基本データ・おススメ度
『女は冷たい嘘をつく』
原題:Missing: Sarajin Yeoja
2016年 韓国
監督:イ・オンヒ
出演:オム・ジウォン、コン・ヒョジン、キム・ヒウォン、パク・ヘジュン
おススメ度★★★☆☆(3/5)
ありがちな脚本ではあるけども、主演の二人の演技が素晴らしく、心に響いてくる映画です。やはり、この世で最も強い愛は母から子への無償の愛。そして母は強い。「こんなのやらせたら天下一品」の韓国映画。さすが。
<広告>
◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
テレビの宣伝部で忙しく働くイ・ジソン(オム・ジウォン)は、半年ほど前から幼い娘のベビーシッターとして、中国人のハンメ(コン・ヒョジン)を雇っていた。
娘・ダウンの親権は、経済的な理由から離婚後の調停で夫側とされていたが、ジソンは判決を無視してダウンを渡すことを頑なに拒んでいた。
ある日、ベビーシッター・ハンメと娘・ダウンの姿が消えた。
マンションの前をうろうろしていた怪しい男・パクを問い詰めたところ、パクはハンメの知り合いで、ハンメがベビーシッターになる前に働いていたという売春宿に連れていかれる。「なにかあったら連絡を」と携帯番号を教えたジソン。
表にでるなり、すぐにかかってきた電話は「娘を誘拐した。今からATMに行って言う通りに送金しろ。」との脅迫電話。パニックになり、あわててATMから有り金を送金したジソンだったが、それは単なる振り込み詐欺だった。
警察に行き、事情を話すジソンだったが、そこに現れたのは夫の母。「ダウンを渡したくないから嘘をついている」との義母の主張を警察も弁護士も信用し、ジソンの言う事は信用されない。
あきらめたジソンは、警察を抜け出し自分で娘を探そうとする。
次第に、ハンメの「名前」「外国人登録証」等があらかた虚偽であったことがわかってくる。
ベビーシッター・ハンメは何の目的で娘を連れ去ったのか?
もはや半狂乱で娘を探し回るジソン。
==以下ネタバレ==
<広告>
ネタバレあらすじ
以下、真実を探るジソンたちの現在に、主にハンメの過去に関する回想が絡みながら、時間軸を前後させつつ映画は進む。
ハンメの本名はキム・ヨン。四年前に中国から韓国に来て外国人妻としてソッコという男と結婚した。
きっかけはソッコの近所に住む夫婦で、その妻もまた外国人妻だったため「同じ境遇の話相手が欲しい」と、韓国語教室で同じクラスだったヨンをソッコに紹介したのだった。しかし、ソッコと母はひどい人で「跡取りも作らずに逃げられたら困る」と、ろくに韓国語も習わせず妊娠させ子供を産ませた。
子供・ジョインをヨンは愛したが、ジョインは新生児肝炎という病気になってしまった。難病だがドナーがいれば助かる望みはあった。しかし、ソッコと母は「おカネがもったいない。死んだらまた作ればいい」と病院から強引に連れ戻してしまう。それで、ヨンはジョインを連れて家出し、ソウルの病院に入院させ売春宿で働くようになったのだった。
警察にみつかり署に連行されたジソン。その横で、ソッコの母が「息子が行方不明になった」と騒いでいる。ソッコは、車ごと燃やされ何者かに殺されていた。
ジウンは、入手したヨンの娘の写真から、当時、ヨンがジョインを入院させていた病院名を知る。夫が働いている病院だった。
病院を捜査する警察。ヨンがジソンの夫の身分証明書を持っていたことを不審に思った警察は夫に事情を聞くが「まったく覚えていない」と言う。ヨンのことは、医者たちは覚えていなかったが他の患者や看護師は良く覚えていた。ヨンがジョインのためにいつも歌っていた子守歌を聞いていたからだ。
ジョインの入院費の支払いが滞っていた。月曜までに払わないと強制退院させられる。ヨンはパクに泣きつき、闇の組織に自分の臓器を売る。
パクは、カネのためならなんでもやる男だったがヨンのことを好いていて、組織から受け取ったカネを握りしめたパクは病院に走る。しかし、すでにヨンとジョインは強制退院させられていた。月曜までという約束を反故にされ追い出されていたのだ。
ヨンは泣きわめいてすがったが、韓国国籍がないことも不利に働き、半ば暴力的に廊下に叩き出される。
その日、ジソンと夫は娘・ダウンを病院に連れてきていた。急病になりベッドが必要だったが空きがなく、夫はパソコンを確認しながら「このジョインという子供、入院費未払いじゃないか。すぐに追い出せ。」と指示を出した。自分の子供を優先的に入院させるために。
