【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『さよならミス・ワイコフ』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『さよならミス・ワイコフ』
原題:Good Luck Miss Wyckoff
1978年 アメリカ
監督:マーヴィン・チョムスキー
出演:アン・ヘイウッド、ロバート・ボーン、ドナルド・プレザンス
 おススメ度 ★★★☆☆(3/5)
 公開当時、かなりの問題作とされた。特に面白い映画ではないけど、観ておく価値はあります。同じように問題作とされた「カッコーの巣の上で」「ラストタンゴ・イン・パリ」あたりが好きな人なら、同じく70年代テイストなので…。難解ですが。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

マジメな教師、ミス・ワイコフは35歳で処女だったが、ある日、黒人学生に放課後の教室でレイプされる。以後、二人は教室で密会するようになり何度も情事を重ねる。ある日、興奮した黒人はミスワイコフを…。

 高校教師であるミス・ワイコフ(アン・ヘイウッド)は35歳で処女だった。黒人と白人の分離制度にモノ申したり、立派な活動をしている。
 しかし、彼女は体調に異変をきたす。医者の診察を受けると「更年期障害」だと診断される。35歳で更年期障害は早いだろうけど、それほど、ミス・ワイコフは精神的に老けてしまっていたということだ。
 精神科医のスタイナー博士(ドナルド・プレザンス)のカウンセリングを受ける。彼女の暗い性格を形成したのは幼いころからの家庭環境に問題があったことがわかる。
 ミス・ワイコフは、バスの運転手に恋をした。まるで中学生の恋愛のようにドキドキして、なんとなくつきあい始めるが、運転手には妻帯者がいて恋が終わる。
 ある日、放課後の教室でひとりでテストの採点をしていたところに、掃除係の黒人学生がやってくる。つなぎを着た黒人生徒は、ワイコフの真ん前で自分のツナギのファスナーを降ろし、きっとものすごく大きいに違いないティンコーをワイコフの目の前に差し出す。そのまま教室で性的暴行を受け、ワイコフは処女ではなくなった。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 別の日、また教室で二人きりになるワイコフたち。またしても性的挑発をする黒人学生に、抵抗しなくなるワイコフ。四つん這いになって彼の股間までハイハイさせられたり、言われるがままになる。その後、何度も教室で性行為をするようになる。
 しかし、興奮した黒人学生に後ろから責められながら、そのまま裸でストーブに押し付けられたワイコフは悲鳴をあげ、他の男子生徒に見られてしまう。
 ミス・ワイコフは「教室で黒人とやってる教師」として有名になってしまい、教師の職も奪われてしまう。

 睡眠薬で自殺を考えるが、直前で思い直したワイコフは薬を投げ捨てた。

 街を出ていくことにした。

 友達に「どうしてそんなことを?」と聞かれたワイコフはなにか言い訳をするでもなく「後悔していない。」と答える。

つまりこんな映画(語りポイント) 

 黒人学生が白人教師をレイプする…なんて設定も衝撃的とされた理由。
 この映画、淡々とした造りではありますが難解といえばかなり難解です。主人公・ワイコフの心理的推移が、ほぼ説明されないからです。

 下手したら「35歳まで処女だった主人公が、暴行を受けることで性に目覚めてしまった話」なんて思ってしまいそう。でも、それは普通に考えてないでしょう。性的暴行を受けた男に惚れるなんて、それはもう男のアホな妄想でしかない。

 そこで「ストックホルム症候群」について考えると。答えらしきものが見えてきます。

 人間は、閉鎖した空間に閉じ込められ、逃げられない状態で恐怖を与えられると、恐怖を与える人間に好意を抱くようになる。そこから逃げることが難しいならば、今度は相手と同化しようとする。
 なぜなら「逃げる」と「同化する」は、精神の平静を保つ目的に於いては同じことだから。犯人を認めることによって、同化することによって身を守ろうとする。

 wikipediaにこんな記述も↓
  オーストリア少女監禁事件の被害者ナターシャ・カンプッシュは、2010年の『ガーディアン』のインタビューで次のように述べている。「被害者に、ストックホルム症候群という病名を付けることには反対する。これは病気ではなく、特殊な状況に陥った時の合理的な判断に由来する状態である。自分を誘拐した犯人の主張に自分を適合させるのは、むしろ当然である。共感やコミュニケーションを行って、犯罪行為に正当性を見い出そうとするのは、病気ではなく、生き残るための当然の戦略である」。

(wikipediaより)

 つまり、ワイコフは暴行され恥辱され続けている黒人学生に対して、決して(通常の)愛情を感じているわけではなく「ただ従属している」だけ。相手と同化することで、痛みをやわらげようとしているだけなのですね。

 そして、そこからいよいよ逃げると決めた時にとる行動も、決して攻撃的にはならず、静かに、あくまで「波風を立てないように」消えるしかない。

 最後の「後悔はしていない。」と言うセリフも、黒人学生を好きになったから後悔していない、なんて意味ではない。「自分には、そうすることしかできなかった」他の選択股がなかったから。そもそも選択していないんだから後悔のしようがない。

 ただひとつ言えるのは、彼女は最終的にその世界から抜け出すことができた。人生の通過点として、街があり、人がいて、そして、次の町へ行く。ただそれだけのこと。

 それはきっと「強い」ということ。強さを身に着け、次のステージへ向かうラストは決してバッドエンドではない。。

  なんだか、夢も希望もない話に聞こえますが、そこから何を感じて何を得るか、観た人間次第。これ以上、解説するのも野暮、そんな映画。

▼同じく70年代の問題作「わらの犬」

cinema.kamuin.com