『真夜中のゆりかご』
原題:EN CHANCE TIL/A SECOND CHANCE
監督:スサンネ・ビア
出演:ニコラス・コスター=ワルドー、ウルリク・トムセン、マリア・ボネヴィー、ニコライ・リー・コス、リッケ・マイ・アナスン
おススメ度 ★★★☆☆(3/5)
映画的クオリティは非常に高いです。ネタバレ衝撃度も驚愕レベル。重いのが嫌いな人でなければ、見る価値あり。ただ、幼児虐待など目を背けたくなるグロいカットも多いので、苦手な人は要注意。
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◆目次
簡単にいうとこんな映画(ネタバレなし)
一歳未満の子供を持つ二組の夫婦。刑事夫妻は一見平和に暮らしているが、妻がややメンヘラぽくてキレやすい。麻薬中毒のジャンキーカップルは育児放棄の一歩手前、我が子をトイレの床に寝かせ半分放置している。
ある日、刑事の子供が深夜に突然死してしまう。気が動転した刑事が、ジャンキー夫妻の子供と我が子の死体を入れ替えたことから、二組の家族の運命が変わっていく…。
ネタバレあらすじ
刑事・アンドレアスと妻のアナ。二人の間にはアレクサンダーという乳児がいる。アレクの夜泣きに悩まされながらも頑張って子育てをしている二人。
アンドレアスは仕事で立ち入った麻薬常習犯の男・トリスタンの部屋で、一見、育児放棄にも見えるほど、トイレの床で汚物まみれで寝転がっている乳児を発見する。怒るアンドレアスだったが、トリスタンは母親であるサネと共に最低限の育児行為は行っており、乳児を強引に引き取ることはできなかった。
ある夜、自分の息子のアレクが突然死してしまう。パニックになった妻のアナは、警察に連絡しようとするアンドレアスに「そんなことしたら自殺する。」と言う。普段からやや鬱症状のあったアナを気遣い、言う通りにするアンドレアス。
途方に暮れたアンドレアスは、妻を睡眠薬で寝かせた後、我が子の死体をクルマに乗せトリスタンの部屋に向かう。熟睡しているトリスタンたちに気付かれないように、トイレの床にいる赤ん坊と入れ替えた。
目覚めて「子供が死んだ」と思いこんだトリスタンは「またムショに入れられる。なんてこった。」と荒れる。母親のサネも錯乱。
トリスタンは事件が発覚するのを恐れ、偽の誘拐事件をでっちあげる。子供の遺体は森に捨てた。捜査にあたったアンドレアスには、トリスタンが嘘をついていることが当然わかる。自分の犯罪が発覚するリスクと、刑事としての正義感の狭間で消耗するアンドレアス。
死体と入れ替えてさらってきた子供・ソーフスを育てるアンドレアスとアナ。アナも当初は「これは他人の子。アレクサンダーを帰して!」と荒れていたが、アレクはもう死んだ、帰って来ないと繰り返すアンドレアスの言葉に、いつしかソーフスに母乳を与えるほどになる。しかし、そんな生活も長くは続かなかった。アナが自殺してしまう。
妻の気持ちをわかってやれなかったと自分を責めるアンドレアス。
一方、事情聴取が続く母親・サネは、強い口調で「ソーフスは死んでいない」と繰り返す。「人間は死んだら顔が変わるんだ」と説得されるが、「死んでいた子はソーフスじゃない。」と言い張る。動揺を隠せないアンドレアス。アンドレアスは、トリスタンの取り調べで死んだ赤ちゃんの名前を「アレクサンダー」と言ってしまったり「トイレで死んでいたのは…」と、知らないはずの情報を口走ったり、もはやしどろもどろ。
ついに赤ちゃんの遺体が発見され司法解剖される。解剖医の所見を聞いて全身が震えるアンドレアス。「これは間違いなく虐待死です。」「幼児ゆりかご症候群」「助骨の骨折は揺らされて負った傷」「これは殺人事件です。」……我が子を虐待していたのは、妻のアナだったのだ。
アンドレアスは、ソーフスを母のサネの元に帰す。
数年後…、刑事をやめてホームセンターで働いているアンドレアスは、客として買い物に来ていたサネを発見する。すっかり更生したらしきコ綺麗な服装。サネを目で追っているアンドレアスに、後ろから小学生低学年くらいの子供が声をかける。「君…名前は?」「ソーフス。」
なんともいえない安堵の表情を浮かべるアンドレアス。
つまりこんな映画(語りポイント)
全編、重苦しい雰囲気で進みますが、最後の、アンドレアスと子供・ソーフスの表情に一瞬にして救われる映画です。ラストシーンの大切さは今さら言うまでもないですが、どんなに重苦しい映画でも、最後のワンカットだけですべてを許せるときがある。この映画のラストシーンもそれに近い意味を持つ。
「報われる」とはこういう事。そんなラスト。
死んだ子供を入れ替えた第一の目的は、虐待されていたソーフスを助けたいという想いでしょう。子供を失くして妻のアナの精神を心配したこともあるだろうし、ただただ気が動転して正常な判断ができなかったこともある。いくつかの複雑な心境が交差し、なにはともあれ「やってしまった」のです。
この映画の最大のサプライズであり、どんでん返しは「実は、妻のアナが虐待死させていた」という事実。これは凄い展開ですね。
一番の被害者と思われていて、映画の中盤で死んでしまった人が、実は犯人だった…という『そして誰もいなくなった』的なトリックに近い。最初から、鬱っぽくキレやすい妻の描写が、後から考えればわかりやすい伏線になっているのだけど、そもそも鬱病患者の特性を考えると、そこからこの真相を予想した人は少ないのではないでしょうか。
「驚愕の真実」なんてキャッチ・コピーは腐るほどあるけど、まったく驚愕でもなんでもないストーリーでも、なんでもかんでも「驚愕の真相」と言ってしまう映画宣伝にはヘキエキですが、この映画の場合は、驚愕!に偽りナシです。
そこのウマさに尽きる映画と言ってしまってもいい。
もちろん、脚本・監督の映画人としての基本的なポテンシャルの高さや、いろいろ良いところはありますが。ひとつ挙げるとすれば、です。
そこからテーマ&教訓を探ると…
一番身近にいて理解しあっていた人間でさえ「知らなかった」のです。その人の本質を理解していなかったのです。これは、理解していなかった方を責める意味ではなく、そんなもんなのです。それほど、僕らは「自分以外の人間のことを知らない」「知る術がない」のかも知れません。
ラスト、元気に成長しているソーフスの笑顔と、彼を優しくみつめるアンドレアスの安堵の表情。理屈で理解しようとしなくていい。二人の表情を見て何を感じるか。どう感じるかも個人の感性。主人公は、人生を大きく間違ったかも知れないけど、それでも「報われた」瞬間の表情。
そんな表情を見せてくれるだけで、やはり映画っていいなぁと思うのです。