ジョインを退院させたのは、間接的とはいえ、ジソンと夫だったことになる。ベッドに自分たちの子供を寝かせ嬉しそうに笑っているジソンの横顔を、少し離れた場所から恨めしそうに見ていたヨン。
ヨンの娘は、その後、自宅で容態が悪くなった。子供を抱き、病院を探して夜道を走るヨン。その間にジョインは死んでしまった。夜道で号泣するヨン。
それらの事実を知ったジソンは苦しむ。我が子の安否と、同じ母親であるヨンへの複雑な想いが交差して。
ジソンの自宅で捜査員が待機中、冷蔵庫の奥から乳児の遺体がみつかる。遺体はジョインだった。
パクが警察に捕まる。取り調べ室に入ったジソンは「なんでもするから、娘を返して」と土下座する。「知らないよ」と突っぱねるパクに「ダウンに手を出したら殺してやる、私がどんな手を使ってでも殺してやる」と叫びながら泣く。
パクの供述によると、
売春宿にヨンを連れ戻しにきた夫・ソッコ殴り倒したが、ヨンが「娘の父親よ。この人の助けがないと娘の治療が進まない。」と止める。
複雑な表情で見送ったパクは、そこからヨンと会ってなかったが、一か月前、まるで別人の表情で現れ「夫を殺して欲しい。」と頼んできたという。報酬は高いぞというパクに「今、子守りをしている、その子供を連れてくる。親は医者。脅せばおカネを取れる。脅すか、売るか、好きにすればいい。」と言った。
依頼通りにソッコを殺したパクだったが、ヨンは約束を破って消えたという、そこからは知らないと。
しかし「子供用のパスポートを欲しがっていた。故郷へ帰って子供と一緒に暮らしたいと言っていた」との情報にジソンと警察は色めき立つ。
中国行きの旅客船。出発前に警察が包囲し、船内の捜索が始まる。ジソンは、甲板でダウンを抱き上げているヨンをみつけた。追う。逃げる。
船首に追いつめられたヨンは、ダウンを抱いたまま「海に飛び込む」と叫ぶ。「やめて」と叫ぶジソンは、自分が海に身を乗り出し「私が死ぬ。だからダウンは助けて。お願い。」と叫ぶ。ジソンがヨンにみせたのは、ヨンが子供の名前を刺繍していたハンカチ。
なにかを思い出したように子供を警察に渡したヨンは、そのまま自分から海に落ちる。ジソンが飛び込む。
海中、助けようと手を差し伸べるジソン。二人の手は一旦はつながれたように見えた…が、ヨンの手は力を失くし、ジソンの心の叫びも虚しく、ヨンは海中に沈んでいった。
つまりこういう映画(語りポイント)
そりゃ、ありがちな脚本だけど、あらかた先は読めるけども。子を想う母親の姿、二人の女優の鬼気迫る演技をこれでもかと見せられたら、理屈ぬきに感動できる。
オム・ジウォンもコン・ヒョジンも、どちらかといえばドラマ女優さんなのですね。オム・ジウォンは「妻は二度殺される」でも子供のために必死のパッチになる妻を演じてました。そのテの役はハマり役ぽい。ちなみに二人とも身長が高い。170以上。
監督もドラマ畑?の女性監督、らしい(良く知らない)。
序盤、仕事と育児に追われて荒れ放題の部屋など、ジソンが決して良く出来た母親ではない姿が描かれる。対比して、心が優しく子供思いの中国娘・ハンナの姿が強調され、見方によっては、ハンナ=良い母親、ジソン=悪い母親、という構図に見えなくもないけど、それは間違いで、ここは、立場の違いや環境の違いを描いているに過ぎない。
立場がどう違えど、環境がどうであろうと、母親の子供への鉄壁な愛情に疑いの余地はない、と云う映画の着地点に向けて、まず観客に刷り込みたい構図なのでしょう。
彼女ら二人が「同胞」であることは、早い段階で想像がつく。
資本主義、格差社会、あるいは男尊女卑、あるいは国籍、と云った「どうしようもない外敵」と戦っている同志。経済力を盾に子供の親権を取ろうとする夫、外国人妻を嫁にした夫、社会との戦い。
それぞれの夫や家族、さらには弁護士などの周囲の「普通の人たち」ががひたすらヒドイ人間に描かれているのだけど、反面、「悪い人たち」のパクが、悪い事をしながらもおカネを持ってヨンの元へ走る姿が描かれていたりして、この映画の鑑賞法=「罪を憎んで人を憎まず」ですよ~と知らせてくれている。
中島みゆきさんの「君が笑ってくれるなら僕は悪にでもなるぅ~」ですよ。
愛が、善悪の境界線さえ飛び越す瞬間の凄み。そこがこの映画の醍醐味。
半狂乱になりながら娘を探し続けるジソンは、ひたすら応援したくなるわけだけど、ここに感情移入できない人っているんだろうか?
卑怯といえば卑怯な題材です。「母と子」なんて。でも…
題材がどう脚本がどうではなく、やはり、女優ふたりの圧巻の演技合戦を堪能するのが、この映画の正しい鑑賞法なのでしょう。
ここは素直に泣いておこう。
▼こちらはバイオレンスな韓国映画「殺されたミンジュ」