【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。映画の紹介から、ネタバレあらすじ、著者の独断と偏見による「語りポイント」まで。

3分で映画『ベティ・ブルー愛と激情の日々』を語れるようになるネタバレあらすじ

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基本データ・おススメ度

『ベティ・ブルー 愛と激情の日々』
原題:37°2 le matin
英題:Betty Blue
1986年 フランス
監督:ジャン=ジャック・ベネックス
出演:ベアトリス・ダル、ジャン=ユーグ・アングラード
 おススメ度 ★★★★★(5/5)

  野生のように純粋な女性ベティと小説家を目指すゾルグのラブ・ストーリー。後半はとことん重い。重すぎるくらい重く、切ない二人の葛藤が、誰もが経験したであろう恋愛ノスタルジーを刺激してくる。原題の「37度2分」は最も妊娠しやすい体温…とのこと。ひいき目の★5。

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◆目次

 

あらすじ(ネタバレなし) 

 【小説家を目指すといいながらダラダラと生きているダメ男・ゾルグが、無垢ゆえに不器用な女・ベティと出会う。「あなたには才能がある。」と本を書くことを勧める彼女と、暴れ馬のようなベティにてこずりながら、必死に彼女を守ろうとするゾルグのラブ・ストーリー】

 ゾルグはコテージの家主から依頼される雑用で生活していた。いわゆる住み込み。そこにベティがやってくる。働いていた夜の店に嫌気がさして逃げてきた、電車賃もないというベティを家に住まわすゾルグ。
 翌朝、家主がやってきて「女を住まわすな」と文句をつけるが、それは500軒あるコテージのすべての壁のペンキを塗るという仕事を押し付けるための口実。彼女も手伝うという条件で同居を認められる。
 全部のコテージを塗ることはベティには内緒にされた。楽しくペンキ塗りをするベティ。二人でポラロイドカメラで写真を撮ったりするが、すべてのコテージを塗るんだと聞かされたベティはキレて、家主のクルマにピンクのペンキをぶちまける。
 勢い、部屋で言い合いをする二人。「あなたを尊敬したいの。こんなところでペンキを塗っててほしくない。」というベティに「妥協が必要だろ」と言い返すゾルグ。怒って部屋の家具を外に放り出しはじめるベティだったが、ゾルグが書いた小説をみつけて「これは何?」と言う。「暇つぶしに書いてるだけだ」と謙遜するゾルグ。ベティはゾルグの最初の読者になった。
 相変わらず家主と喧嘩をするベティ。家具を今度こそ全部外に放り出したベティは最後にランプの火を室内に投げバンガローを全焼させてしまう。笑いながら手を取り合って走り出す二人。

==以下ネタバレ==

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ネタバレあらすじ

 ヒッチハイクで街に出る二人。お金は残り少なかったが、ベティの知り合いの女性・リザの家に転がり込むことにする。ベティは慣れないタイプライターでゾルグの小説をタイプしはじめた。出版社に送るためだ。家の家賃がわりにリザの家の修繕を始めたゾルグに「あなたは作家。配管工なんてしてないで競馬でもしてなさい。」と言う。
 リザの恋人・エディが加わり四人の共同生活が始まる。エディはレストランを経営していた。ゾルグとベティはレストランで働き始める。しかし、態度が横柄な客にベティは我慢ができず、クレームをつけられた客の腕をフォークで刺してしまう。「彼女は病気か?」翌日、ゾルグに尋ねるエディ。
 ベティは毎日郵便受けをみて出版社からの返事を心待ちにしていたが、出版社から届く辛辣な文章は、ゾルグがベティに見せないようにしていた。
 出版社からの「話にならない。」旨の返事を知ったベティは「病院にいく」と嘘をついて編集者の自宅に押し掛け、刃物で編集者の頬を切りつける。慌てて連れて帰るゾルグ。
 電話が鳴った。エディの母が死んだとの連絡だった。四人でエディの実家へいき通夜に出る。エディの実家はピアノ屋だったが、エディは二人でピアノ屋の運営をしないかとゾルグに持ち掛ける。エディの実家が二人の住処となりピアノ屋をはじめることになった。
 「人生の意味がみつかった。君と暮らすことだ」というゾルグに「バカいわないの。あなたは小説を書くのよ。」とあくまでゾルグの才能を信じるベティ。
 近所でスーパーを運営する夫婦と知り合う。妻は欲求不満でゾルグを誘惑してくる。もう何か月も夫が抱いてくれないと泣く。
 部屋の壁が邪魔だからとベティの承諾を得て壊し始めるゾルグ。「こんなことしてるのは本当の俺じゃない。本を書いているときの俺とは違う。」というゾルグに「どっちも同じあなたよ。」と言う。
 毎日同じことの繰り返しにストレスがたまったのかベティは荒れだす。機嫌が悪くなり、ガラスを拳で割ったり、泣きながら裸足で外に出て行ったりする。追いかけるゾルグ、何事かと寄ってきた警官二人。ベテラン警官はエディの友達だとわかると家まで送ってやるという。
 ベティが妊娠したらしい。喜ぶ二人。「パパになるんだ。」と言ってまわるゾルグ。ゾルグはベティの20歳のバースデーにケーキを用意し見晴らしの良い高台までドライブに連れていく。嬉しそうなベティ。子供が生まれた生活を楽しみにする二人。
 ある日、自宅に帰ってもベティがいない。ゾルグは、荒れた部屋で妊娠テストの結果が書かれた紙をみつける。「陰性」。妊娠はしていなかった。
 おかしくなってくるベティ。変な化粧をして顔を泣きはらしているベティに、自分もトマトを顔に塗りたくり、抱きしめるゾルグ。髪を切ったベティ。エディとリザが遊びに来ても楽しそうな顔さえしない。
 仕事中のゾルグは、自宅のほうに向かう救急車をみて悪い予感を覚え、急いで引き返す。すると、血まみれの自宅、近所のスーパーのおやじが震えながら「ベティは片目をえぐった。死んではいないが病院にいる。」と教えてくれた。
 病院に行くゾルグ。意識を失くしたベティが寝ている。放心するゾルグに出版社から電話がある。本の出版が決まった。
 数日後、病院に入ったゾルグは驚く。ベティがベッドに拘束され薬が散乱している。植物人間のようになっているベティ。医者に詰め寄るゾルグ。「お前らが薬漬けにしたんだ。てめぇらがベティをあんなにしたんだ!」と暴れるが、医者は「彼女は危険だ。電気療法は効果がある。」と取り合わず、ゾルグは外に放り出されてしまう。
 女装して病院に忍び込んだゾルグは、枕元で想い出話を語ると、枕でベティの顔を押さえつけ窒息死させる。
 自宅に戻ったゾルグは、ピアノのカバーをすべて閉め、食事を作り、バンガローで撮った思い出の写真を見る。
 小説を書き始めた。机の上には、二人が可愛がっていた白猫がちょこんと座っている。
「書いてるの?」……ベティの声が聞こえた。
「うん。」白猫に見守られながらゾルグは執筆を進めた。

