基本データ・おススメ度
『オリエント急行殺人事件(2017)』
原題:Murder on the Orient Express
2017年 アメリカ
原作:アガサ・クリスティ―
監督:ケネス・ブラナー
出演:ケネス・ブラナー、ジョニー・デップ、ミシェル・ファイファー、デイジー・リドリー、ジュディ・デンチ、ウィレム・デフォー、ルーシー・ボーイントン、ペネロペ・クルス、レスリー・オドム・Jr、デレク・ジャコビ、トム・ベイトマン、マヌエル・ガルシア=ルルフォ、ジョシュ・ギャッド
おススメ度★★★☆☆(3/5)
1974年の不朽の名作が、CGや豪華セットを駆使して再生された。あの「驚愕のオチ」の衝撃度はさすがに落ちてしまうだけに、どう作るかと興味がありましたが、推理劇、それも超有名作のリメイクとしては充分に及第点だと思います。まだまだやりようはあったとも思いますが…。ひとまず映像がきれい。それ以上にデイジー・リドリーの瞳がキレイ。
<広告>
◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
1935年。エルサレムで事件を解決した名探偵エルキュール・ポワロ(ケネス・ブラナー)は、朝食のふたつの卵の大きさに拘り、右足で牛の糞を踏んだら、バランスを取るために左足でも糞を踏むほど、バランスに拘る男だった。
「この世には善と悪しかない。その中間はない。」と言い切る。
休暇を取るつもりだったポアロは、急遽オリエント急行に乗車することになったことで、次なる事件に巻き込まれることになる。
駅で、旧知の鉄道関係者・ブークに会う。列車に乗り込んでくるのは、伯爵夫人など高貴な人たちで、その中には、資産家ラチェット(ジョニー・ディップ)もいた。
ラチェットは絵画などの模倣品を売りさばいたり悪事で資産を築いてきた。そのために敵が多く、常に脅迫状が届く身。食堂車でラチェットはポアロに身辺警備を頼むが「あなたの顔が好きではないから」というモノスゴイ理由で断られる。
夜、ハバード婦人が車掌に「部屋の中に男が忍び込んできた。」とクレームをつけている声を聞く。
そんな中、大雪崩にあったオリエント急行が停車を余儀なくされる。先頭車両は崖に落ちる寸前まで傾き、後続の車両はちょうど陸橋の上で停車した。責任者のブークは「すでに処理班がこちらへ向かっている。その間、暖房と食事は保障する。」と告げ乗客を安心させる。
停車中の夜、事件が起こった。ラチェットが何者かに殺害された。ナイフで12箇所をメッタ刺しにされたラチェットの遺体の周りには「Hのイニシャルつきのハンカチ」「灰皿の中で燃やされていた紙」「車掌の制服のボタン」…等、手掛かりがたくさんあった。
ブークから捜査を依頼されたポアロは、一旦は「休暇中だから」と断るが、ブークが「あなたが正義を導き出さなければ、警察はきっと間違った人を犯人に仕立て上げ絞首刑にするだろう。例えば、肌の色だけで(黒人の)アーバスノットさんあたり…。」と言うと、理不尽なことを嫌うポアロは「わかった。やる。」と承諾する。
密室状態となったオリエント急行の中。容疑者は乗客12人+α。
この中に犯人がいる。果たしてポアロは「正義」と「悪」を導き出せるか。
==以下ネタバレ==
<広告>
ネタバレあらすじ
列車はちょうどトンネルに入る直前で止まっており、トンネルの入口あたりは作業員たちの拠点とされた。ポアロはそこでランプを使って灰皿の中にあった灰を復元する。そこに書いてあった文字からラチェットの本名と素性を知る。
ラチェットは5年前の有名な事件「アームストロング事件」の犯人だった。アームストロング家の幼女・デイジーが誘拐され、アームストロング大佐が身代金を払ったにも関わらず、デイジーは遺体で発見され、妊娠中の妻はショックのあまり、おなかの中の子供と共に命を落とした。大佐も自殺。そして、濡れ衣を着せられたメイドのスザンヌも自殺。ただ金銭欲しさのために少なくとも5人の人間の命を奪った極悪事件だった。
