【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

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3分で映画『マッド・プロフェッサー 悪の境界線』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『マッド・プロフェッサー 悪の境界線』
原題:Asesinos inocent

英題:Innocent killers
2015年 スペイン
監督:ゴンザロ・ベンデーラ
出演:マキシ・イグレシアス、ミゲル・アンヘル・ソラ、ルイス・フェルナンデス、ハビエル・ヘルナンデス、アウラ・ガリード
  おススメ度★★★☆☆(3/5)
 自殺志願の大学教授から、単位と引き換えに「私を殺してくれ」と依頼された学生たち。「死ねない男」と「殺せない男たち」。絶望が否定され続けることで自動的に希望が見えてくる構図は面白く、ブラックだけどハートウォーミングな傑作。ダメダメな部分も目立つ脚本ですが、僕はかなり面白かったです。邦題はまったく的外れ、題名で食わず嫌いするには惜しい作品。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 大学の講義室。エスピノーサ教授の心理学講義。「苦しみは、どんな手を使ってでも排除しなければならない。」「苦しみを消せないなら、苦しんでいる人間が消えるしかない。」

 大学四年のガラルダは、単位が足りず留年の危機。評価に納得できないガラルダは教授の元へ直談判に行く。評価が低いのはカンニングをしたからだと言われ落ち込むが、教授はパソコンでガラルダの単位を4から5に上げ「こんなもんなんとでもなる。俺の裁量次第だ。ただ条件がある。今夜10時にウチに来い。」と自宅の住所を知らされる。

 夜、言われた通りにマンションの部屋を訪ねたガラルダに、教授は「自分を殺してくれ」ともちかける。そのかわりに単位をくれるという取引。教授は、自分が起こした交通事故で妻を四肢麻痺にしてしまっていた。事故の後悔や妻の看護生活に疲れ切った教授は「自殺を試みたが、勇気がなくて失敗してしまう。だから、君に殺して欲しい。」と頼む。

 教授が「死にたい」と願う理由がもうひとつあった。保険金。自分が死んだら、妻に多額の保険金が支払われる。その大金があれば妻は手術ができる。自分の身を挺して妻を助けたい想いがあった。

 ガラルダは「死ぬなんて良くない。」「とにかく今日は帰ります。」と、その場から逃げ出すが…。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 外に出たガラルダを待ち受けていたのは借金取り三人組。ガラルダはお金に困り闇金に手を出していた。ボコボコに殴られ「あと3日待つ。返せなければお前の父親を殺す」と脅される。

 友人が主催するパーティに顔を出したガラルダ。酒を飲んでいると、なんとそこに教授が現れた。事情を知らない他の学生たちは「教授!よくきてくました。」と歓迎する。ガラルダが借金取りにボコられる姿を窓から見ていた教授は、自分殺しの報酬として、単位だけでなく、妻の手術代として貯めていた現金を提示する。手術代は保険金が出れば問題ないからと。

 教授は、ガラルダの仲間たちと飲んでいる最中に「死にたいんだ。」「今の苦しみから逃れたいだけなんだ!」と口走り、その場で酔いつぶれて寝てしまう。ドン引きの学生たち。

 ガラルダは悪友三人を巻き込むことにした。自分が受け取る報酬のことは伏せながら、事故のこと、奥さんのこと、保険金のことを三人に話し「教授は死にたがっているんだ。それで奥さんが助かるんだ。協力してあげよう。」と言う。

 四人は、酔いつぶれている教授をマンションの部屋まで運んでいき、部屋にあった睡眠薬を大量に飲ませた。翌日「やばいよ。やっぱりやばいよ。」と焦る友達のノガレス。彼は飲ませたクスリの瓶を見せる。「どうして持ってきたんだ」「始末しとけって言うから。」「指紋を拭いとけって意味だよ。誰が持ってこいと言った。」

 ガラルダたちは、瓶を置きに教授の自宅に向かう。そこに、ガルシアの恋人・ヌリアが論文提出のために現れて、二人は必死にごまかす。

 しかし、教授は死んでいなかった。

 

 ビビっていた四人の前に現れた教授は、ガラルダに「仲間を巻き込むとは考えたな。昨夜は失敗しやがって。今度は確実にやれ。」と指示する。

 夜、また酔いつぶれた教授は、橋の上から川に落ちそうになる。反射的に「危ない!」と助けようとするノガレスだが、教授が死にたがっていることを思いだして手を離す。川に落ちていく教授。「殺した。俺たちが殺しんだ」「違うよ、勝手に飛び降りたんだ」などと、またビビりまくる。

 しかし、教授は死んでいなかった。寒さと苦しさのあまりか、自分で陸に這い上がってきていた。

 殺人の報酬に、ガラルダがお金を受け取る約束になっていることが仲間にバレる。ガラルダは「提示はあった。でも(まだ)受け取っていない」と言い訳をするが、仲間内がギクシャクしはじめる。

 仲間に責められたガラルダは、恋人のヌリアに計画の概要だけを話す。「金が必要なんだ、仕方ない。」と言いながら、自分を責めている。

  闇金グループが教授をガラルダの父親と思い込んで拉致する。「オヤジを殺すぞ」と電話を受けたガラルダ。電話の向こうでは「殺されたい」教授が父親のフリをしている。そのまま父親だといえば教授は無事に殺されるかも知れない。一瞬迷うガラルダ。しかし、思い直し「その人は父じゃない。教授だ。」と告げ、教授は殴られて解放される。また死ねない…。