つまりこんな映画(語りポイント)

 「一週間前に彼女にあった。毎日セックスをした。嵐の前触れだった。」

  いきなりのエッチシーンから、バンガローが立ち並ぶまるでどこか別世界のような風景。メリーゴーランドの音楽、住民が吹くサックスの音色がうまく映画のBGMになっていてとにかく絵が美しい

 そしてどこか切なく感じるのは、映画後半の重い展開をどこかの感覚が予知しているのかも知れない。加えて「裸にエプロン」なベティの女性的魅力と、ゾルグの細いけどマッチョな全裸など俳優の魅力もいきなり全開モード。

 絶対的に好き嫌いの分れる映画ですが、いろんな意味で観る価値のある映画です。
見ようによっては「単なるバカップルの話」なのですが、男と女なんて端からみたら大抵はバカップルだ。そこがむしろリアルで良い。

 ちなみにこの映画、のちにシーンを追加した「ベティブルー・インテグラル」と、インテグラルからボカシを排除したノーカット完全版がある。DVDなどの無修正版では、ベティのみならず男のゾルグもまったく前を隠さずにブラブラさせています。「お前はパンツ履けよ」と言いたくなる。
 いやー後半重い。重いの好きな僕でさえ重い。でも、物語が重いほど、前半で描かれる二人のラブラブ時の姿が切なく見える。全編を観た後に、最初の10分を見直すのもいい。

 「ベティは足を折った野生馬だ。壁を越えようと転んでは起き上がる。緑の大地を夢みて囲いの中で暮らす。大地を駆け回るのが彼女の本能なのに。」中盤に出てくるゾルグのモノローグ。

   「自分の才能を信じて応援してくれる彼女」

 ちょっと余談になりますが、僕がこの映画を大好きな理由のひとつはそこで、若い頃になにかしらの夢を追いかけて生きていると、かなりの確率で、そんな彼女の存在って実際にあったと思うんです、僕もありました。ある意味、自分よりも自分の才能を信じてくれている彼女。若さと何の根拠もない強がり以外に何もなかった頃。今はどこで何をしているかわからないけども、そんな天使を描いてくれているから、めちゃノスタルジーで泣けるのです。

 しかしそんな幸せな状況でも、二人の想いは常に食い違っているものです。あるいは日々、確実にズレてくる。こればかりは仕方ないのですが、最初は「本なんて暇つぶしだ。働かなきゃ。」という男に「あなたは絶対にできる」と励ます彼女。その気になる男。暮らし始めるうちに「こんなことしてるのは俺じゃない。」という彼に今度は彼女が「ううん、どっちも同じ貴方よ。」と言う。

 「夢」に対する、ある一定の温度差、ズレが常にあって、二人の想いが完全にはシンクロしないまま最後まで進む。そのあたりの描写がリアルで切ない。でも、それは決して絶望するようなことでもなくて、二人が違う人間である以上、また、男と女という別の生き物である以上、当然のこと。当然受け入れるべき「一番近い他者との関わり」

 もしかしたら一瞬かも知れないけど、一度は必ず二人の間に芽生えるであろう「一蓮托生」や「自己犠牲」の想い。それを壊さすに維持することは難しい。

  男と女に限らず、人間関係の方法論は「なにがあっても味方でいること。」肯定するか否定するかの意味ではなく、どっちにしろ味方でいること。それができなくなった時、関係は希薄になる。そして、男と女の約束事はひとつ…相手を孤独にしないこと。それらもまた、簡単そうで難しい。疲れ果てた末に、ゾルグは最悪の方法に逃げてしまう。

 決してハッピーエンドではない、思い切りバッドエンド。「愛するがゆえに殺す」ラストは「カッコーの巣の上で」へのオマージュか。

 個人的に本当に大好きな映画なので、ひいき目全開ですが、1980年代の名作の一本。