ポアロはひとりひとりに尋問をする。何人か、アームストロング家と関わりのあった人間がいた。高齢のドラゴミロフ公爵婦人は、死んだ妻の母、女優のリンダ・アーデンと親友で、殺された幼女デイジーの名づけ親でもあった。リンダは今は行方不明だと云う。「偶然にしてはできすぎとおっしゃる?」と聞く婦人に「いえ、偶然はあるものです。」と答えるポアロ。
ドラゴミロフ婦人の世話役である女性シュミットが「違う車掌さんがいた」と証言したことで、ポアロたちは色めきたつ。「他の車掌?別の男が列車内にいたのか?」殺害時に使ったと思われる車掌服と合鍵がみつかる。となると、犯人は殺害後にどこかに逃亡したということになる。しかし…その推理は、ポアロにとって納得のいくものではなかった。
ラチェットの秘書マクイーンは、。ラチェットのカネを横領していたが「俺がカネづるを殺して何の得がある?」と説得力のある言葉で言いかえす。しかし、マクイーンには別の疑惑があった。マクイーンの父は、アームストロング事件を担当した検事で、メイドのスザンヌを自殺に追いやった張本人とされて、世間から非難を浴びていた。
デブナム婦人は、黒人のアーバスノット医師と恋仲にあり、列車に乗車する前、イチャイチャしようと近寄ったアーバスノットに「まだよ。すべてが終わってから。」と言っていた言葉をポアロに聞かれていた。「なにが終わったら、なんですか?殺人が終わったらという意味では?」とポアロに問い詰められるが「黙秘する権利はあるわよね。」と口を閉ざす。
しかし、別の場所で、アームストロング家の家庭教師だったことを指摘され「貴女が殺したのでは?」と強い口調で責められたデブナム婦人は、とうとう「ラチェットなんて男。殺されて当然よ」と、まるで自供したように言い放つ。
我が意を得たと思ったポアロの肩口を銃弾がかすめる。デブナムを助けに、アーバスノットが銃をかまえていた。アーバスノットは、かつてアームストロング大佐と軍で一緒だったスナイパーだったことを自ら語り「彼女がひとりでやったのではない。俺がやったんだ。」と自供する。さらにポアロに襲い掛かるアーバスノットだったが、駆け付けたブークに取り押さえられる。
しかし、ポアロは「一流のスナイパーが至近距離から弾丸を外すはずがない」と、アーバスノットに(自分への)殺意はなかったと推理。自供を信用しなかった。
ハバード婦人が何者かにナイフで襲われた。犯人はまだ車内にいる可能性が高まる。
線路の復旧作業が完了し、いよいよ走り出せるようになった頃…。
ポアロは、トンネルに全員を集めて「2つの答え」を語りだす。一つ目は「何者かが列車に忍びこみ、ラチェットを殺害して逃亡した」というもの。しかし「それはあまりにも辻褄が合わない」とブークが納得しない。
ポアロが「世の中には欺けないものがふたつある。神と、名探偵ポアロだ」と宣言すると「もうひとつの答え」を語りだした。
それは「全員が犯人」というものだった。
すべての人間にアームストロング家との因縁があり、同時に、ラチェットを殺すに充分な動機があったことを順に暴くポアロ。
遺体の12の傷は、12人が順にナイフで刺したものだった。だから、傷の深さや方向がめちゃくちゃだったのだ。
ポアロが乗ってくるという予想外の展開で、彼らは焦りごまかすための小細工をしたことで、結果的に、矛盾のだらけの不可解な状態になっていたのだった。
ハバード婦人は、アームストロング家の妻の母、女優のリンダ・アーデン本人でドラゴミロフ婦人とは親友。つまり殺された幼女デイジーの祖母。事件に最も近い存在であり、今回の計画の首謀者だった。ハバードは「私の単独犯ということにして。他のみんなに罪はない。」と言う。
