基本データ・おススメ度
『手錠のままの脱獄』
原題:The Defiant Ones
1958年 アメリカ
監督:スタンリー・クレイマー
出演:トニー・カーティス、シドニー・ポワチエ
おススメ度★★★★★(5/5)
ラスト間際の汽車のくだり…「手錠でつながれていた二人」という設定を最大限に活かした名シーン。何度観ても号泣できます。鎖でつながっているのは白人と黒人。保安官のセリフ「追わなくてもいい。すぐに殺しあうだろう」。保安官が特にヒドイ人間なのではなく、それが当時の普通の感覚だったのかも知れない。いつの時代も、悪を作るのは『状況』だということ。すべての人に「ぜひ観て」と言える名作。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
護送車の中、歌を歌う黒人のカレン(シドニー・ポアチエ)にイラついたジャクソン(トニー・カーティス)は文句をつけ諍いになる。そんな時、護送車が事故を起こしてしまい、どさくさに紛れて2人は逃走する。
しかし、彼ら2人は長さ50センチの鎖(手錠)でつながれたままだった。
現場検証した刑事の会話。「白人と黒人をつないだのか?」「ちょっとしたジョークさ。」「追わなくていいだろ。すぐに殺しあうはずだ。」
2人は石をぶつけて鎖を切ろうとするが無理。「南部に女がいる。行こう。」というジャクソンだったが、カレンは「南になんか言ったら俺はすぐに殺される」と言う。
川を渡る。相手を助ける気は毛頭ないが、助けないと自分も一緒に流される。
2人は、憎しみあいながらも、自由を求めて走り出した。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ
実際はしがない労働者ながら、やたら自分は上の人間だと吹聴するジャクソン。「お前はなにをやったんだ?」カレンに聞くジャクソン。それが比較的的軽いものだと知って驚く。「それだけか?」。些細な事も含め、カレンが、黒人だというだけで常に理不尽な扱いを受けてきたことを知る。
ある小屋で追手につかまる二人。賞金稼ぎたちだった。「殺して連れていっても報奨金が出る。」リンチされそうになるが、相手の中にひとりの男が他の連中を一喝。「明日の朝、保安官に引き渡す」とされ、二人は柱に縛り付けれらた。
早朝、歌を歌うカレン。「どうかしてるぞ。奴らに殺される」というジャクソンに「この先20年ムショに入るつもりか?」というカレン。そこに、昨夜の男がやってきて「逃げろ」と縄を解く。彼の腕には手錠でこすれた傷が残っていた。2人を逃がした男はつぶやく。「逃げろ。走れ。逃げろよ。」
走り疲れた二人。草原でへたりこむ。やがて疲れからか喧嘩になる。「嘘つきが。またデカい話をするのか」カレンがジャクソンをなじる。手錠につながれたまま、殴りあう。鎖で首を絞めあう。もみ合っていると声がした。
白人の少年が猟銃を突きつけていた。手を挙げる二人だが、相手は子供、殴り倒し猟銃を奪う二人。「ずらかろう」というジャクソンだが、カレンは少年の傷を心配して抱き起す。しかし、目覚めた少年はカレンを見て怖がり、ジャクソンの後ろに逃げる。
「どうして手錠をしているの?黒人を護送しているの?」と聞く少年。
少年と一緒に彼の家に行く二人。家には少年の母がいた。母はジャクソンにだけ食事を出す。「彼の分も持ってこい」というジャクソン。仕方なさそうにカレンの食事も持ってくる母親。
ようやく鎖を切れた。ジャクソンは具合が悪く倒れてしまう。
賞金稼ぎたちの小屋に保安官が来て事情聴取をしている。誰が逃がしたか、リンチしたのか、等、聞かれるがごまかす。再び、犬たちに先導され2人を追う保安官たち。
ジャクソンの看病をしている女。「刑務所ってどんなところ?寂しくて死にそう?」と聞く女に「哀しみで埋め尽くすなんてバカげてる。憧れていることを想うんだ。船に乗る。新しい土地に行く。そんな希望を…。」と話すジャクソンに気がある女。髪をほどきジャクソンの手を自分の髪に誘う。愛し合う二人。
翌朝、女は「一緒に逃げよう。私も連れてって。納屋に車があるの。」と言う。エンジンがかかることを確認するジャクソン。女は「息子は途中のおじさんの家に預ける。二人で幸せに暮らそう」と提案するが、ジャクソンはカレンのことが気になる。そこにカレンが来る。女は「貴方は沼から逃げればいい。」と逃げ道を教える。それなら…と別の道を進むことにする二人。
カレンが先に出て行った。残ったジャクソンに「沼は底なし沼よ。」と本当のことを言う女。「どうして嘘をついたんだ。」と怒るジャクソンに「だって彼が捕まって全部しゃべったらマズイでしょ?」。激怒したジャクソンは女を怒鳴りつけて家を飛び出すが。出る間際、息子に猟銃で撃たれてしまう。
怪我をしながらも、沼のほうへ行きカレンの名を呼ぶ。「なんの用だ?」とカレンが出てくる。「丘にまわれば間に合う」と言うカレンに「俺は無理だ」というジャクソンだが「鎖でつながってるだろ」と何もない腕を見せるカレン。
逃げる二人。追ってが迫る。通りがかった汽車に飛び乗るカレン。怪我で飛び乗れないジャクソン。汽車の上から必死に手を伸ばすカレン。走るジャクソン。2人の手は一旦はつながるも、やがて離れてしまい、二人とも土手に転げ落ちる。
「これで刑期が伸びるな。」「仕方ないさ。」ジャクソンを抱きしめながらタバコに火をつけるカレン。追っ手がやってきたが、もはや二人は逃げようともせず、笑いながら歌を歌った。
つまりこういう映画(語りポイント)
映画というものは1950年頃にとっくに完成していて、その後の数ある作品なんて所詮は模倣に過ぎないのだな…などと、つくづく感じる名作がある。これもその一本。
まだリアルに人種差別が存在した頃のアメリカで、この映画を作る勇気って。
前半、鎖につながれながら殴り合っていた2人が、ラスト間際、走る汽車に飛び乗り手を伸ばしあう名シーン…あそこ、何度見ても号泣できます。もう鎖はない。でも、今度は自分たちの意志で手を伸ばしあう。「手錠でつながれていた2人、」という設定を最大限に生かして感動を呼ぶ。うますぎる。素晴らしすぎる。
全編、ひどい白人を登場させて対比としていますが、2人を逃がす元・服役囚のおっちゃんは良い人。「逃げろ。走るんだ。」とつぶやくところも良い。
薄幸なヒロイン登場、と思わせておいて、実はその女が一番ひどい奴だったと言うドンデン返しがありますが、ひどい奴という感覚は、あくまで現代の僕たちが映画を観た感覚に過ぎず、当時のヒドイ差別が実存した状況からすると、彼女の考えや行動が、ごく普通の感覚だったのかも知れません。
いつの時代も「悪を作りだすのは『状況』」ということだ。状況を考慮せずに、個々の行動だけをみて善悪を判断してはいけない。
とはいえ、僕ら日本人は、どうしても人種問題に疎い。なら、黒人と白人という設定を忘れて「立場の違う人間二人」に置き換えても、それでも映画が言わんとするテーマは成立する。
いつの時代にも、どんな状況にも、大人にも、子供にも、充分に訴求する。名作と呼ばれる条件のひとつではある。