【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『第9地区』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度 

『第9地区』
原題:District9
2009年 アメリカ
監督:ニール・ブロムカンプ
出演:シャルト・コプリー、デヴィッド・ジェームズ、ジェイソン・コープ、ヴァネッサ・ハイウッド
  おススメ度★★★★★(5/5)
 徹底的な拝金主義。登場人物、ほぼ全員が腹黒くてカスです。その偽善っぷりが凄まじい。気持ち良いくらいに。テーマは「人間らしさ」か。
 SFでありながらテーマは現実的でダーク。でも、さほど重く感じないのは、マイノリティのイキザマや覚悟、家族の在り方など、身近な題材から社会問題まで混ぜ込んだ脚本の娯楽性にある。間違いなく「面白い」映画。但し、食事中には観ないほうが良い。

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◆目次

あらすじ(ネタバレなし)

 20年前、ヨハネスブルグの上空に巨大な宇宙船が現れた。宇宙船に突入した人類は、船内で栄養失調で体力を失った大勢のエイリアンを発見。宇宙船の真下に「第9地区」を作り、そこにエイリアンたちを居住させた。第9地区はたちまちスラム化した。。

 宇宙船が動けなくなった理由は諸説あったが、司令船が船から落下してしまったのだろうと言われていた。「エビ」という蔑名で呼ばれた宇宙人たち。治安は悪化し、エビたちによる犯罪や、住民とのいさかいが絶えなかった。

 エイリアンを第9地区から第10地区に移転さぜるプロジェクトのリーダーに抜擢されたのは、MNUエイリアン課のヴァカス。昇進だった。第10地区は、実際には現在よりも狭く、住みにくい環境だったが、エイリアンたちをうまく言いくるめ移住させる目的だった。

 ドキュメントフィルム風に進行する中、「息子にあんなことが起こるとは」「良い人だったのに。」と語る周りの人たちの証言は、その後、ヴァカスの身に「なにかが」起こったことを示唆していた。

 エビたちの移転には、通告から24時間の猶予と承諾書へのサインが必要だった。承諾書を持ち、エビたちにサインさせようと第9地区をまわるヴァカス。スラムの貧弱な小屋群の中には、エイリアンの卵を養成している小屋もあったが、ヴァカスたちは嬉々として卵を焼却したりする。

 地区内には、ナイジェリアのギャング団が居つき、商売をしていた。エビたちへの食糧販売。異種間の売春。彼らは「エビたちを食えば同等の力を得られる」と信じており、エイリアンを捕食もした。エイリアンたちは強力な武器を所持していたが、武器はエイリアンのDNAにしか反応しないように作られており、ギャング団は、その武器と力も欲しがっていた。

 エビたちには、判別のためか英名がつけられており、クリストファーと呼ばれたエイリアンは、息子と共に、20年かけて「ある液体」を調合していた。液体はようやく完成したところ。ヴィカスはクリスの小屋で液体を発見。しかし、誤って自分の顔にかけてしまう。残った液体はMNU本部に送るべく押収。「また明日来る」とヴィカスたちが去った後、液体がないことに気づいたクリスは焦り、必死に探すがみつからない。

 一方、液体が顔にかかったヴィカスは、身体に異変を感じていた。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 どんどん具合が悪くなってきたヴィカスが自宅に戻ると、昇進祝いのサプライズパーティが開かれていた。上司からは密かに「現場でエイリアンを何人か殺したな。俺が責められてる。お前のせいだ。」と責任を問われる。それどころではないヴィカスは、ケーキの置かれたテーブルの上に黒い嘔吐物を吐いて倒れてしまう。

 妻に付き添われ病院に運ばれたヴィカス。医師が、怪我をした左腕の包帯を解くと、なんと左腕はエイリアンの腕になっていた。たちまち警報が鳴らされ、ヴィカスはそのまま隔離されMNU本部に連れていかれる。なにが起こったのかわからない妻は「夫をどこへ連れてくの?」と叫ぶが無駄だった。

 施設の地下。解体されたエイリアンの身体の一部がそこら中に転がっていた。倫理団体の非難を恐れ、極秘に行われているDNA実験場だった。
 ヴィカスはすでに、エイリアンと同等の「標本」としての扱いを受ける。

 「人間とエイリアンのDNAが共存した彼のカラダは、現時点で世界一の金脈だ」と語る上層部は、ヴィカスが完全にエイリアン化する前に、身体のすべての部位、血液も、すべて抽出し保存する許可を出す。その場で心臓を抜き出されそうになったヴィカスは暴れ、施設を脱走する。

 すぐに指名手配されたヴィカスは「エイリアンと性交渉をしたために感染した男」と嘘の情報を流され、嘘を信じた妻や家族に電話をしても、ただ非難されるだけの存在になった。妻をこよなく愛するヴィカスは、なにより妻が自分を信じてくれないことを哀しんだ。

 ヴィカスは第9地区に逃げ込む。徐々にエイリアン化するヴィカスを見たクリスは「こうなる理由はひとつしかない」と、すぐにあの液体が関係していると悟る。液体はMNU本部にあることを知ったクリスは悔しがる。

 液体は、宇宙船を動かすための司令船の動力源であり、地球上の物質でその液体を作るために20年かかったこと。司令船はクリスの小屋の地下に埋まっていること、を話し「母国の星へ帰れば、その腕を人間の腕に戻すことができる」とヴィカスに言う(本当か嘘かは不明)。
 
 とにかく人間に戻りたいヴィカスと、司令船を動かしたいクリスの利害が一致。MNUに乗り込んで液体を取り戻す計画をする。「武器がない」というクリスに「武器なら手に入る。」とギャング団に接触するヴィカス。ヴィカスの腕を見たボスに捕らわれそうになりながら、なんとか武器を手に入れる。

