基本データ・おススメ度
『ヒットマン:インポッシブル』
原題:Kills on Wheels
2016年 ハンガリー
監督:アッティラ・ティル
出演:サボチ・チューローチ、ゾルタン・フェンベシ、アダム・ファケテ、モーニカ・バルシャイ、デュシャン・ビタノビッチ
おススメ度★★★★☆(4/5)
車椅子の殺し屋の話、と聞いて想像するテイストとは全然違う。アクションもあるしハードボイルド・タッチな部分はめちゃくちゃカッコいいのだけど、実は、障害者の青年の心情を描いた物語。最後の最後にどんでん返し気味のネタバレがあるのですが、そこに向けての大胆だけど気づきにくい伏線が巧い。音楽もかっこいい。秀作です。
相変わらず、邦題と日本向けポスター&キャッチコピーは最悪。
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◆目次
あらすじ(ネタバレなし)
三年前に事故で下半身不随になった元・消防士のルパゾフは、車椅子生活を送りながら、ギャングのボス・ラドシュからの依頼を遂行する殺し屋。障害者であることで相手が油断すると云うのがラドシュの狙いだった。
車椅子の青年二人、ゾリとバルバ。ゾリは先天性の下半身障害で生まれながらに車椅子。出版を目指してコミックを描いていた。バルバはそのパートナーのような存在。二人でコミックを売り込んでいたが、なかなか芽が出ない。
とある場所で二人と出会ったルパゾフは殺しの現場に二人を連れていき、以降、二人はルパゾフの仕事を手伝うようになる。
ルパゾフは昔の彼女に未練があった。元カノは今でもルパゾフを看病してくれているが、ある日、他の男と婚約したと告げられる。途端に暗い顔になるルパゾフ。
ゾリは手術を拒んでいた。その理由は母の離婚後、17年も会っていない父親への反抗でもあった。事情があって国に残れなくなった父親は母と別れてドイツに移住したが、ゾリは、父が、障害者である自分の存在が嫌になり、母ともども自分を捨てて逃げたのだと思っている。その父が送ってきた手術費用を意地でも使いたくないという思いもあった。父はドイツで再婚し俗福な暮らしをしているらしい。
二人が仕事を手伝っていることが、ボスのラドシュにバレた。危ない仕事を任せているのに一般の青年に話すとは何事だ、ということ。ラドシュは、ルパゾフに二人を消すように指示する。
ルパゾフは二人を連れ出し、湖畔に釣りに出かけた。
==以下ネタバレ==
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ネタバレあらすじ(ラスト以外)
湖で、脚の悪い二人を落とすルパゾフ。一旦はその場を去ろうとするが、思い直し、二人を助ける。「冗談のつもりだった」という言葉を二人は信じる。
三人は知人宅を借りて女を三人呼び、ささやかなパーティをする。楽しそうな三人。
ラドシュには「二人は湖に落とした」と嘘をつき「もうこの仕事はやめたい」と言うルパゾフだったが、多額の報酬に釣られ「これが最後の仕事」と決めた仕事に向かう。その夜、ラドシュはゾリとバルバが生きていることを知る。
依頼された殺しを遂行するルパゾフ。ゾリたちもいつものようサポートをするが、逃亡の際、なぜか警察が追ってくる。誰が通報したんだとゾリたちを疑ったルパゾフは「もうお前らとは二度と会わない」と言って去っていく。
報酬を渡すと言われルパゾフがラドシュに連れていかれたのは、どこかの廃墟だった。そこで首に縄をかけられ、自殺を装い殺されそうになる。なんとか自力で脱出するルパゾフ。
二人の身が危ないと考えたルパゾフは密かにゾリたちを呼び出し、逆に、ラドシュの暗殺計画をたてる。車にGPSを仕込み、まずは自宅をつきとめる作戦だった。
