基本データ・おススメ度
『白い記憶の女』
原題:THE GIRL IN A SWING
1988年 イギリス
監督:ゴードン・ヘスラー
出演:メグ・ティリー、ルバート・フレイザー、エルスベット・グレイ
おススメ度★☆☆☆☆(1/5)
これはギャグか、ギャグなのか。 ひどい映画ではありますが、突っ込みどころが満載すぎて、それなりに楽しめるので★1。
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◆目次
簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)
一目ぼれした女性と一週間くらいで結婚する男性。しかし、やがて彼女の周りで不可解なことが起こりだす。「彼女は何者なのか?」でひたすら引っ張る心霊っぽいミステリー。
ネタバレあらすじ
※今回は、あらすじ内に著者の個人的なつぶやきがところどころに混じっていますが、ご了承ください。気になる方は水色文字を無視してください。
骨董品のバイヤーであるアラン。アランは真面目な男で、若い女バーバラにムチムチ・スクール水着で「貴方が好き」と迫られても拒否る。もったいない。
しかし、取引先の会社で働くカリン(メグ・ティリー)に一目ぼれ。カリンは眉毛がえらい「への字」になっていて吊り目で声も良くわからない印象の女だったが、アランはいきなりメロメロになる。
一週間後にはイギリスに帰る予定だったアランは、焦ってカリンをデートに誘う。喜んでついてくる吊り目のカリン。カタツムリを食べて喜ぶ。
二人はデートを重ねるが、アランが「タクシーを呼ぶ」と言ってもカリンは必ず「バスで帰る」と言う。いつも帰るバスだから「いつもバス(alwaysバス)」と呼んでいると言う。知らんがな。
カリンはピアノのコンサートで涙を流す。そんな彼女の横でピアノなんて聞く気もなくカリンの横顔をガン見するアラン。
公園でハトが死にかけていた。人だかりになっていたが、カリンは近づきハトの首を一捻りして楽にしてあげる。周りの人たちも感心する。「このあたりで『こいつおかしい』と気付けよ」と思ってしまう観客の気持ちは、恋に落ちたアランには届かない。
一週間の滞在期間が過ぎイギリスに帰ることになるアランだったが、タクシーの中から、公演で友達といるカリンをみつけ、空港には行かず近くのホテルにチェックインする。カリンに声をかけまたデートが始まる
噴水のある広場で、シャツを脱ぎだし「あなたとみんなのために脱ぐわ」と屋外でブラジャーを見せるカリンに「魅力的だ。」などと一段と恋するアラン。いや、そんなことする女、絶対にやばいって。そいつ絶対おかしいからやめとけ、なんて僕の想いはやはり画面の中のアランには届かない。足を怪我したカリンは、アランに「足舐めて」と言う。舐めるアラン。舐めんのかい。
イギリスに戻ったアランに吉報。カリンから電話で「来週そっちに行くから、よろしく。」と。大喜びするアラン。
デートで「私を抱きたくないの?」と聞くカリンに、アランは紳士的に「そんなことするもんか。」と言う。えっとつまり「結婚前にそんなことをするなんて、イギリス紳士の僕が考えるわけないだろう。」という意味だ。カリンも「イギリス人なのね。」と言う。イギリス人に生まれなくて良かった。そういえばまだキスもしていないはずだ。でも足は舐めている。
「結婚しようそうしよう」ということになる。しかし、カリンはなぜか教会での結婚式を異様に嫌がる。なにか事情があるようだ。
ホテルに泊まる二人、カリンは「脱がせて」といい全裸になる。次に「ガウン着せて」といってアランにガウンを着させる。「おやすみ。」…っておい、そうかまだ婚約だからか、結婚しなきゃやっちゃダメなんだ。ことあるごとにロマンティックな誰かの詩の引用して愛を説くイギリス紳士。紳士って面倒くさい。
友達のアイデアでアメリカで式を挙げることになった。フロリダで式を挙げ、二人は結婚した。やっとベッドイン。やっとか。しかし「ごめん、立たない。」とギブアップするアラン。絶対、我慢しすぎたんだ、だからいざとなって緊張したんだよ。
アランの実家に行く二人。アランと両親の間の会話…「男女が結婚前にセックスするなんて、絶対にありえない。」「そりゃそうだ、するもんか。」「そうだよな、はっはっは」ドイツ人のカリンは「やっぱりイギリスの家庭なのね。」とコメントする。イギリスの家庭に産まれなくて本当に良かったと心から思う。
結婚披露パーティが行われ、近所の人や親せきにカリンが紹介される。パーティの最中、キッチンで密かにセックスをするアランとカリン。結婚するなりやりまくる。今まで我慢しすぎ。
骨董品のオークション。アランがカリンにセリを任せている間に、カリンは骨董界で有名な超・貴重な掘り出し物を格安でゲットする。それにより、二人はおカネ持ちになった。
そろそろ、いろいろおかしくなってくる。