 二人でMNUの地下に潜入する。クリスはそこで、仲間が人体実験に使われていることを知り愕然とする。「こんなことが行われているなんて知らなかった。」と言い訳をしながら、なんとかクリスをなだめたヴィカスは、クリスの作った即席爆弾で壁を破壊、クルマを奪って逃走に成功する。液体は回収した。

 第9地区に戻ったヴィカスは、クリスから「腕を元に戻すには三年かかる」と聞かされ「そんなに待てない!」とキレる。ヴィカスは、クリスが追ってきたクーバス大佐に拉致されている途中、クリスの子供に「お父さんは後から助けに戻る。行くんだ」と言って司令船を起動させてしまう。

 しかし、充分に操縦方法を知らないヴィカスの乗った司令船は、軍に撃墜され墜落、ヴィカスとクリスは連行されていく。しかし、ヴィカスのカラダを確保したいギャング団が護送車を襲い、結果的にヴィカスたちは救出される。今度はギャング団に捕まるヴィカスだが、傍らにあった巨大ロボ(それもエイリアンしか動かせない武器)に乗り、あたりを蹴散らしていく。
 
 その間、クリスは軍に捕まり、その場で処刑されようとしていた。

 一度はクリスを見捨てようとしたヴィカスだったが、意を決し引き返す。間一髪でクリスを救ったヴィカスは「俺は置いていけ。早く司令船に行け」と言う。「置いてはいけない」と躊躇するクリスに「気が変わる前に早く行け!」というと、クリスは「必ず迎えに来る。三年だ。約束する。」と言い司令船を起動。

 20年ぶりに動き出した宇宙船に世界が驚嘆していた。

 力尽きたヴィカスは、大佐に殺されそうになるが、周りから出てきたエイリアンたちに囲まれた大佐が逆に殺される。

 その場で倒れたヴィカスの姿が「公式に彼を写した最後の映像」だという。ヴィカスは行方不明とされた。

 数年後。アナウンサーは「果たして、エイリアンたちは次にどんな行動に出るのか?まだ地球上に残されたままの20万人以上のエビたちを助けに戻ってくるのか。あるいは戦争をしかけてくるのか。誰もわからない。」と語る。
 
 「息子はもう死んだものだと思っている。」と語る父親。「玄関に造花が置いてあった。彼ではないだろうけど、わからない。」と、すっかり落ち着いた様子で言う妻。

 ゴミの山に座った一体のエイリアン=完全にエイリアン化したヴィカス。造花を手にしている。

つまりこういう映画(語りポイント)

 企業にとって利益は食糧。利益を上げなければ法人は死んでしまう。利益をあげるためならなんでもやる。それは仕方のないこと。そこに寄生して生きる人間が企業のために動くのも批判はできない。それも、生きるためには仕方のないことであり、処世術。

 ただ、この映画で痛切に描かれているのは、処世術であるはずの思考や行動が、もはや「仕方がない」のレベルを遥かに超えている人間の姿。すべての価値基準が「お金・利益」であり、利益を確保するためなら、平気で長年の親友に冷たく接するし、夫も見捨てる。しかも「それが普通」「それが当たり前」であるという、そんな姿。

 映画として、デフォルメして極端に描いているのだろうとは思いつつも、実際、僕らの廻りにはそんな人間が普通にいるのだから、どこまでがデフォルメかわからない。そんなこといってる自分さえ「どうよ?」と聞かれて「僕はそうじゃない」と言い切れるかというと、ちょっと自信がない。いつしか企業の体質は、個体である人間ひとりひとりに浸透している。

 登場人物たちの偽善っぷりが凄まじい。気持ち良いくらいに。

 映画が訴えたいのは、そんな「資本主義の成れの果て」へのアンチテーゼ
 
 エイリアン化をはじめたヴィカスの身体を「世界一の金脈」と判断した人たちはヴィカスを生きたまま解体しようとする。そこに一切の迷いはない。そんなヴィカス本人も、そんな状況になる前は、企業の歯車として、昇進に浮かれ、エイリアンたちをゾンザイに扱い、喜々として与えられた権限に酔い知れていた性悪男。いわば自業自得。

 登場人物、ほぼ全員そんな感じ。

 じゃ、救いはどこにあるかと言うと、この映画の実質的な主役であるエイリアンのクリストファー。彼の「冷静(頭が良い)」「ストイック(辛抱強い)」「情に厚い」…人間味のある性格設定。主役のエイリアンを、より「人間らしい」キャラクターにすることで「人間らしさを失くした人間たち」を浮き彫りにしている。

 この映画の中で唯一「人間らしい」キャラなのです。エイリアンが。

 ヴィカスが巨大ロボに乗って人間たちを蹴散らすアクションシーンは、すっかりヴィカスとクリスに感情移入した観客にカタルシスを与えるという役目を果たしている。アクションの入れ方に無駄がなく巧い。

 加えて、一度は見捨てようとしたクリスが殺されかけているのを見て、思い直して引き返し「俺はいいから、行け」と身を捨てて守る場面も、エンターテイメントとして良くできている。はい、普通の映画なら普通に「良いシーン」というところが、この映画ではもはや「エンターテイメント」なのです。この程度で。それくらい、それ以前のエピソードにヒューマニズムの欠片もない。
 
 性悪男が、エイリアンになりかけたことで結果的に人間らしい心を得たと云う皮肉な設定もブラックで面白い。エイリアンになりかけた夫を割とあっさり見捨てる妻の「薄っぺら~い愛」も面白い。ラストに妻が造花を持って取材を受けているシーンは絶対にブラックなギャグです。あれは笑うところです。

 総合的に「ひどい映画」です。だけど「めちゃ面白い」痛快作。