女関係、愛情を受けるべき関係の中で、それが絶対的に足りない状況が人の精神を壊す。愛情の欠落がすべての悪の根源であることが多い。ただ、それは決して治癒しない傷ではない。すっかり壊れてしまっていても、誰かが深い愛情を注ぐことによって治癒する。
この映画が言いたいテーマも、ストレートにそれ。
すっかりひねくれた狂暴な男だったビリーが、レイラの存在により、人殺しと自殺を思いとどまり、その後、喜々としてココアとドーナツを購入。たまたま隣に座っていた男にさえ「君は彼女いる?いるなら、ドーナツをおごってやる。自分で食べちゃダメだぜ。彼女にあげるんだ。」などと楽しそうに話すまでに変わる。
「突然現れた天使の愛情によって破滅から救われた男」の物語。
ボウリングだけがウマいという設定も、恋愛経験ゼロのオタク感を良く表している。ヴィンセント・ギャロは本当にボーリングがうまいのだろう。ボールがぐい~んと曲がるプロ級の腕前。そして子供のようにガッツポーズをする。
カメラワークでいろいろ狙っている。
例えば、四人で座っているテーブルでの会話を、常に一方向からのショット(つまりスリーショット)で撮るとか、その効果のほどはさておき「面白いこと、斬新なことをやりたい」という意欲は伝わってくる。
最初の拉致から、ほぼ何の抵抗もなくビリーの言う通りにするレイラの振る舞いは、普通に考えたら「ありえない」のだけど、その予想外の行動も含め、この当時のオフビート系の映画には「なんかかましてやろう」「普通じゃないことやってやろう」という妙な色気があった。その時代感が、当時を若者として生きた人間にはたまらない。
この映画が、マイナーながらいまだに多くのファンに愛されているのもよくわかる。