ポアロは拳銃を12人の前に置き「私の口を閉ざしたいならそうすればいい。私を撃て」と言う。銃を手にしたハバード婦人は、ポアロではなく、自分の首筋に向けて引き金を引いた。…しかし、弾丸は入っていなかった。
列車は次の駅に向って走り出している。誰もが無言で食堂車にいる。
駅につき警察と話したポアロはみんなの前に戻ってきて言った。「世の中には善と悪しかない。その中間はない。でも、今回ばかりはそのバランスを崩した。私にはあなたたちを裁けない。」
「警察には一つ目の答えを話した。警察も納得した。みなさんは自由だ。私はここで降りる。」
ポアロが降りたオリエント急行は再び走り出す。
ポアロは、次なる事件解決のため、ナイルへ向かった。
つまりこういう映画(語りポイント)
大筋の展開は旧作通り。人物設定やセリフに細かい変更は多々。舞台設定として表面上変わったのは「列車内だけでなく、その周辺に降りる。」「アクションシーンがある」の2点。
脚本上、印象が強かったのは、ポアロの「グレーは許さない」という徹底した完璧主義な性格をしつこく描いていた点。
「世の中には善と悪の二種類しかない。その中間はない」と言い切るポアロを描いておいて、本作の根幹である「善と悪は表裏一体」「法律が正しいとは限らない」「事実と真実は違う」というテーマと相反させている。
それ自体は原作からある構図ではあるし、変更点とはいえないまでも、そこまで強調する必要があったのか?と疑問に感じてしまったので、どう解釈すべきかを考えてみたところ…。
今回は「ポアロの敗北」を描きたかったのではないか。ポアロを反面教師な位置に置くことが本作の意図かも知れない。
なんでも杓子定規で物事を考えるポアロ。冒頭で、卵の大きさを物差しで測って満足するまで持ってこさせるシーンがありますが、卵=法律・規律の比喩。
そんなポアロが「世の中は杓子定規では測れない。」「事実だけ見ている限り、真実は導き出せない。」ことを思い知らされる映画、ということになる。
「この世で欺けないものがふたつある。神とポアロ様だ」とまで豪語する自信過剰なポアロを負けさせるというのは、おそらく、ポアロが劇中で「いままではすべてに自信があった。ありすぎるほどに」と自戒していることからわかるように、偏屈で自信過剰な男に、今回の事件が「なにかを教えた」という構図。
ポアロがその頭脳で解き明かした「事実」よりも、はるかに大事な「なにか」があるということ。それは、ポアロにとって「負け」を意味する。
前作は、ポアロの「裁き」によって、12人が助けられた印象だっただけに、随分と印象が変わった。
つまり「人間は神にはなれない」ということ。
宣教師役のペネロペ・クルスが最後にポアロに言った言葉…が、すいません、記憶から消えていて思い出せないのですが、意図としては「人間が人間を裁く難しさ」を言っていたような気がします。DVDが発売されたら確認します。
種明かしシーンで12人を横並びにして、あきらかに「最後の晩餐」をイメージさせたのも、いかにも意味深。ポアロは裏切者ユダを探そうとしたのか、自分がキリストになろうとしたのか、そのあたりは定かではない。
「神と人間」「罪と罰」
総合的に、難しい推理劇のリメイク、しかも超有名作のリメイクとしては、充分に及第点ではないかと思います。
また、欲をいうなら「ポアロのシーンばかり多すぎ」。それは旧作も同じですが、せっかくの豪華キャスト…旧作とは違うシーンを増やしてでも、監督・主演であるポアロ以外の、他のキャストをもう少しフューチャーさせても良かったのではないか?とも思います。個人的妄想ですが。
それにしても、デイジー・リドリーの眼が美しすぎて引き込まれそうになりました。あんな美しい顔の人が電車の前の席に座っていたら、きっと3分くらい凝視してしまい、怪しい変態と誤解されてしまうと思います。それくらい美しかった。
▼本作鑑賞前に書いた1974年版「オリエント急行殺人事件」のレビューです。