 夜、ノガレスたち三人が乗った車の前に、突然、教授が飛び出してきた。車は教授をはねてしまう。血だらけで倒れているのが教授であることを確認したノガレスたち。「なんで教授が飛び出してくるんだよ」「知らねぇよ。」とビビりながら、その場から逃げていく。車はどこかに隠した。

 翌日、ひき逃げ事件としてテレビで報道されており、車種や色の特定もされていた。捕まるのも時間の問題だと覚悟したノガレスは、教授の身を案じて病院に来ていたヌリアに「ガラルダが殺人を引き受けた。あいつがやったんだ。あいつはカネを受け取っている。」と、すべてを話してしまう。

 いつものバーに集まった四人。警察はすでに店の近くまで捜査に来ている。焦る中、車の持ち主であった気弱な友達が「お前が運転していたんだ」と責任を押し付けてくる仲間にキレて、教授の銃を構えて店内で暴れだした。騒然とする店内。警察が銃をかまえて突入してくる。「銃を降ろしなさい!」と迫られた友達は、銃を自分の口にねじこむと引き金を引いた。…しかし、銃には弾丸が入っていなかった。

 裁判所。

教授をひいた車を隠したのは、ガラルダを追っていた闇金組織のアジト。車は父親が盗難届を出していた。ひき逃げは借金取りたちの罪となった。
 
 葬儀。

 教授の葬儀。車椅子に乗った奥さんに挨拶をするガラルダ。奥さんはガラルダの名前を知っていて「夫がこれを渡してくれと」と封筒を手渡す。封筒の中には約束のお金が入っていた。「手術を?」と聞くガラルダに、奥さんは笑顔で「保険金がおりまして…」と答える。

 手紙。

 封筒の中には、お金の他に便せんが入っていた。教授からガラルダ宛ての手紙。内容は「偶然、同じ部屋で死んだ身元不詳のホームレスを医者が私と間違えた。妻が、ホームレスの遺体を私だと偽った。」という真実が書いてある。

 ガラルダの視線の先で、帽子に黒メガネをかけた教授が立っていた。

 恋人ヌリアと肩を抱き合い、仲間と共に歩き出すガラルダ。

 

つまりこういう映画(語りポイント)

 とてつもなく絶望的なムードから始まる。教授の口から語られるセリフは自殺を肯定するような言葉のオンパレード。

 しかし、自殺を試みても「死ねない」。学生に自分殺しを依頼するが、やはり「死ねない。」交通事故にあっても「死ねない。」。

 この映画が「死ねない人間」を描こうとしているのは明白。

 終盤で、気弱な学生の自殺未遂のシーンがダメ押し気味に挿入され、その意図はより鮮明になる。じゃ「死ねない」の次に何が来るかというと、もちろん「生きる」「生きるしかない」ということ。

 劇中、決して「頑張って生きよう」とか「希望を持とう」などというセリフが出てくるわけでもなく、ただ、絶望を追いかけている物語なのだけど、「絶望が否定され続けることで、逆に希望が見えてくる」不思議な感覚がある。

 例えば裁判で「無実を証明する術」は「有罪を否定し続けること」しかない。絶望するのは簡単だけど、希望を得るには根気がいる。この映画の教授は「根気よく死のうとした」ことで、希望に行きついたという皮肉。

 同時に「殺せない男たち」がいる。どうしても罪の意識を拭えず、ビビりながら教授を殺そうとはするが、その実、まったく殺る気が感じられない。決して積極的ではなく、偶発的に、あるいは自分じゃない誰かの手によって目的が遂行されることを願っているだけ。「死ねない」男と「殺せない」男たち。両者を描いているうちに、どんどん映画に温かみが出てくるのは、登場人物ほぼ全員が優しいから。
 
 優しさは強さになる。

 「悲しい時は思い切り泣けばいい」などと言う。ひとりで、泣いて泣いて涙も枯れるほど泣くと、ふと「泣いてることが馬鹿らしくなる」瞬間に行きつく。そして自動的に前を向いて歩きだす(歩き出すしかないことを確認する)。 

 絶望ってなに?希望ってなに?そんな物語。

 拾い物気味に面白い映画だと思いますが、一点、ラストシーンの脚本だけはいだだけない。ダメダメすぎる。教授が生きていた…というネタはいいのですが、見せ方が。

 「偶然、同じ部屋で死んだ身元不詳のホームレスを医者が私と間違えた。妻が、ホームレスの遺体を私だと偽った。私は死んだことになっている。保険金は降りた…」などと、全部セリフで説明してしまい、葬儀場に本人まで登場する。あそこは、もっとセリフなしの映像で伝えられるし、生きていた教授と主人公が会うのはいいとしても葬儀場ではないだろう。あんた、そんなところに居たら絶対みつかるでしょ。あまりにもリアリティがない。後日、手紙を読んだ学生が教授が隠れているどこかの島へ会いに行って…なんてことで良いんじゃない?と思います(それもベタですが)。

 その前の裁判のくだりからリアリティは無視されているので、作る側も、わかったうえで思い切ったんでしょうけども。

 面白かっただけに、最後がちょっと残念。

 それ以上に残念なのは邦題。集客のために、検索されやすい語句を使うのも、人気映画とわざと似せた題名にするのも、ある程度は理解できます。でも、内容とまったくかけ離れた題名はさすがにヒドイ。「つけたひと、絶対に映画観てないよね?」のレベルだから。教授が決して「マッド」ではないし、「悪の境界線」を問う物語でもない。

 そしてなにより『マッド・プロフェッサー 悪の境界線』と聞いて、観よう!と思う人より、観ない…と思う人の方が絶対的に多いような気がするのですが、どうでしょう?