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【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『WALL・E/ウォーリー』を語れるようになるネタバレあらすじ

基本データ・おススメ度

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『WALL・E/ウォーリー』
原題:WALL・E
2008年 アメリカ
監督アンドリュー・スタントン
製作:ピクサー・アニメーション・スタジオ
 おススメ度 ★★★★☆(4/5)
 凄い映画で間違いなく傑作ですが、どうにも、素直に感動できない部分があります。

 先に書いてしまいますが…
『人間とロボットの共存、を未来の幸せと定義していること、または、観客にそう感じさせていること。』に違和感と恐怖を感じるのです。

 人間とロボットの共存…それを希望と捉えるか、絶望と捉えるか。
 ネットのレビュー等を拝見していると、大抵の方が希望と捉えている気がして…そこが怖い。

 僕には、あの可愛いロボットたちの姿が「未来の人間の姿」に見えてならないのです。(詳細は後述 最後のほうに…。↓)

 そんな問題提起も含めた★4。

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簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)

 人類は700年前に汚染された地球を脱出しアクシオムと呼ばれる巨大な宇宙船の中で生活していた。地球に残っているのは、一体の清掃ロボット・ウォーリーだけ。ウォーリーは700年以上、地球上のゴミを集め、処理する仕事を続けていた。

 そこに、宇宙船から派遣された調査ロボット・イブがやってくる。長らくひとりだったウォーリーは、イブに恋をする。しかし、イブは一本の植物をみつけると、インプットされた命令に従い、植物を自らの体内に収納し宇宙に戻っていく。イブと離れたくないいウォーリーは、帰還用ロケットに張り付き一緒に宇宙に飛び出していく。
 ロボット同士の恋愛を軸に描かれる、文明社会への皮肉と警告。

ネタバレあらすじ

 西暦2800年くらい。清掃ロボットのウォーリーは、誰もいない地球上でゴミ処理を続けている。人類が汚染された地球から脱出したのは700年前。おそらく最初は何体もいたと推測されるロボット仲間もなにかしらの理由でいなくなった(壊れた?)のか、いつからか、ウォーリーは一体だけで孤独な作業を続けてきた。
 ウォーリーにはある程度の感情がある。700年の間に、なにかの拍子に?あるいは自分で意図的に改造したのかはわからないが、人間に近い感情を持ち、倉庫には、ゴミの中から拾ったお気に入りのモノが大量に保管してある。自身を修理するための工具や部品に混じって、テレビ、ビデオ装置、ルービックキューブ、ジッポのライター…等、宝物のように大事にしている。ベータ形式のビデオテープをデッキに入れると、テレビでは20世紀のミュージカル映画が流れる。ウォーリーは、人間が手をつなぎあってダンスをするシーンが大好きで、誰かと「手をつなぐ」ことに憧れていた。
 ある日、宇宙から飛行物体が舞い降り、中から、最新のロボット・イブが降りてくる。電子タバコのアイコスみたいな白く丸いカラダをしたイブはどうやら女のコだが、やや凶暴な性格で、邪魔な物は容赦なく手に内蔵されている光線銃で焼き払ってしまう。最初はお互いに警戒していたウォーリーとイブだったが、やがて仲良くなる。 
 ウォーリーはイブを倉庫に招き宝物を見せる。その中からイブはジッポライターの火に特に興味を示していた。体内の記録回路にミュージカル映画の映像を記録するなど、楽しそうに過ごしていたが、ウォーリーが拾ってきていた植物をみるなり顔色が急変する。「植物をみつけたら持ち帰り艦長に渡すこと」という命令に従い、イブは植物を体内に収納すると、なぜか卵のように丸くなり「機能停止」になる。機能停止になったイブをなんとか元に戻そうと頑張るウォーリー。ウォーリーの感情は完全に「恋」だった。
 数日後、宇宙船がきてイブを宇宙に連れ戻そうとする。離れたくないウォーリーはイブを追いかけ宇宙船にしがみつく。そのまま宇宙に飛びだし、宇宙船と共に、人類の住処であるアクシオムに到着する。
 アクシオムの中では、自力では歩けないくらいに退化しブクブクと太った人間たちがホバーチェアに寝転がって生活をしていた。彼らの目の前にはそれぞれのモニター画面が表示されており、顔認証や声認証でロボットに命令を出す。外部から来た旧型ロボットであるウォーリーは船内でいろいろ騒動を起こし、やがて、イブと共に「危険なロボット」として、船内で追いかけられる。 が、汚いものをみつけると掃除せずにいられないお掃除ロボットのモー、人間である船長、あるいは、ウォーリーと接したことによって人間らしい行動をとるようになったカップル、等、味方もちらほらと出てきた。

 イブが地球に調査をしにきた目的は「植物採取」だったが、それは「地球上に植物が生えている=700年の間に地球が浄化された=再び人間が住める環境になっている」との判断になる。植物が採取された暁には、アクシオムを地球に帰還させる=人間が地球に帰る時、とされていた。

