【映画で語ろう】カムシネマ★3分で語れるようになるポイント【ネタバレあらすじ】

映画を観たなら語りたい。酒でも飲みつつ語りたい。3分で「語りポイント」がわかる映画ネタバレあらすじ集。

3分で映画『おっぱいとお月さま』を語れるようになるネタバレあらすじ

 基本データ・おススメ度

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『おっぱいとお月さま』
1994年 スペイン・フランス
監督:ビガス・ルナ
出演:マチルダ・メイ、ジェラール・ダルモン、ビエル・ドゥラーン、ミゲル・ボメダ

 おススメ度 ★★★★★(5/5)

 誰もが経験してきた思春期。淡い思い出。郷愁を誘う良作。

簡単にいうとこんな話(ネタバレなし)

 9歳の少年テテ(ビエル・ドゥラーン)に弟が生まれ、彼は大好きなママの“ミルクいっぱいのおっぱい”を奪われたと感じている。テテは「僕だけのおっぱいが欲しい」と月に願いをかける。願いはすぐに叶った。海辺の見せ物小屋でショーをするために、夫のモーリス(ジェラール・ダルモン)とパリからやって来た踊り子エストレリータ(マチルダ・メイ)のおっぱいに、テテはひと目で虜となる。彼女がトレーラーハウスを駐車したキャンプ場で電気工をしている青年ミゲル(ミゲル・ポヴェダ)も彼女に恋をし、二人はその日から互いに牽制しながら彼女にまとわりつく。
(映画.com)

ネタバレあらすじ

  僕のものだったおっぱいを弟にとられた。生まれたばかりの豚みたいな醜い弟に。

  僕は僕だけのおっぱいを探すことにした。
  女の人の中にはミルクがたくさん詰まってる。そのミルクは男の人が毎晩注入しているんだ。
   街におっぱいがやってきた。パリから来たダンサー。彼女の旦那はハーレーダビットソンに乗ったフランス人だ。ミゲルは彼女に恋をした。やばい、ライバル出現だ。
  ストーキングして彼女を追い回しているけど、私は人妻だから、と断られている。ざまあみろ。そのおっぱいは僕のものなんだ。
  ミゲルが歌を歌いだした。昼も夜も、彼女と旦那が住むトレーラーハウスの前で、求愛の歌を歌い続けた。ミゲルは彼女のブラジャーを盗んだ。負けてられない。僕も盗まなきゃ。盗んで頭から被るんだ。
  彼女は旦那を愛していた。旦那の足の指を舐めるのが好きで、彼の涙を瓶に溜めていた。でも旦那のモーリスはおじさんでEDだ。二人はとても愛しあっていたけども、彼は彼女を満足させることができなかった。
  ミゲルの親友がバイク事故で死んだ。ミゲルは雨の中、泣きながら歌を歌った。その涙に彼女は感動した。
  彼女はミゲルによって満足を得た。 旦那のモーリスはそれを知っていたけど、止めには入らなかった。黙認した。でも翌日にはやはり彼女を攻めだした。
  彼女が泣いている。可哀想だ。彼女を救うんだ。男二人から彼女を救いだして二人で逃げるんだ。おっぱいは僕のものだ。
  トレーラーハウスに忍びこんだけど、ミゲルともども、旦那に追い出された。ミゲルは感謝してくれた。仲直りだ。
 彼女とミゲルはまた愛しあった。彼女が涙好きだと知ったミゲルは泣き続けた。愛しあっている最中も歌を歌い続けた。
 彼女は本当に旦那のモーリスを愛していた。なせか涙が出るのはスペイン製のシャンプーが目に入ったからだ。ある日、トレーラーを覗いているところをモーリスにみつかったけど、彼は怒らなかった。優しく、帰りなさいと言った。
 モーリスは彼女に謝った。「お前の好きにさせてしまった」ことを謝った。もう離さないと言った。
 悔しいけど、おっぱいは彼のものだ。夫婦のトレーラーは街から消えた。ミゲルは哀しんで死のうとしたが死ねなかった。
 でも良かったんだ。ミゲルも彼女も旦那のモーリスも、幸せになれたんだ。
 明日はママの言うとおり、歯医者にいこう。大人の歯が生えてきたから。

つまりこんな映画(語りポイント)

 いやもう、上記「ネタバレあらすじ」に書いたことが、まんま「見どころ」でもあります。まったくいやらしくないエロ。いや、裸もエッチなシーンもちゃんと出てくるので安心してください。それでもいやらしく感じないということ。

  成長期の少年の主観で描かれた、めちゃくちゃ香ばしい、涙の味がする傑作です。

 マチルダ・メイのおっぱいが素晴らしい。

 祭りで組む人間塔が、男の子の成長(性器)のメタファーになっていたり、両親のセックスを覗き見て「ママのミルクは毎晩、パパが注入しているとか、笑えるような、一緒に見る人によっては恥ずかしいような表現もあります。ただ、それでもやはり、いやらしいという感じはない。

 イメージとしては「ニュー・シネマ・パラダイス」と同じ線を狙ったのかな?という感じ。少年が大人の世界と遭遇し、成長していくという。

 ミゲルが、一途な愛を伝えるために「歌を歌い続ける」なんて、今の日本の僕たちの実際の生活の中ではあり得ないわけですが。それ自体が比喩だと捉えれば充分に感情移入できる。誰かに、なにかしらの気持ちを伝えるには、計算でも打算でもなく「ストレートに、精一杯、想いを伝えること」それ以外にない、ということ。

 そして、最後にたどりつくのは、やはり「家族愛」だという温かいメッセージが、妄想込みのラストシーンで描かれていますね。