元カノの結婚式に出席するルパゾフ。「車椅子が俺ひとりじゃカッコ悪いだろ」とゾリも誘った。ルパゾフは、そこで酔って悪態をつく。暴言を吐いたり元カノに迫ったりする姿に怒った新郎側の男たちに裏の駐車場でボコボコにされるが、そこに現れたのは銃を持ったゾリだった。ビビる男たち。
二人は結婚式場から追い出されるが、タクシーの中で肩を抱き合う。「飲みなおそう。」
ラドシュの自宅をつきとめた三人は、夜に宅内に乗り込む。ドーベルマン三匹を護衛につけるラドシュは、犬に襲い掛からせようとするが、ルパゾフは置いてあった消火器を撃ち、その煙で犬たちを蹴散らす。
ラドシュにナイフで腹を刺されたルパゾフは「今だ、撃て!」とゾリに叫ぶ。ゾリは銃でラドシュを撃った。
その場で息絶えるルパゾフを置いて去っていくゾリ。
ラスト・ネタバレ
ドイツで家族と過ごす父・ルパゾフの元に息子・ゾリから完成したコミックが送られてきた。ゾリが知っている父は25歳の時のひげ面の写真一枚だけ、その姿をモデルに、コミック「車椅子の暗殺者」を完成させた。わだかまりや憎しみは消えていた。父が望むなら今後は会ってもいいと思っている。
ゾリは手術を受ける決断をした。ベッドに横たわり手術室に向かうゾリ。
四か月後「車椅子の暗殺者」をコンテストに出品しているゾリとバルバ。惜しくも賞は逃したが、女性の編集者が「とてもいい。興味がある」と言ってくれた。二人は、元気そうに笑いあった。
つまりこういう映画(語りポイント)
全編に漂う絶望感が重い。嫌いな人は嫌いでしょうね、これ。
重いけど、ありがちなお涙頂戴は一切ない。絶望の中でささやかな楽しみをみつけて生きる三人の友情を明るく描いている。明るくといっても、やはりそこには一定の暗さは消えずにあるのだけど、でもそれは、必ずしも障害者たちが主人公だからという理由だけではない。それもまた、僕らにとってはなにかのメタファーであり、日常の中に恒常的に存在する「一定量のやりきれなさ」あるいは「不安」。
きっと誰もが持ち合わせている刹那の想いを刺激するのは、つまりこの映画が「実は青春映画」だからだと思う。
ルパゾフの場合は先天的ではなく事故による怪我。それは、過去の失敗であり自らの行いが招いた現実。三年後には歩く!と前向きに生きつつも、現状にグレていて、元カノの結婚式で悪態をついたりしてしまう非・紳士的振る舞いは完全に子供。「大人になんかなるもんか」な青春映画そのものだ。
そしてラスト。あらびっくりの夢オチ。
車椅子の殺し屋・ルパゾフは、ゾリが空想の中の父親をモデルに書いたコミックだった。冒頭でいきなり、ゾリがルパゾフの(見ていないはずの)刑務所からの出所シーンを描いていたり、劇中でもゾリが知らないはずのシーンの絵が描かれていたりと、かなり大胆な伏線はあるのだけど、これが意外にきづきにくい。
そういえば、ルパゾフの登場シーンは、ゾリたちが遊んでい消火器の煙の中から浮かび上がるように出てきたし、元・消防士というつながりも重要なヒントになっている。
「父親」というのはゾリにとって「自分のルーツ」であり、生まれながらに障害を背負ってきた「生い立ち」「運命」「宿命」をストレートに表した比喩でもある。
現状や宿命を嘆いて生きるか、あるいは、すべて受け入れて未来へ歩き出すか。ということ。
設定だけでなく、一番大きなテーマさえ、最後の最後までやや気づきにくく作ってあるところがスゴイ。いや、全然早く気付いたよそんなもん、という人がいたらゴメンナサイ。
題名やキャッチコピーからは想像しにくい、いろんな色を持ち合わせた秀作。
それにしても邦題「ヒットマン:インポッシブル」はヒドイ。
「車椅子の殺し屋」でいいやん。