 当初は、地球に戻るなんて意味がないと地球帰還プログラムを作動させなかった艦長だったが、実際の植物を見てなにかを感じ、古い地球の風景をモニターで眺めながら「人間は地球に戻らなきゃいけない」という強い意志が芽生えた。
  しかし、700年前にアクシオムを開発した企業の社長の意思により、裏で、アクシオムの全権、つまり人類の行く末をすべて任されていたのは、実は艦長ではなく、「オート」と呼ばれるコンピューターの「舵」だった。人間に従っているフリをしていた彼らの中には「人間を決して地球に帰してはいけない。」という極秘プログラムが仕込まれていた。
 地球帰還を邪魔するオートに、すべての権限を剥奪され監禁される艦長だったが、生まれて初めて(?)ホバーチェアから降り、自分の足で立ちオートに立ち向かう。オートの「自動操縦」を「手動操縦」に切り替えることに成功した艦長は、地球帰還を指示する。

 地球に戻った人類とウォーリーたちだったが、ウォーリーは損傷がひどく意識を失っていた。イブは、ウォーリーの倉庫で様々な部品を使い、彼を必死に修理する。再び動き出したウォーリーだったが、そもそも「感情を持つようになった」ことがイレギュラーだったため、全面的な修理により感情を持たないただの清掃ロボットに戻ってしまった。
 自分のことを忘れてしまったウォーリーをみて哀しむイブ。しかし、奇跡が起きる。ウォーリーの手をとり、顔を近づけてキス(みたいなこと)をし「ウォーリー…。」と呼びかけるイブ。すると、ウォーリーの感情が復活した。「イブ…」と呼び返すウォーリー。

つまりこんな映画(語りポイント)

 「素晴らしい映画」には違いないです。いろいろ考えさせてくれるという意味で。そして面白いです。
 全編CGIであることのアドバンテージを差し引いても、テーマである「文明社会への警鐘と皮肉」がSF映画ではありきたりであることは承知のうえでも、全編に皮肉が効いていて、単純に面白い。「愚かな人間」の表現方法も、個人的には好きです。もっとダークでもいいと思うくらい。ただ、子供も見る映画なのでこれくらいが限度なのでしょう。

 例えば…
 人間は自力で動かない。彼らの目の前にはそれぞれのモニター画面が表示されており、顔認証や声認証でロボットに命令を出す。生活に必要なすべてのことをロボットに依存している。宇宙船の中では、さまざまなロボットたちが働いてるが命令を出している人間たちは「そこでただ生きている」だけの植物のような存在にも見える。
 主従関係としては人間>ロボット…なんだけど、何もしないで寝転がってるだけの人間は、ただの面倒な生物にしか見えず、反面、働いているロボットたちのほうがイキイキとしていて「より生きている」ように感じる。

 「私は生き延びたいんじゃない。生きたいんだ!」
 この、艦長の決めセリフも含め、なかなかに強烈なメッセージを発信しています。

 大抵の意見として「ロボットがかわいい」という声がある。
 確かにカワイイ。主役のウォーリーもそうだけど、さらに小さい掃除ロボット「モー」がめちゃくちゃかわいい。汚いモノを見たら無心に掃除する姿や、その一生懸命さがウォーリーたちを救う展開も面白い。

 そんな可愛いロボットが、人間のように恋愛をして、泣いたり笑ったりする姿は、感情移入もできて普通に感動したりする。

 はい、だから面白い映画なんです。なんですけども…

 …ただ…そこに、僕はこの映画の一番の怖さを感じるのです。

 ロボットがなぜ擬人化され、可愛く描かれる必要があるのか?

 「ほら、かわいいでしょ?」とばかり、人工知能やロボットは人間の味方、怖いものではないという意識を植えつけるため…なんて考えるのはSF的妄想だろうか?
 シンギュラリティは、個人的にはすごく怖いことだと思っています。
 2020年頃には、人間の脳をスキャンしてロボットにインストールすることも可能になるとか。カラダはロボットだけど、記憶や意識は元の人間のものが移植されるとしたら、それは、人間がロボットと一体化することによって不老不死を手に入れる…ということ。いずれ知能ではコンピューターに負けるであろう人間の生きる道がそれしかなくなるとしたら?

 「人間とロボットの共存」なんて状態が一時的に訪れたとして、どうして「その時、もちろん人間が上の立場。」と考えるのかが理解できない。
 上から見てるから「ロボットかわいい!」なんて言ってられるのです。
 どんなに可愛い動物でも、自分の上にたって理不尽な扱いを受けたら嫌いになるだろう。コーギー犬が、あの短い足で「おらおら、アホな人間、どけッ!」などと蹴ってきたらどう感じるだろう。腹立つと思うんだ。もはや「かわいい!」なんて思わないんだ。

 のちのち、人間より人工知能のほうが頭が良くなるとしたら、少なくとも「今の人間」とロボットとの共存は考えにくい。あるとすれば「降伏」からの「同化」。

 あの可愛いウォーリーやモーを、ペットのように見るからカワイイんだ。あれが「未来の人間の姿」だと「自分があんな姿になったら」と想像したらどうだろう?

 きっとそれは、哀しいことなんだ。

 もう少しシビアにシンギュラリティを扱った映画「オートマタ」では、ロボットが人間の姿をしていることの不必要性に触れていて、人間の姿を自らの意志で捨てるロボット等「人間の好みや都合によって姿かたちが作られているロボットの悲哀」を描いている。興味があればぜひ。

 しつこいようですが、それでも面白い映画なんです。

 ウォーリーの孤独や、イブとの恋愛物語は、普通にみればイイ話だし、エンドロールの絵をみても、自然のすばらしさを訴えているのです。

 そんなこんなの違和感や不安も、それも計算ずくの皮肉であり問題提起であるなら…これはやはり名作ということになる。

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