野外、庭でセックスをしていた二人だが、アランが気がつくとあたりはすっかり夜で、ひとりで全裸で外に寝転がっていた。アランは夢を見ているようだったので、翌朝カリンに聞くと。「あなたがヤギ人間のように寄ってきて私をレイプしたのよ。そして疲れて一人で寝ちゃったの。」と傷だらけの背中を見せる。ヤギ人間のようにとか言われてわからない。「トランス状態だった、おかしい。」と焦るアランはやっと「カリンがおかしい」と気づきだす。気付くのが絶対的に遅いと思うんだ。
「キリスト教には、献身的な肉欲の概念がない。」面倒くさいセリフを言うカリン。
ベッドで「私たち、出会って二ヶ月ね。」…そうか、まだ二ヶ月なんだ!映画も後半に入っているけども、ここまでがたった二ヶ月で、そもそも二ヶ月で「一生愛する」「離さない」と言ってるわけですね。そう考えるとまだ単なる「恋愛初期症状やん。」と思った。いかん、あらすじを書いてるのだった。あらすじに戻る。
「妊娠した」らしい。喜ぶ二人だったが…、
アランがカリンの元・職場に電話したとき、なぜか受話器の向こうから小さい子供の声がする。「ママは?ママに会ったら伝えて」などと呼びかけてくる。混線だと思って無視したアランだったが、受話器を耳にあてたカリンは顔面蒼白になっていた。
教会にいくカリン。あれだけ教会を嫌がっていたのに、ここで教会に行く。神父が「キリストの肉をあげよう」とパンを配ったり「キリストの血をあげる」とワイン(?)を配ったりするが、カリンはワインを一口飲んで倒れてしまう。
家の周りで子供が暴れだす。姿は見えないが、あきらかに誰がいて庭を走り回ったり木を揺らしたりしている。二人で車で逃げる。
海につく。海辺で座り込むカレン。裸になる。野外セックスをする。と、海からめっちゃ大きいカレンの亡霊のようなものが迫ってくる。「あ~!」と叫んでカットアウト。
海辺にアランがいる。警察が来る。カリンは病院に運ばれたという。
病院では、医者が「過去に出産経験があるのはご存知でしたか?」と言う。「知っていたがそのコは結婚前に死んだ。」と答えるアラン。さらに聞くところによると、当時、彼女は子宮外妊娠で切開をしたが、なにかしらの事情で卵管が閉鎖してしまった。妊娠すると、最初は普通に見えるが、成長してくるといずれお腹が破裂する。性行為なんてもってのほか。…との説明を受ける。
アランが疲労でぐっすり寝込んでいるうちにカリンは死んだ。
死因が捜査され、アランは警察(裁判所?)の尋問を受けている。
アランは「彼女は最初から変だった。気まぐれでおかしかった」と供述する。いや絶対にそう思ってなかったくせに。
彼女が海辺で最後に言った言葉はドイツ語で「私は哀れみを持たない」だった。その言葉の意味を説明しろと言われたアランは「ドイツの無名の詩人の詩だ。女王が、こきつかった愛人にかける言葉」だと言う。
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つまりこんな映画(語りポイント)
前半は「結婚するまで決してエッチなことをしないイギリス紳士」をネタにしたギャグにしか思えません。また、そう割り切って散々突っ込みながら観るとちょっと楽しめます。
また、主演のメグ・ティリーが「美しい」とか「観ていて飽きない」なんてレビューも見かけるのですが、僕個人の好みに過ぎないですが、主演も含め俳優に魅力がないから見ていられなくなります。
メグ・ティリーの役は、表情、声、演技…すべてが、どこにでもいる面倒くさい系の女にしか思えず、むしろ最初にアランに告るムチムチ水着のバーバラのほうが普通に魅力的。個人的見解。
ところどころに、カリンが「普通の人間ではない」ことを匂わせる意味深なセリフや行動が出てくるのですが、意味深に思わせようという意図がアリアリで、その引っ張り方にイライラします。「緑の亀のクッション」「海から離れたがる」「教会を避ける」「いつも同じバスで帰る。」等等、なにかしら深い意味に解釈しようと思えばできそうなネタはある(意図的に入れてある)のですが、映画自体が面白くないので、考える意欲が出てきません。おそらく、聖書の言葉に絡めてなにかしらこじつけているのだと想像できます。
後半に進むと、キリスト教がらみのエピソードが出てきて、どうやら、キリスト教へのアンチテーゼなのかなんなのか、とにかく宗教っぽいテーマを言いたいであろうことはわかるのですが、日本人でかつ熱心なクリスチャンでもない僕には、実感として生活の中に普通にあるモノとしてのキリスト教がわからないので理解できません。勉強不足で申し訳ありません。
どうやら心霊ネタであることは前半から想像がつくのですが、最終的に「ただ変な女の話?」と思えてしまいます。
また、彼女が変になった原因が過去の妊娠や出産の哀しい経験?…なんてことだとしたら、男性である僕にはコメントすることも茶化すことも何もできないす。
予想外の結末…でもないし、予想通りにやりきってくれるわけでもない。予想外だったのはメグ・ティリーのオッパイの形くらい。
それでも、もし、当時のメグ・ティリーに「つきあってください。」と言われたら喜んでつきあいます。